After:第7話
カポーンと桶かなにかが落ちる音が浴場に響いた。
「あー、生き返るぅ、広い風呂もいいもんだなぁ」
「ミハエル、はしたないぞ。……だが、その気持ちもわからんでもない」
はぁーっとアッシュとレオンはそろって息を吐いた。
王都でも二人そろって風呂に入るなどなかった経験だ。それも故郷を遠く離れた国でなんて子供のころは思いもしなかったことだろう。
「それにしても、アリシアさんはすごいな。ミハエルはいつもこんなお風呂に入ってるのか?」
「そんなことはないよ。いつもは一人用の風呂なのに、アリシアが客人用に広い風呂に変えたんだ。……俺だって、こんな風呂に入るのは初めてだよ」
「まあ、姉さんがすごい人だっていうのは同感ですわ。兄さん見る目ありますなぁ」
湯船に浮かべた桶に浸かったリッキーが、なぜか得意げにレオンに話しかけていた。レオンはレオンでリッキーのことが気に入っているのか、桶を引き寄せてリッキーの頭をなでている。濡れているため、あまりなで心地はよくないだろうに。
「リッキーさんは、アリシアさんと一緒に暮らして長いんですか?」
「おっ、聞きたいんか?ワイと姉さんの愛のメモリーを」
機嫌をよくしたリッキーは、上機嫌にいつかの渓流でアッシュに聞かせた話をレオンにし始めた。一回聞いたことのある話でもあったからか、アッシュは特に聞く耳を持たず湯船にゆったりと浸かりながら天井を見上げていた。
「それにしても、兄さんとアッシュ、あんまり似てへんよな。ワイは人間の兄弟って大体見分けつかへんけど、あんさんらならワイでも見分けがつくで」
アッシュが寝かかっている間に、二人の会話は別の話に切り替わっていた。どうやら、アッシュとレオンが兄弟にしては似ていないという話のようだ。
実際、兵士として体を鍛えていたこともあって筋肉質なアッシュに対して、勉学ばかりだったレオンの体は細身で、似ている部分と言えばヴァルトシュタイン家の人間である証の赤い髪の色くらいだろうか。リッキーが似ていないと感じるのも無理はなかった。
「まあ、実際あんまり似てないしな」
「そうですね、ミハエルは父似で、私は母似とよく言われてましたし、役割も違っていたので、似ていなくてもおかしくはないですね」
二人とも、似ていないという言葉を子供のころから言われ続けていたせいか、慣れてしまっていた。そのため平然としていた。
「そろそろ出ようか。……あんまり浸かりすぎると先輩の毛がぺたーんってなっちゃうし」
「それは大変だ。その前に出ないといけないな。リッキーさん、どうぞ乗ってください。脱衣所までお連れしますよ」
リッキーを右手の上に乗せたレオンが先に湯船から出ると、アッシュもその後ろに続いた。
「そういえば、兄上。ステラと結婚するらしいですね。おめでとうございます」
湯船から脱衣所までの移動のタイミングで、アッシュが思い出したかのようにそう口にすると、レオンの足が止まった。
「あー、うーん、そうだなぁ、それについてはあんまり気にしないでくれ」
困ったように左手で頭をかいていた。こんな兄の行動というか、言動を見るのはアッシュは初めてのことで困惑した。それに結婚のことを気にするなとはどういうことだろうか。
「一応、公には婚約したとはなってるが、彼女の方がその気がないんだよ。いろんな体裁があるから、そういう関係ってことにしてはいるけどな」
「そんな、なんでそんなことに?」
「それは……」
レオンはその先を口にすべきか迷った。
ステラの思い人がミハエルであり、そのために自身が仮の婚約者という関係にならざるを得なくなった経緯を説明するかどうか、をだ。
「————政治的な話だよ」
結局、レオンは本当のことを口にすることはしなかった。
ステラの思いに関しては、本人から告げられるべきだと思ったし、この関係にあることで得をしているのは自分なのだから、弟に変な気遣いをさせるのは気が引けたからだ。
政治的な話と言われてしまえば、アッシュはそれ以上深堀する気になれなかった。ヴァルトシュタイン家から逃げ出した以上、そういう話に口を出すべきではない立場だと考えているからだ。それを見越して、レオンはそう回答していた。
「……さぶっ」
「湯冷めしてしまいますね。早く乾かしましょうか」
抱えられていたリッキーがぶるぶると体を震わせたので、レオンは急いで脱衣所へと入っていった。
(……人間って、めんどいなぁ)
レオンに体を拭かれている間、リッキーは他人事のようにそう考えていた。
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