恩田、命を救われる。【後編】

 その後、店主のモリーとお茶を飲みながら確認したところ、正確にはあの匂いは醤油ではなかった。

 日本では魚醤(ぎょしょう)と呼ばれる、魚を塩と混ぜて発酵させたもののようだ。いわゆるナンプラーとかしょっつるとかのアレである。最近発売するようになったばかりらしい。

 港町ならではというか、大漁だったことにより値段が急落するのを恐れ、魚が大量に廃棄されることがあるので、これを使って何かできないかと思ったのがきっかけだそうだ。

 モリーが息子と一緒に作っているそうで、味見をさせてもらったが、色も薄い茶色で味も思っていた醤油の味とは違う。ただ濃厚な魚の旨味があり、色々な料理の味付けに使えそうだ。

 他にも料理が趣味というだけあって、店内にはガーリックパウダーやタイム、オレガノ、チリパウダーなど多様なハーブや調味料が所狭しと並んでいる。

 食べることが好きな俺にとってはまるで宝石箱のような店である。

 俺はこんな店に気づかず帰る予定だったのかと思うとゾッとするが、今後モリーの店とは末永くお付き合い願おう。

 だが、問題が一つあった。

 ガーリックパウダーなどの調味料はそこそこの在庫があるし、値段も思ったよりは安いのだが、魚醤である『モリーソース』は試作に時間がかかったことに加え、樽に仕込んで完成するまでも一年ほどかかるのだそうで、三百ミリリットルぐらいの瓶で五百ガルと結構高い。

 しかもいくつかの樽に仕込んでいるが、それほど大きな樽ではないので、一つの樽で百本ぐらいしか出来ないのだとのこと。

「ほら、うちの店も最初は実験的な感じで作ったから。店が傾くような資金投入も出来ないじゃない? まあ最近ではボチボチ売れるようになってきたから、数年で回収できればいいなって感じなのよ」

 確かにそんなに大きな店ではない。

 お客さんも今は息子さんが店で相手をしてくれているが、そんなに混雑するって様子でもない。

 実際、調味料なんて、一度買えば当分使えるもんだしなあ。

 今のモリーソースの在庫を聞くと、大体八十本ぐらいとのこと。

 全部買っても四万ガルならまとめて欲しいが、それだと新しいのが出来るまでこの町の人が買えなくなってしまう。

「とりあえず今後のことは別にして、五十本まとめて買えますか?」

 よその国の商人であることは既に話をしているので、ある程度はお得意さんになるだろうともてなしてくれていたのだと思うが、数の大きさに驚いたようだ。

「五十本ですって? いきなりそんなに大丈夫なの? いやうちは嬉しいんだけれど」

「こう見えても私、売るのだけは自信あるんですよ。まあ自分が気に入ったものだけなんですけれどね。……それと、ビジネスとして一つご相談があるんですが」

 俺はトランクからPONカレーのルーを取り出した。

「これは?」

「私の国で売られているカレーというシチューの、ベースになるものを小麦粉などで固めたものです」

 俺は考えていた。

 トランクの中にあるものを売るためだけなら、こんな面倒なことをしなくてもいいとは思う。

 だが、ある程度世間に根付かせないと、それがどういうものか分からない。特に食べ物などその最たるものである。

「これはいい香りがして、素晴らしくパンやライスに合うんですよ」

 などと説明されたって、味や香りはどんなものが分からなければ想像しようがない。

 日本でカレーといえばこういうもの、というのが認識されているから、黒っぽい塊の状態のルーも売れるのであって、知らない人間がただ見ても想像がつかないし不気味だろう。

 カレーの認知度を上げるべきだ。

 そして、俺しか持っていないルー以外にも、この国で作られるルーだって存在すべきだ。

 カレーなんて色んな味があってしかるべきなのだから、俺だってPONカレー以外のカレーも食べてみたいのだ。

 料理が好きで魚醤まで作れるモリーなら、ルーの原型であるスパイスやハーブの調合も可能なのではないかと思ったのだ。

 俺は、自分の国のカレー事情を話しつつ、是非ともモリーにルーを研究してもらいたいと頼んでみることにした。今後の成果に応じて経費プラスアルファも支払うつもりであると。

「カレーねえ……」

 不思議そうにPONカレーの箱を眺めているモリーに、やはり箱じゃ分からないよなあと思う。

「多分一度味わってもらった方が、何が使われているかとかも想像しやすいと思うので、よろしければ作ります。ニンジンとジャガイモとタマネギと肉があれば簡単にできますので。……あ、ちなみにライスはこちらで売ってますか?」

「え? ああライスね。売ってるわよ」

「じゃあ野菜をちょっと買って来ますので、戻りましたら少しだけキッチンをお借り出来ますか?」

「え、ええ、それは構わないのだけど……」

 モリーソースを五十本買おうとしているお客に、あまり強く断れないだろうことも実は想定済みだ。

 そしてモリーも結構興味を持っていることも感じる。

 作ればアマンダたちのように気に入ってくれるはずだ。

 営業の世界は駆け引きが大事なのである。

 俺は笑顔で立ち上がった。



「いやあ、良かったなあおい」

『ポゥ』

 俺は青い鳥とともに、またホラールの町へ向けて出発していた。

 モリーに作ったカレーライスは息子とともに大好評だったし、モリーは味わいながらも早速、

「……これはコリアンダーよね? チリパウダーも入っているようだし……ナツメグもかしら」

 などと味の考察に入っていたし、俺は俺でご飯でカレーが食べられて満足だ。

 青い鳥はその間どこかに飛び立つこともなく、モリーがくれたパンを食べながら、ウトウトと日向ぼっこを楽しんでいるようだった。

 モリーとは商品開発について提携を結ぶ話も出来たし、また来月状況確認のためにサッペンスに来ることにはなったが、今後を思えばなかなかよい成果ではないか。

 これからも俺の生活のためにせっせと稼がねば。

 俺は荷台に乗せたモリーソースと、町を出たところの脇道でトランクから取り出して山積みにしておいた商品を眺め、うんうんと一人頷いた。

 また今夜も野営だが、町で一泊休んで帰るよりも、なるべく早く戻りたい方を優先してしまった。

 だがサッペンスの店で荷馬車につける大きめのランプとマッチ、それにオイルを購入したので、夜もそこまで暗くは感じないだろう。

 とはいえ馬だって疲れるし、ゆっくりとでも荷馬車を走らせているだけで半日は確実にかかっていたと思うので、今夜も早めに休んだ方がいいだろう。

 俺は、日が暮れてきたところで馬を止め、野営の準備を始めた。

 相も変わらず青い鳥はゆるい三角形のようなシルエットで御者席に座っており、足をぷらんぷらんさせて俺を眺めているだけだ。

「お前も手伝えよ、と言えないところが辛いところだな。鳥だもんなあ」

 そんな軽口を叩きながらも手早く火を起こし、金網テーブルをセットする。

 サッペンスで豚肉を厚めにスライスしたのが売っていたので、たんまりと買って来た。

 モリーソースを塗って焼いたら美味いのではないかと思ったからだ。

 ああ、考えただけでよだれが出そうだ。

 俺は取り出した豚肉を、皿に出したモリーソースに両面浸すと金網に載せた。

 やはりランプがあると、明るくなっていいな。すごく明るいってほどじゃないが、周囲を照らすには十分の明るさである。

 俺はじりじりと焼けていく豚肉を眺めていた。

 豚肉の焼けるいい匂いにモリーソースが香りを添えて、ちょっと焦げた匂いも食欲をそそる。

 青い鳥には味のついてないのを先に焼いて冷ましてある。

 俺は俺で、モリーソースを堪能しよう。

 焼けた肉を一枚取り、口に放り込む。

 じんわりと溢れる豚肉の旨味とモリーソースの味わい。

「くーっ、うめえええ!」

 醤油ではないが近い味わいに、ふるさとの味みたいな感覚になる。

 これ、砂糖とか胡麻とか色々加えたら、焼き肉のタレみたいになるんじゃないかなあ。

 俺は新たな商品開発も考えながら夢中で豚肉を食べていた。

 少しして、何だか背中がぞわりとしたので冷えたかなと思い、やはりスープも作ろうかと立ち上がると、荷馬車の後ろの方からグルグルと何か唸り声のようなものが聞こえた。

「……っ?」

 俺がびくっとすると、一頭の黒い犬が現れた。

 犬というか、いやまあ頭は一つだし四つ足だし多分犬だとは思うんだけど、子牛ぐらいの大きさで、鋭い牙が開いた口にずらりと並んでいるコレを、犬と呼んでいいのだろうか。

 肉の焼ける匂いに近づいて来たのだろう。モリーソースの香りもするしな。

 やばい、死ぬかも。

 昨日安全だったからって今日も安全ってなんで思ってた自分。

 まずいぞ。まずとろくさそうなあいつを先に逃がさないと。

 だが御者台に目をやると、あのまんまるボディーの姿がない。

 危険を察知して空に逃げたんだったらいいが。

 いくらサバイバル能力はなくても、せめてダマスカス包丁さえあれば少しは戦えると思うのだが、ちょっとでも視線を逸らしたら襲われる可能性が高そうで、うかつに荷馬車に近づけない。

 ──これからホラールで商品売りまくるんだ。これからって時にあっさり死んでたまるか。

 俺は勇気を振り絞り、ダッシュで荷馬車に向かおうとした時、頭上からすごい勢いで何かが落下してきた。

「鳥っ!」

 さっきまで御者台でのほほんと肉が冷めるのを待っていたはずの青い鳥が、犬の背中に爪を立て、くちばしで顔を攻撃していた。

 ギャインッ!

 何とか引きはがそうと飛び跳ねる犬に容赦なく攻撃をする青い鳥。

 一瞬呆然としていたが、チャンスだと思い、荷馬車のトランクからダマスカス包丁を取り出した。

 犬が近くの木に体当たりした衝撃で、青い鳥が吹っ飛びコロコロと地面を転がる。

「てめえウチの子に何してくれてんだ! ああ?」

 俺はカッとなって包丁で犬の体に切りつけた。

 ギャンッ、と吠えた犬は、形勢不利と見たのか分からないが、ザザザっと草をかき分けるようにして走り去った。

 こんなヘタレでも何とかなるもんだ、と思いハッとする。

「おい鳥、大丈夫か?」

 急いで転がった青い鳥のもとへ向かったが、立ち上がった姿を見ても、特にケガをしている様子はない。このまんまるボディーがクッションになったのなら幸いだ。

「痛いとこないか?」

『ポッポッ』

 念のため翼なども持ち上げて全体的にチェックするが、血が出ていることもない。

「脅かすなよほんとにもう。……でも助かった。ありがとな」

『ポゥ』

 こいつは俺の命の恩人である。

 たき火の傍でご機嫌な様子で豚肉を食べている青い鳥の姿を眺めながら、俺は思った。

 彼、だか彼女だか分からないが、こいつをこのまま森へ返すのは、危険がある中を置き去りにするってことでもある。まだ子供なのだ。小鳥なのである。

 ──いや、正直小鳥というには既に大型犬ぐらいのサイズだけども、それでもブルーイーグルの子供だと言われたし、親も周囲にいないということは世渡りもまだ学べてない可能性がある。

 一人でしっかり生きて行けるぐらい、せめて大人になるまでは見守る義務があるんじゃないか。だって俺の命の恩人だぞ。

「……なあ、鳥」

『ポ?』

「お前、森に帰らないでしばらく俺と一緒に暮らしてみる? いや、無理にとは言わないんだけどさ、ほら今回みたいに危ないことがあるかも知れないし、そのまま返すのも心配っていうか──」

 豚肉を食べていた青い鳥は、ひょこひょことこちらに歩いて来た。だからお前鳥だろ。

『ポッ!』

 軽くパタパタと羽を広げ、俺の周りをくるくる回る。どうみても嫌がっている様子はない。

 いや分からないけど嫌がってないことにしよう。

「いいのか? じゃあ今日から俺の相棒な、お前」

『ポッポッ』

「そうすると、毎回鳥って呼ぶのもアレだし、名前決めないとな」

 何か期待を込めた眼差しで俺を見ている青い鳥に、俺も必死で考える。

「うーん、ポーちゃんとか?」

 いきなりぱっちりおメメが糸目になった。返事もない。やはり単純すぎたか。

「……俺の名前はケンタローって言うんだけどさ、ジローってどお? タローにジロー。ちょっと兄弟みたいで良くない?」

 目を開け、少し考える様子で首を捻っていたが、

『ポウ!』

 と声を上げた。

「よし、じゃあお前は今日からジローな! よろしくジロー」

『ポ』

 俺は、モリーソースと一緒に相棒まで手に入れてしまった。

 とりあえず、帰ってからアマンダ夫妻にジローと住めるとこがあるか尋ねないとな。

 ……いやその前にお金ないから貯めないと。大変だぞこれから。

 俺は荷馬車の中でむっちりした青い体に押され気味になりつつも、何か温かい気持ちになって眠りに落ちて行った。




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