第13話
アッシュは暗闇の中にいた。
なぜここにいるのか、見当がつかなかったが、ただならない状態であることは容易に想像がついた。
なぜなら、暗闇の先に広がる景色の中に彼が忘れていた、いや正確には忘れようとして頭の隅に追いやっていた景色が見えたからだ。
まるで明りに引き寄せられる羽虫のように、アッシュはその景色へと引き寄せられた。
白亜の城の中庭、そこで金髪の少女が高価なドレスを気にせずに膝をついて何かをしていた。
『ねえ、————、見て!私も作れるようになったのよ』
顔をあげた少女が手に持っていたのは、花冠だった。その作り方を教えたのは、まだアッシュではないアッシュだった。
記憶の中の少女は、その大きな翡翠色の瞳で、————に笑いかけていた。そこで切り取られたように止まってしまった。
アッシュは目を背けた。
その景色は、彼が置いてきたものであり、捨ててしまったものだったからだ。罪悪感から満足に直視することもできなかった。
止まってしまった少女の笑顔を受け止めきれず、逃げるように体を反転させ、暗闇のほうへと歩き出した。
だが、罪悪感からなのか、ずっと少女の視線を背中に感じており、さらに逃げるために駆け出そうと足を踏み出した瞬間、暗闇に落ちるように沈んでいった。
***
悪夢の中からゆっくりとアッシュは目を覚ました。
長い眠りから目覚めた胡乱な頭では、記憶すら定かではなかったが、窓から差し込む太陽の光で昼であることくらいは認識できた。
寝かされていたベッドから起き上がろうと、体に力を入れると腰のあたりに暖かな重みがあることに気が付いた。
(……なんだ、これ)
ベッドに横たわっているアッシュにもたれかかるようにアリシアが眠っていた。それにう付き添うようにリッキーも寝ている。どちらもすやすやと気持ちよさそうに寝ているようだった。そのうえ、妙に頭も体も重たいものだから、当分は動けないことをアッシュが覚悟したとき、
「……んっ、……アッシュ?」
アッシュが目覚めたことで生じたかすかな動きによって、アリシアが目を覚ましたようだった。だが、アッシュを見つめるその目はまだ寝ぼけているようだった。
「目が覚めたのね。————よかった」
うれしそうな顔をしたアリシアの手がアッシュの頬に伸びてきた。
逃げようにも腰のところにアリシアの頭が乗っているせいで逃げることもできず、アッシュは頬で受け止めた。
細くしなやかなアリシアの指が触れた瞬間、アッシュは自身の体温がぐっと上昇するのを感じた。おそらく顔が真っ赤になっているであろうことも。
夢見心地だっただろうアリシアも、その反応でようやくこれが夢でないことを理解したのか、かあっと頬が紅潮していく。
「……えっ、……ええっ!?」
さきほどまで寝ぼけていたのが一転、猫のように飛び起きてベッドから少し離れたところで真っ赤な顔で口をパクパクとし始めた。なにか言おうとしているようだが、言葉が出てこないらしい。
「よ、よう。……なんか、だいぶ世話書けたみたいだな」
白々しくアッシュはそんな言葉を発した。なにもなかったことにしようという、彼なりの優しさだ。幸いなことにまだリッキーは目覚めていない。
「そ、そうね。……すごく、いっぱい世話をしたわ。ほんとに、いっぱい!」
テンパっているせいか、アリシアの語彙力があからさまに落ちているが、同じくテンパっているアッシュは気づかない。
「なんやねん、……騒がしいなぁ、……アッシュ!目が覚めたんか!?」
二人が騒ぐのでその声でリッキーも目を覚ました。
目が覚めるなり、リッキーはアッシュの顔に飛びついた。それを反射的に出した右手でガードすると、
「それはもういい」
そのままアリシアのほうへとリッキーを投げつけた。
投げられたリッキーを受け止めたアリシアの目がなにかを訴えてきていたが、アッシュはあえて無視をした。
「なにすんねん!」
「リッキー、静かに」
リッキーがアリシアの手の上でなにやら文句を言っているが、アリシアの一言でシュンと小さくなった。
「腕の調子はいいみたいね。まあ、私が治療したのだから当然なのだけれど」
リッキーが目覚めたおかげでアリシアも調子が戻ったらしく、いつも通りの偉そうな態度に戻っていた。
そしてその言葉を聞いてアッシュはようやく、自分がどうしてベッドに寝ていたのかを思い出した。
「そうか……、俺、クマにふっとばされて……」
アッシュの記憶にあったのはぶつかった瞬間までだったが、あれだけの体格差があったのだから、なにが起きたかになんて考えなくてもわかった。
「全身の骨が折れて、内臓に突き刺さってもいたから普通なら死んでたわね。感謝しなさい」
「そうやで!姉さんは三日三晩、ここでお前の治療をしてたんや!感謝しい!」
「————リッキー、静かにといったわよね」
アリシアの言葉に同調するようにリッキーが騒ぎだすと、アリシアが露骨に不機嫌になり、手のひらを返してリッキーを落とした。そして、落とされたリッキーは地面に着く前に、姿を消していた。話の邪魔になるので、屋敷の外に転移させられたのだ。
そんなことを知らないアッシュは、なにがおこったのかもよくわからず、ベッドの上で小さく体を震わせた。
「な、なあ、今、先輩が……」
「気にしないで。邪魔だったから飛ばしただけよ」
怖かったので、アッシュはそれ以上、そのことには触れないようにした。
「————アッシュ」
「な、……なんでしょうか」
さまざまな恐怖から自然と敬語になっていた。
「————お腹すいたわ」
「……はあ?」
さきほどまでの剣呑な雰囲気から一転して、急に気の抜けたことをアリシアが口にするものだから、アッシュは間の抜けた返事をしていた。
「だって、あなたを助けるために三日三晩働いたのよ。……食事もしないで」
それはそうなのだが、食べなくても生きるのに支障がないアリシアから出てきた言葉とは思えないほどに、ひどく間抜けな話だった。
「そうか、しっかり世話になったみたいだし、リハビリついでに飯にするか」
そう言ってアッシュはベッドから立ち上がった。
さきほどまで感じていた頭や体の重さはもうなく、逆に軽いくらいだった。
「……それにしても食いしん坊な魔女サマだな」
その余計な一言のせいで、快調だったのはその瞬間までで、すぐに腹部を襲った強烈な痛みにうめくことになるのだが。
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