第2話 イタコ

 優子には身寄りがないから、葬式は開かれなかった。その代わり、学校で生徒全員で黙祷をすることになった。まだ暑い体育館の中で、壇上にいつ撮ったかかわからないけれど、いつもの笑顔の優子が黒い縁取りの中にいる。それがひどく遠い人のように思えた。


 誰かがすすり泣いている。ふと見てみると沙織だった。僕はぶん殴りたい衝動を必死に抑えた。自分の腕を痛いくらいに握った。あいつに泣く資格なんてない。いや、ここにいる誰にも泣く資格なんてない。彼女の優しさをここにいる誰も知らない。息をするように人に心を砕いていた、彼女の優しさはいつもさりげなくて、誰もそのことを見抜いていなかった。それは例えば誰もやりたくない係を率先してやる、とかそんなわかりやすいことではなくて、うまく回るように立ち回るそういう優しさ。夏休みのデートの一幕を思い出す。僕は薄いカーディガンを着た彼女の手をとって、バスに乗る時、彼女はふと立ち止まった。ほんの数秒。そのすぐあと、駆け込んできた人がいた。間に合うようにゆっくりバスのステップを上がったのだとわかった。それは僕の中にはない気遣いだった。走ってくる人影など気づいてもいなかった。そして僕にそっと近寄って彼女はその走ってきた人にさりげなく席に座れるようにした。


「ひろ君は、座らなくても平気でしょう?」


 そうこっそり僕に耳打ちした。どうせ空いていたのは一席だったから、座らせるなら彼女だったし。


「もちろん。」


 そういうと彼女は僕の腕の中でいつものように笑った。その顔色は悪かった。僕の腕にもたれる体重がいつもより重かった。そういう人。常に他人のことばかりで、自分を優先しない。


 校長先生が、命の大切さに関して熱く語っていた。命とは何だろう。彼女の体の中にあった、その原動力は何であったのだろう。彼女の細い腕を、柔らかい胸を、こけた頬、少し低い体温を僕は思い出す。あの体の中に確かにあったはずの「命」という触れられない何かに僕は結局触れられず、そしてもう永遠に触れられない。


 それでも、真田優子は自殺なんてしない。


 息を吸うように他人を思う彼女は、自殺なんて迷惑を人にかけない。そもそも彼女は守る必要もない人だった。近づけば近づくほど、彼女はたくましかった。中学校から独学で勉強したという彼女は動画編集ですでに生計を立てており、お金に困っていなかった。むしろ、育った施設に彼女は寄付までしていた。物欲がないという彼女の部屋は本当に最小限のものしかなく、常に綺麗で、料理を作ればどれも美味しかった。学校でも特定の友達はいなかったものの、人を害することが全くない彼女はいじめられてもいない。むしろ、一人で家で動画編集をしている方が心地よいと言っていた。彼女はすでに一人で生きていく土台を築き上げており、誰かのために生きる道を選び、進んでいた。そんな彼女が自殺なんて、するはずがないのだ。


 長い校長の演説が終わり、体育館を出ると、自然といつものメンバーが集まる。沙織はまだ泣いていた。一緒に歩いていた悠馬が沙織に話しかける。


「なんだよ。お前、別に真田と仲良くなかっただろう。」


 そうだそうだ、と心の中で同意する。沙織は少し黒くなった目をこすり言った。


「でも、あの子優しかった。」


 優しい、と言う言葉に僕は反応した。沙織は彼女の優しさに気づいていたのかと。そして、僕の肩に腕を回した悠馬がさらに驚く発言をした。


「まあな。あいつ、あほみたいに優しい奴だったよな。その分、心が弱かったのかな。」


「もっと、話したかったな。」


 悠馬も、一緒に歩いていた亜由美もうなずいた。僕は驚きのあまり言葉を発せなかった。彼女の美点に気づいていたのは僕だけではなかったのか。こんな毎日遊んでばかりの奴らが、彼女の優しさに気づいていたと?心臓が冷たくなった気がした。自分の首にまとわりつく悠馬の日焼けした腕が気持ち悪かった。


「じゃあさ、イタコに会ってみる?」


 その言葉にようやく僕は反応した。


「イタコ?」


「そう。親父の知り合いにいるらしいんだよ。死者と話ができるってやつが。」


「そんな人、本当にいるの?」


 亜由美が聞いた。


「本当らしい。でも馬鹿みたいに高いって聞いたけど。」


「じゃあ無理じゃん。」


 死者と話せる、だと?見上げた悠馬の奥に青空がやけに眩しかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る