営業よりも大事なもの

 俺が廊下に出ると、パトリックが頭を下げている。


「驚かせてしまい申しわけありませんでした」

「こんな獣を室内に入れてるなんて、危ないじゃないか! オンダさんのペットの世話係かね君は? それにしたって、人間の使うトイレに獣を入れるなんておかしいだろう?」


 本当に驚いたことがそのまま怒りに向いたのか、先ほどからのベルファンの笑顔はどこにも見当たらなかった。

 どうもウルミが遊んでいる間に泥だらけになり、そのままいつものごとく眠ってしまったようだ。

 そこでダニーがウルミを抱え、パトリックと一緒にいったん戻り、ベッドに運ぶ前に洗面台で汚れを落とそうとしたらしい。

 ケモノ発言には内心ムッとしたが、ウルミはともかく、ダニーを一般的にペットとして飼っている人は見たことがない。

 特定の動物が苦手な人もいるので、うちの子たちを好まない人がいてもしょうがないし、責めるのはお門違いだ。俺はめちゃくちゃ可愛いと思ってりゃいい。

 詫びを入れようと進みかけたが、次の一言は許しがたかった。


「君もそんな酷い顏しとるんだから、ろくな勤め先もなかろう? 動物の世話ぐらいまともにやらんと、オンダさんにクビ切られて路頭に迷うぞ」

「はい、気をつけます。ご迷惑をおかけいたしました」


 パトリックはうちの子たちと遊ぶ時、邪魔になるので髪を後ろで結んでいることが多い。

 普段目立たないようにしているが、結んでいたのでベルファンにもはっきり見えたのだろう。彼は精神的に大人なので、丸く収めるべく低姿勢になっている。

 だが俺は違った。


「ベルファン様、私のペットが驚かせたようで、申しわけありません」

「あ、オンダさん、いやいや扉開いたらいきなりいたもんで、思わず大声上げてしまいまして。こちらこそご無礼を」


 背後の俺に気づいたのか、急にまた柔和な表情に戻ったベルファンを、まままこちらへ、とか言いながら笑顔で玄関まで案内する。


「わざわざお越しいただき申しわけございませんが、ベルファン商会との取引はお断りさせていただきます。どうぞお引き取りください」


 俺は受け取ったまま置いてあった菓子の袋を彼に渡し、営業スマイルで頭を下げた。

 リビングのソファーに座って話をしていたバッカス兄弟が、驚いたようにこちらを見た。


「それは一体どういうことですかな? まさか私が少々動物が苦手というだけで? ベルファン商会の力を使わないのは大損ではないですか?」

「いいえ。生き物が苦手な方はたくさんおられますから」

「それじゃ何故──」

「私の大切な友人を侮辱したからです。理由はそれだけです。私はホラールで充分な収入を得ておりますので、人を見下すような言動をする方と、我慢して仕事するほど困っておりません」


 ベルファンも外面がいいのは営業用だったようである。

 スッと柔和さが消え、眼差しが冷ややかになった。


「たかだかホラールごときの小さな町で店を経営してる若造が、大きな口を叩くねえ。オンダさんの店の商品がいくら良かろうと、売る場所が多くなければ意味ないでしょうに」

「ご心配いただきありがとうございます。本当に良い商品なので、取引相手は選ばせていただけるのが商人としてはありがたい限りでして」

「──小僧、大先輩への礼儀はわきまえた方がいいぞ」

「そんな小僧からモラルを問われる言動をされる先輩への礼儀は不要かと思われます。さささ」


 あくまでも笑顔で玄関から外へ促す俺に舌打ちをすると、


「まったく、これだから田舎者は」


 と捨て台詞を残して出て行った。

 廊下の扉の方からこっそりと見ていたパトリックが、ベルファンが帰っていった後に俺に謝って来た。


「ケンタロー、本当に悪かった! お前の仕事の邪魔をしちまった」

「気にしないでください。実はベルファン商会はもともと取引に不安があったんですよ。気のせいじゃなかっただけのことです」


 パトリックの肩をぽんと叩くと、バッカス兄弟に深々と頭を下げた。


「ご不快なやり取りを見せてしまいまして、大変申しわけございませんでした」

「え? あ、いや、私どもは構わないんですが、オンダさんの方こそ大丈夫ですか?」


 目を丸くしていたモーガンが心配そうに返事をする。


「ルルガで店を開いていたら、正直ちょっとだけ気にしたかもしれませんが、こちらで上手く行かなくてもホラールやサッペンスで仕事していればいいだけですので」


 まだワインを片手に焼き鳥をもしゃもしゃと食べていたフィルが、大笑いした。


「オンダさん、いやー俺はスカッとしたぜ! あのオッサンのところ、大店かもしれないけど、気取っててレストランとかも入りづらいし、品物もちいと割高なんだよな。感じ悪いんだよ」

「こらフィル!」


 モーガンがフィルの頭をはたいたが、俺も先日町を見て回った時に感じたことである。

 ベルファン商会の雑貨屋や洋服屋、パブなどさり気なく様子を伺ったりしたのだが、店舗は綺麗だし華やかなのだが、雑貨屋で扱っている商品が別の店より一割二割ぐらい高く感じた。

 それだけならまあ店舗の維持費として仕方ないかと思っていたが、働いている人間の笑顔が少ない。買い物客にも感情の薄い接客をしていて、何だかなあと思っていた。

 日本で仕事をしている時にも感じたが、働いている従業員に生気がないところは、社長がワンマンだったりブラック寄りの就業形態であることが多かった。

 ベルファンは人の好さげな人に見えたので、俺の勘違いかなと思っていたが、意外とかぶっている猫が強力な人もいるんだよな。

 パトリックが彼の猫皮を剝いでくれたともいえる。

 ウルミをベッドに連れて行ってくれたダニーが、そっとリビングに入って来た。

 自分のせいで何か悪いことが起きたと感じたようで、


『……キュゥゥゥ』


 と俺の足元で小さく鳴いた。


「気にしないでいいんだよダニー、お前のせいじゃな──」


 言いかけて、ダニーの尻尾に血が滲んでいるのを見た。


「大丈夫か? 血が出てるじゃないか」


 パトリックがびっくりしてダニーを抱え上げた。


「やっぱあの人に尻尾踏まれてたのか! 普段知らない人がいてもあんな大声出さないのにって不思議だったけど」

『キュ』

「急いで薬屋行って消毒薬とか買って来るから、湖に戻ったらダメだぞ? ばい菌とか入ると悪化するからな? ……っと、ジロー一人だと心配だから戻らせないと。すみませんが失礼します!」


 パトリックが上着を羽織り、バッカス兄弟に頭を下げると小走りに出て行った。

 俺が動くヒマもない。


「……ワイルドオッターを飼っているとは珍しいですね。うちは娘が小鳥を飼ってましてね。妻も動物好きで、家にも猫が二匹おりますよ」


 モーガンが笑みを浮かべた。兄は既婚で一人娘だと雑談で聞いていたが、彼も動物は嫌いじゃないらしい。


「本当に今回はバタバタしてしまい、ご迷惑をおかけしました。お二人の仕事に影響が出そうでしたら、商品の仕入れはなかったことにしてください」

「兄さんはともかく、俺は独り身だしぜーんぜん問題なし。土産物屋でぜひショーユやミソを使って新たな商品を作りたいからね!」


 フィルがマリネを頬張りながら手を振った。


「私のところも別に問題ないですよ。まあ寄り合いではちょっと気まずいかもしれませんが、うちの店でもエドヤさんの商品置きたいですから。実は我が家でも使いたいのが本音ですけどね」

「ありがとうございます」


 バッカス兄弟はこれからもお付き合いしてくれそうだ。

 俺は周囲の人に恵まれていて、いい人ばかりだと思っていたが、そうでもない人もいるなと実感出来ただけでもルルガに来た意味はあった。

 ダニーの尻尾の様子を見たが、切れたのではなく踏まれたことによる擦り傷のようで、思ったほどの大ケガではなくてホッとした。

 とは言え、可愛いダニーの尻尾にケガを負わせたあのクソジジイは許さんけどな。




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