恩田、町に来る。
ホッケーマスクの大男に連れて来てもらったのは、ホラールという町であった。
日本でいえば地方都市のようなイメージの中規模な町だろうか。
建物と建物の間隔が割合広くゆとりがあるし、歩いている人たちも話をしては大笑いしている男性たちもいたりなんかして、陽気で大らかな感じにも思える。
ただレインボーの花が花壇に咲いていたり、人々がペットのように連れ歩いているのが手足のついたバナナのような生き物だったり、とぼけた顔のパグに似た頭が二つ並んでいる双頭のケルベロスもどきの犬っぽい生き物だったりと、やはり俺の知る世界でないのは確かなようである。
だが一流営業マンたるもの、どんなに驚こうとも動揺は顔に出さないのが基本である。
心の中では「いやあ、すげーな、単純に食費二倍かかるよねアレ」とか「あのバナナみたいなのはある意味ニッチ層には人気あるかも知れない」などくだらないことを考えていたりするのだが、顔は凪いだ海のような通常モードである。
だが顔は平常心でも心は平常心とは程遠かった。
財布にはそれなりに日本円があってもここでは何の役にも立ちそうにないので無一文。
お金がないというのは、よその国にいる自分にはかなりの恐怖である。
日本で貯めていたけっこうな額の貯金も、家族いないし国に没収されてしまうのだろうか、マンションの家賃は引き落としが出来る間は契約が残っているのだろうか、いやそもそも戻れるのだろうか、アポイント取っていた企業の信頼を落としてしまっただろう、もう寿司は食べられないのか、など雑多な感情が次々と押し寄せているし、生活の基盤をここでも作らねばという焦りもある。
(……さて、まずはどうしたものか)
と思ってあてもなく歩いていると、町の広場のようなところに出た。
どうやら行き交う人の多さに、今日は週末なのかも知れないと推測していたが当たっていたらしい。大きな噴水のある広場ではバザーのようなものが開かれていた。
ソーセージや肉の焼ける匂い、ワゴンに並べられたパンに洋服、雑貨などを眺めつつ、素早く値段もチェックし、相場を確認しておいた。
パンや牛乳の金額を聞いた時にも思ったが、日本と大体同じぐらいの物価と考えて問題なさそうだ。若干安めに思うのは、大きな都市ではないからかも知れない。
賑わう人々の声をBGM代わりに歩いているうちに、俺の営業スイッチが入った。
よし。バザーなら参加させてもらえるかも知れないし、とりあえずここで当座のお金を稼ごう。
俺は地べたでアクセサリーを売っていた女性に尋ね、バザーの主催者のいるテントに向かうと、笑顔で挨拶をした。初対面は好感度を上げるのが大切だ。
「おや、こんな田舎に旅行かね?」
俺の大きなトランクを見て驚いたのは、五十歳前後に見えるアマンダという女性だった。
彼女が主催者らしく、商店街で長いこと飲食店をやっているらしい。
初めて見る相手にも愛想がよいのは、商売柄だろうか。
ふくよかな体格のわりに動きもキビキビとして若々しく見えるが、髪の毛だけは年相応というか、あまり手入れをしていないようだ。パサついた白髪も見える長い茶髪を、雑に後ろでまとめてバレッタで止めているだけである。
俺の売っているシャンプーとトリートメントを使ったら、一週間もしないうちにツルツル艶やか美髪になるだろうにと思うと営業魂が疼いたが、いきなり高級品を売るのはさすがにまずい。
ある程度信用を得てからだと我慢した。
俺は、旅行者ではなく他国の商人であると伝え、バザーの一角を少し貸してくれないだろうかと頼んでみだ。
「参加費がいるならもちろんお支払いします。ただ、強盗に遭ってお金を盗まれたので今無一文でして……商品を売ったお金でお支払いするのでもよろしいでしょうか?」
流れるようにもっともらしい嘘が口から出てくるが、悪意は断じてない。
嘘をつくのはよくない。もちろんそれは分かっている。
だが正直に本当のことを言って狂人扱いされるのも困るのだ。
『嘘も方便』という言葉と、『噓つきは泥棒の始まり』という言葉が俺の脳内でテニスボールのように飛び跳ねているが、俺は決して泥棒ではない。
むしろお客様のニーズに応え、適切な商品を提供する側の人間である。
そして相手を不安にさせたり混乱させないために、致し方なく嘘をつかざるをえない状況。
つまりは相手への気遣い、社会的なマナー、おもてなしの気持ちのトリプルコンボだ。
──よし、俺の嘘は合法。
速やかに脳内会議を終了させた俺は、早速トランクからバウムクーヘンとビーフジャーキーを取り出した。
「こちら、大したものではないんですが、我が商会で取り扱っている商品でして……あ、甘い物はお好きでしょうか? 塩気のあるおつまみなんかもございます。とりあえず味見していただけると嬉しいのですが。ままま、お近づきの機会に、ままま」
自分に有利にかつ円滑に物事を進めるのであれば、コスト度外視が一番早い。……まあもうトランクの中身はコスト0みたいなものなので、実際は痛くもかゆくもないのだが。
俺はトランクから小ぶりの包丁を取り出す。
これは完全受注生産で、年に十本作るのがやっとという名匠・関根孫八のダマスカス包丁だ。四万近くもするお高いものなのだが、最近かなり評判が良く売れている商品だ。
これがまー冗談みたいにスパスパと良く切れる。
トマトも五ミリ幅でスライスしても身が潰れもしない。
仕事で関わるようになってから知ったが、ダマスカス鋼ってのは異なった素材の金属を鋳造しているので、刃先以外が独特の模様だったり、軽石のようにボコボコしているのもあったりして、見た目もなかなか味がある。しかも手入れさえしっかりすれば、切れ味はスパスパのままで数十年は楽勝で使えるよ、と孫八氏は断言していた。
俺はトランクの中身が消えないと分かってから、バウムクーヘンを切るため高級包丁を使うことに何のためらいもなくなっている。
「あれまあ、渦巻きが綺麗なもんだね」
主催者であるアマンダ以外にも三人ほど商店街の人がいたので、ついでにカットして「ままま」と笑顔でバウムクーヘンを勧め、ビーフジャーキーを勧めた。
「……ビール欲しくなるな、これ! 美味いよ兄ちゃん!」
赤ら顔の男性はビーフジャーキーが特に気に入ったようだ。だがバウムクーヘンも遠慮なしに手を伸ばし、もしゃもしゃと食べている。
食べてもらった感想はみなお口にあったようで、その場で買いたいと言ってくれる人もいた。
「実はこちらも含めて、私が扱う商品は珍しいものでばかりでして。船で他の国から輸入しているもので、少々お値段が張ってしまうのですが……」
申し訳なさそうに伝えつつ、
「ただ、皆さまには今後仕事でご迷惑をお掛けすることもあると思いますので、本来千五百ガルのところを千ガルでご提供させていただきたいと思います。本当は無償でといいたいところなのですが、何しろ強盗に有り金ぜーんぶ持って行かれてしまったもので……」
と悲しそうに微笑んで見せる。
「本当に真面目そうなお兄さんなのに、災難なこったねえ。ほら最近この辺も物騒だから」
「せっかく商売に来たのに散々だなあ。よし、俺はこのビーフジャーキー三つつくれ」
「あたしはバウムクーヘンがいいね。娘夫婦にもあげたいから二つ」
町の人たちが気軽に飼ってるペットの方がよほど物騒に思えるが、そんな感情は心の中に秘めたまま、俺はありがたく初の使える現金を手に入れた。
この国ではすべて硬貨のようで、一万ガルは金貨、千ガルは銀貨、百ガルは銅貨、十ガルは透明感のある石貨と学んだ。一ガル単位はないらしい。
日本みたいに毎回買うたびに消費税のような細かい税金が発生することもないようだ。これは今後の商売に関係するので、素早く手帳にメモした。情報はお金と同じである。
みんな他国の人間だからか、聞けば親切にいろいろ教えてくれた。
境遇にも同情され、バザーも利用料なしで出していいという。ありがたく目をウルウルさせ感謝を伝えておいた。
町で商品を売るのも大事だが、まずは町の住民と自然な感じで溶け込むこと。
俺はよその国の人間であることは顔立ちや髪型で丸わかりだ。
スーツ姿だと「民族衣装か」と聞かれたこともあるので、服装もなるはやで地元のものを探さねばならない。まあ民族衣装かと聞かれると、日本のビジネスマンはスーツを着ることも多いので、民族衣装と言えないこともないんだが。
そうだ、泊まるところも見つけなければ。
まだ小金が入っただけで、何も安心できる要素がないのだが、俺は少しワクワクしていた。
目標を決めて努力するのは達成感が得られるので大好きだ。
俺の営業力がこちらでどのぐらい通用するか分からないが、やれるとこまでやってみよう。
そう思うと、また働く活力がどこからか湧き出てくるのだった。
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