第16話
玄関を出たとたん、アッシュは度肝を抜かれることとなった。
「お、おい、なんだよ、これ!?」
震える声でアリシアに問いかけた。————その理由は、
「なんで、カボチャの馬車なんかがあるんだよ!?」
まるでおとぎ話の中から出てきたようなカボチャの馬車が止まっていたからである。
もちろん、それがアリシアのものであるはずもなく、聞かれたアリシアもこめかみに手を当てて理解に苦しむような苦い顔をしていた。
「こういうのが趣味なのよ。……他人への嫌がらせが」
その声には嫌悪感がにじみ出ていた。だが、アッシュにはこれがあまり嫌がらせとは思えなかった。では、なんなのかと聞かれると微妙なところではあったが。
「いやがらせとは、わが主人も嫌われたものですね」
カボチャの馬車の影からぬるりと人影?があらわれた。
アッシュたちの腰ほどの身長のその人は、まるで鬼のような姿をしていた。スーツを着ているので、人間にも見えなくもないが、頭には隠しようがない角が生えており、両腕は地面に着きそうなくらいに長かった。
ただでさえ不機嫌そうだったアリシアは、その人物を見るなりさらに顔を険しくした。
「……あなたが迎えね。さっさと出発しましょう」
「そうカリカリされては、せっかくの美貌が台無しですぞ」
アリシアのとげとげしい言葉も、小鬼はどこ吹く風で適当に受け流した。そのままカボチャの馬車の扉を開けると、そちらに乗るように二人を誘導した。
アッシュは足元のおぼつかないアリシアを補助しながら先に乗せた後、自身も馬車へと乗り込んだ。
中はなんてことのない対面四人掛け馬車だった。室内は狭くも広くもなく、左右に大きな窓が開いているくらいでとくに凝った装飾があるわけでもない。見た目がカボチャなだけの普通の馬車だ。
すでにアリシアが進行方向を向いた席に腰かけていたので、アッシュは当然のように対面に座ろうとしたところ、
「————アッシュ」
アリシアがとんとんと自分の隣を指でつついた。————どうやら、隣に座れということらしい。
促されたままにアリシアの隣に座ると、馬車の扉が閉まった。
「では、発車します。多少の揺れはご容赦ください」
小鬼の声が聞こえるなり、馬車は揺れ、ゆっくりと動き始めた。
「……アッシュ、この間言ったことは覚えているでしょうね」
「ああ、ちゃんと覚えてるよ」
それは、あの手紙が爆発した後のことだった。
「おい!なんだったんだよ、あの手紙!?」
「姉さん!ぶじですか!?」
「うるさいっ!……説明するからすこし黙って」
騒ぐ一人と一匹を制したアリシアが口にしたのは、なんとも信じがたいような話だった。
「あの手紙の差出人は、いうなれば裏世界の王。人間とは根本から違う、化け物たちが住まう世界の王様よ。————まさか、今更また関わることになるなんて思ってもみなかったけどね」
「……うらのせかいの、王」
アッシュには、あまりにも眉唾な話だったので、瞬時には理解ができなかった。一緒に聞いていたリッキーも初めて聞く話だったのか、目をぱちくりとさせている。
「クマのことを聞いた時から何となく彼らのことは頭にあったけれど、やっぱり犯人だったのね。状況から見るに、アッシュを連れて顔を見せにこいってことでしょう。心配しなくていいわ。パーティーに招待といっても、顔だけ出せば満足するような人たちだから」
アッシュの瞳が不安で揺れていることを察したアリシアが気遣うような言葉をかけた。————だが、彼女は知らなかった。それが本当は別のところへの憂いだったことに。
「今からいう三つのことを守ってくれれば、あなたに危害は及ばないわ」
「離れない、勝手にしゃべらない、勝手に動かないの三つだろ」
時は戻って現在、アリシアに言われた約束事を記憶の通りにアッシュは口にした。
それを聞いたアリシアは、ふふんと得意げな顔をして、
「わかっているならよし!……ねぇ!そろそろ、降りていい?」
アッシュの回答に満足したアリシアが妙なことを口走った。
降りるもなにも馬車はまだ動いているのだから、目的地にはついていないはずだ。なのに降りるなんて、何を言っているんだろうかとアッシュが不思議がる中、馬車の前方から声が聞こえた。
「わかりました。……では、そろそろ止めさせていただきます」
窓の外の景色が一瞬にして消え、真っ暗闇の世界に変わった。同時に馬車の揺れも止まり、扉が開かれた。
「なにがなんだか、さっぱりわからん」
瞬く間の状況の変化についていけないアッシュがぼやくと、
「そもそもこの馬車動いてないのよ。簡単に言えば、そういう動きをするだけのおもちゃ。理解できないのも無理ないわ。……私だって理解できないもの。こんなことする理由なんて」
アッシュとアリシアでは理解できない部分がだいぶ異なっていたが、説明を聞いてもわからないことだけはわかったので、アッシュは理解しようとはせず、そういうものなのだと呑み込むことにした。
アリシアを補助しながら、馬車を降りたアッシュが目にしたのは、星すらない夜空に煌々と輝く月が照らし出す闇の世界だった。
周囲にあるのは、生気のなくなった枯れ木の森と石でできた墓の数々。唯一、月に照らされた古城が遠くに見えるくらいだ。
「主の命により、城よりすこし離れた場所に止めさせていただきました。裏の世界の散歩をごゆるりと堪能くださいませ」
残響のような声だけ残して、カボチャの馬車と小鬼は消えてしまった。
残されたのは男女一組、アッシュとアリシアだけだった。
「アッシュ、仮面をつけなさい。————ここからは、一瞬たりとも離れないように」
頼もしい言葉とは裏腹に、アッシュは背中に氷を当てられているような、そんな嫌な感覚がしていた。
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