第12話

 異変に気付いて振り返ったアリシアの視界に入ったのは、飛び散る鮮血と宙を舞う人間の姿だった。

 それが誰なのか、彼女にはすぐわかった。そしてなぜとも思った。こういう事態を想定して彼を屋敷に置いてきたのに。

 状況は一目見ればあきらかだった。アッシュは身を挺してアリシアを守ったのだ。

 思考がそこまで追いつく前に、アリシアの体は跳んでいた。

 空中でアッシュの体を大事そうに抱きかかえると、音もなく地面へと着地した。それでもかすかな衝撃でアッシュの血が零れ落ちる。

(……馬鹿ね。本当に、————バカ)

 体の至る所の骨が砕け、その何本かは内臓へ刺さっている。反射的に体の前に出したであろう両手の肉は裂けて、その下にあった骨が見えてしまっている。————あきらかに致命傷だ。今はかろうじて生きているものの、長くはない。普通の治療では間に合わない。

「リッキー!」

「はい!……って、アッシュ!?」

 アリシアは腕の中に抱えたアッシュを木陰に寝ころばせると、リッキーを呼び出した。

 リッキーは状況を把握していなかったのか、血まみれのアッシュを見て目を丸くしているが、そんなことにかまわず

「三十秒で片付けるから、“薬”を持ってきておいて」

 リッキーに有無を言わせない強さでアリシアはそう告げると、さきほどまで自分の立っていた場所をにらみつける。

 そこにはクマが二匹、一匹はアッシュの血にまみれていた。それを見てアリシアの中に、怒りや悲しみなどのさまざまな感情が渦巻く。しかし、ほとんどは目の前のクマたちにではなく、自身に向けられたものだった。

 巻き起こる感情たちをアリシアは頭を二度振って消し去った。反省などしている間にもアッシュは死の危機に瀕しているのだ。そんなことよりも、————彼を助けるのが先決だ。

「……今更、許してもらえると思わないでね」

 その言葉にクマたちはおびえたように瞳を震わせた。そして本能的に攻撃に移ろうとしたのだろう。だが、それはかなわない。

 動き出すよりも早く、アリシアが両手で二匹のクマを指さした。それだけで彼女よりも大きいはずのクマたちは一切の動きを封じられた。

 次に大きく円を描くように、クマを指さしたままの右手を同じ状態の左手にぶつけた。手の動きと同期するようにクマ同士がぶつかり、悲鳴にも似た低いうなり声を漏らす。

「————慈悲はない。二匹仲良く遠くの海に還るがいいわ」

 その声は重く、冷たい。

 アリシアが両の掌を合わせると同時に、二匹のクマが消えた。そして彼女の言葉の通り、どこか遠くの海の上、二匹のクマは押しつぶされ、バラバラになった姿で海に沈んでいった。

 ————ここまでたった二十秒の出来事だった。


「————アッシュ!」

 クマを始末するとすぐに瀕死のアッシュのほうへとアリシアは走った。この時点でクマのことは頭の中にかけらも残っていなかった。

「お待たせしました!」

 一本の小瓶を背中に担いだリッキーが肩で息をしながら走ってきた。

「すぐに頂戴」

「あいさ!」

 リッキーが持ってきた小瓶には、走って運ばれてきたにもかかわらず、黒と緑の液体がまったく混ざらずに入っていた。アリシアが調合したその特殊な薬を、彼女は“魔女の薬”と呼んでいる。

 アリシアは魔女の薬をリッキーから受け取ると、間髪入れずに一息で飲んだ。

 すべて飲み終えると同時に彼女の体に力が戻る。魔女の薬は、アリシアの力を充填するためのものなのだ。

「ここじゃあ満足に治療もできない。移動するから捕まって」

 アリシアの指示に従い、リッキーは彼女の体に捕まった。

 寝そべっているアッシュの体に触れると、一瞬で二人と一匹はアッシュの部屋へと移動していた。

「すぐに治療を始める。リッキー、今からいうものを持ってきて。————絶対に助ける」

 それは決意であり、誓いでもあった。

 いつぞやのリッキーの時と同じ、自分を助けた者が死んでいくなんていう理不尽を彼女は許さなかった。

 それはあの時もいまも同じだ。



 ***



 五十年ほど昔のことだ。

 アリシアが住んでいた森に火が放たれた。

 それは俗にいう魔女狩りの一つであった。

 周囲の生物のことなどお構いなしに火は放たれ、森に住む生き物たちは炎に追われ逃げることを余儀なくされた。

 だが、そんな状況の中でも彼女を助けようと走った生き物がいた。

 ソレは、自身の手足が炎に焼かれようと、煙に喉を焼かれようと、彼女のもとへとひた走った。

 やっとの思いで彼女のもとにたどり着いた時には、ソレの意識はなく、余命もわずかな状態だった。

 それもそのはずで、右の前足はほとんど焼き切れており、小さな体は倒れてきた灼熱の木に一度は押しつぶされていたのだ。たどり着けたこと自体が奇跡だった。

 アリシアはボロボロになったソレを大事そうに抱えると、自らの力のほとんどを使い、燃え盛る森を消火した。

 そして自らの力の補充に使う薬をほんの一滴分け与えて、ソレを蘇生させた。

 蘇生したソレは少し様子がおかしかったが、姿は蘇生前と同じだったので彼女は特に気にしなかった。

 蘇生させた手前、置いていくこともできず、なおかつアリシアを慕っていたので、彼女はソレを一緒に連れていくことにした。


 そして、その時初めてソレに名前が付いた、リッキー。

 ————アリシアが名付けたリスの名前だ。

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