第九話 魔王、降臨!
ロカが見上げた空、そこには一つの人影があった。
その手には鋭い爪、口には全てをかみ砕くに十分な白き牙を持つ。隆々とした筋肉が三メートルに届かんとする立派な体躯を形作っており、全身がくすんだ青の毛によって覆われている。
金
狼。
猛き強き王者の風格を持つ怪人だ。
「あいつは……?」
ロカはオオカミ怪人を見て呟く。結社の事を知らない彼女であっても、瞳に映る相手が尋常ならざる力を持っている事を理解していた。今まで戦った四天王、それらよりも遥かに強大な威圧感を漂わせているのだ。
「……ん?四天王?」
緊迫する状況の中、彼女は他愛もない疑問に行き当ってしまった。緊張する脳が一周回って
「ホーネット、ボア、ピジョン、チュチュ、チチ……」
ロカは今まで撃破してきた相手の名を口に出しながら、指折り数える。
一、二、三、四、五。
「あれ、五人いない?四天王なのにおかしくない?」
彼女は首を傾げ、側らのミルウェに問いかけた。
「何言ってるの?四天王は当然五人だよ?」
「は?四天王って言ってるじゃん」
「ん~???四天王だから五人で間違いないよ?」
お互いの常識がかみ合わず、お互いに首を傾げる。
「所詮は未開惑星人。四天の
「ロカ、これについては私も擁護出来ない……」
「え、私がおかしいの?」
ミルウェも敵に回って、まさかの二対一。
当たり前の様に両者に言われて、ロカは思わず自分の常識が少しだけ揺らいだ。
「……って、そんな事はどうでもいいんだった!お前、何者だ!」
いま置かれている状況を思い出して、ロカはハッとする。剣の切っ先を宙に在るオオカミへと向け、彼女は問うた。
「無礼であるぞ、我こそは
「ま、魔王!?」
ロカも良く知るその名。
人間、獣人、龍に神。その全てを殺し、支配した悪逆の頂点だ。己の命を顧みずに立ち向かった勇者によって、とうの昔に打ち倒された過去の存在である。それが自身の目の前にいる。信じられない事だが、信じるしかない。
彼女の頭の中に一つの閃きが生じた。
かつてこの
そう。今、目の前に現れたオオカミのように。
過去の魔王とは、
つまりロカは、お伽噺の勇者と同じ立場になっているという事である。
「ほう、魔王の名の恐ろしさは知っているか。ならば早い、その被験体を渡せ。我は慈悲深い王だ、お前如き存在は見逃してやろうではないか」
大地へと降り立った魔王ウルフは提案する。だがしかしそれの本質は拒否権の無い命である。
「はッ、冗談。渡せと言われて渡すなら、怪人と戦ったりしてないっての!」
「ロカ~、ありがとう~。好きぃ」
わあい、わあいとミルウェが喜んで跳ねる。
「なんという愚者か」
大仰な仕草でウルフは嘆き、その顔を大きな手で覆った。
「で、あらば仕方あるまい」
その指の間から覗く目がギラリと光る。それは獲物を狩る獣の目、邪魔者を排除する殲滅者の瞳だ。視線に射貫かれたロカは、その頬を冷や汗がツゥと伝うのを感じた。
「後悔せよ、その浅慮を。懺悔せよ、その愚行を」
魔王は指をパチンと鳴らした。
空中に五つのゆがみが生じる。
虚空の揺らぎの中からゆっくりと『剣』が現れた、ロカにはそれがそうとしか表現できない。自身が持つ剣とは大きく異なる形状と材質であり、構成している素材はボアの鎧の銀に近いであろうか。
剣の刃はチュチュとチチが持っていた斧の刃と同じく、雷を撚り紡いでまとめたような輝きを持つ。全体のシルエットはピジョンの羽根の様である。
「行け」
スッと魔王ウルフは指をさす、その対象は歯向かう愚者だ。空中で静止していた五本の剣は、あるいは大きく上昇し、あるいは地面スレスレを低空飛行してロカへと迫る。
ブォンッ!
「くっ!」
右から胴を薙ぎにきた刃。彼女は地面にへばり付くように体勢を低くしてそれを躱す。剣は空を斬り、彼女の頭の上スレスレを通り抜けていった。
ゴォッ!
「ちっ!」
今度は低空で迫ってきた刃がロカの顔面を貫きにかかる。彼女はその軌道を見切り、身体を捩って刃を回避。剣はヒュオッと風切り音を鳴らして、顔のすぐ横を通過した。
ヒュオッ!
「だっ!」
上空からの猛烈な斬り下ろし。ロカは地面を手で思い切り突いて、無理やりに身体を後ろへと弾き飛ばす。彼女の前髪を掠めて、刃はズバンと大地を斬った。
斬、斬、突、斬、突。
五本の剣は息もつかせぬ早業でロカへと攻撃を続ける。
躱し、避け、逃げ、跳び、転がる。
彼女は的確に回避を続け、致命の一撃を避け続ける。
(ちッ、攻勢に移る隙が……っ!)
自分の身を守るので精いっぱい。敵へと攻撃を仕掛けるタイミングを見いだせない。下手に斬りかかろうとすれば微塵切りにされるだろうし、魔法を放つために集中すれば回避できずに身体を細切れにされるだろう。
(このままじゃ……っ)
避ける事は出来ている、今は。永久に身体を動かし続けられるわけではない、いずれは動きが鈍って一撃を食らうのが確定の未来だ。
(考えろ、考えろ……ッ)
思考する。
少なくとも、飛来する剣をロングソードで受けるのは避けるべきだ。ピジョンの羽根ほどの速度は無いが、ホーネットの突撃と同様の速さ。重さはおそらくロカの良く知るバトルアクス程度はあるはずだ。そんなものを剣で受け止めたならば容易にへし折られてしまうだろう。
多少の傷を負う事を前提として、無理やり突撃するのが最善策と言えてしまう状況。だがしかし、その負傷が致命傷にならないとも限らない。回復魔法を全力で掛け続けたとして、果たしてウルフに辿り着く事が出来るだろうか。
(くそ、くそ、くそッ!)
良い手が浮かばない。ギリリとロカは歯噛みする。
「ロカ……」
ギリギリの回避を続ける彼女を木の影から見守るミルウェ。自分の為に戦ってくれているロカが、このままではやられてしまう。
「…………ん!」
彼女は決意した。
ダッ
木陰から飛び出したミルウェは元より持つ力を集中させる。
その対象は。
ガクンッ
「!?」
自由自在に飛び回っていた五本の剣が落ちる。大地へと落ちたそれらは、メキメキと音を立てながら地面へとめり込んでいく。最終的にはバギッという音と共に、それらは小規模な爆発を起こして砕け散った。
「ロカ!いまっ!」
ミルウェが声を発すると同時か、それよりも速くか。身体強化魔法で全力以上を発揮した力でロカは大地を蹴った。
一歩、二歩、三歩。
たったそれだけで彼女は魔王へと最接近する。
「おおオッッッ!」
ロングソードを両手で握って振りかぶる。斬撃だけでは威力が足りない、魔法も必要だ。魔力を剣に帯びさせて、それを発現させた。
サンダーソード。
付加魔法としては単純、剣に雷を帯びさせる魔法。生半可な力では三メートル近い巨体をどうにかする事は出来ない、全力をもって彼女はウルフに攻撃を繰り出した。光を帯びた刃の軌跡は弧を描き、そしてオオカミの体を裂く。
「ぬぅんッ!」
かに、思えた。
ガギィンッッッ!
「くっ!?」
一歩踏み込んで片手で抜剣。
ウルフのサーベルがいとも容易く、ロカの渾身の一撃を受け止めた。
ギギ……ッ
両手で押し込む冒険者と片手で押し返す魔王。両者の刃は火花を散らし、相手を斬らんと競り合う。二つの刃は次第に片方へと傾いていく。
「ぐ、う……ッ」
白刃は既に目の前まで押し返され、剣の腹がライトグリーンの瞳を映す。
押されているのはロカだった。全力全開の一撃も、魔王の
「ふんッ!」
ビキ……ッ!
「ッ!?」
ウルフが力を込める。刃が更にロカへと近付き、同時に剣から嫌な音が鳴った。
(ヒビが……!)
サーベルの刃が当たっている箇所に僅かな傷。それは次第に大きくなって剣の身を横に進んでいき、最終的には横断する。
バキィンッ!
刃を受け止めていた剣が折れた。いや、砕けたと言った方がいいのかもしれない。ヒビが生じた所を中心として、細かい鋼片となって散ったのだ。
ズガッ!!!
「あぐぁ……ッ!」
「ロカ!!!」
盾になっていた物が無くなれば、敵の刃が自身へと至るのは当然。全力をもって競り合っていた事で回避も防御も出来なかったロカ。その右わき腹から左肩まで刃が通り抜ける。
強烈な斬撃は衝撃を生み、彼女が生じさせた雷の威力も載せてロカの身体を弾く。十メートルほど吹き飛ばされた彼女は、背中で大地を削って停止する。
「弱い、なんと弱い事か。いや、我が強いのだ。未開の星の生物など、相手にならぬのは当然である」
天を向いて倒れる冒険者を見下して魔王はフンと鼻を鳴らした。
「ガ、ぐ……ぅ……」
傷は、深い。刃が肉と骨を切断したのをロカは感じていた。回復魔法による治癒を即時で行っているが、傷が塞がるまではそれなりに時間を要するだろう。敵が目の前にいる場面でのこの重傷は、致命的な状況に他ならない。
だが。
「こ、の……程度…………で、ぇッ!」
身体が震える。恐怖からではない、血を失ったためだ。それでありながら力任せにその身を動かそうとしているからだ。
勝てる、勝てない。負ける、負けない。今のロカを動かしているのは、そんな尺度ではない。ただただ冒険者として守らなければならない者を守る、その矜持である。
「ロカぁ……」
「だ、だいじょ、ぅぶ!ミルウェは、かく、れ、てて……ッ」
傍らに駆け寄ってきたミルウェ。泣きそうな表情の彼女に対して、ロカは笑顔を返す。力の無い、無理をしているのが誰にでも分かる笑みだ。
「死んじゃうよ、もう、良いよっ!」
「ダメ、だよ。嫌な、こと……が、あったから逃げて、来たん、でしょ……っ?」
ぜっ、ぜっ、と荒い息をしながら、ロカは腕を広げてミルウェをその背に隠す。 剣は折れ、魔力は尽きて、立っているのが精いっぱい。それが守られているミルウェにも分かる。このままでは何の抵抗も出来ずにロカはウルフに殺されてしまう。
「……………………っ!」
俯いたミルウェは何かを決意し、顔を上げる。
「ロカ、私も、戦うよ!」
「え……?」
その言葉と共に、ミルウェはロカの右手を握った。
彼女の金の瞳がキラリと輝く。
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