第10話
「……本当なの?それ」
「はい、正直信じられへんのですが、ほかにも数匹からそんな話が出てきたんで、間違いないと思います」
アッシュが屋敷に戻ると、玄関でアリシアとリッキーが深刻そうな顔をしながら話をしていた。
「なにかあったのか?」
「……そうね、なにか起きたかといえば、起きたのだけれど……」
十中八九、さっきの鳥の関係だと思いながらも、アッシュはアリシアに問いかけた。
返ってきた返事は要領の得ないもので、アリシアの両手の上に乗るリッキーも同じように返事に困っている。
「ごめんなさい、アッシュ。ちょっと複雑な内容だから、先に昼食の準備をしてもらっていい?その間に内容をまとめておくから、食べ終わってからその話をしましょ」
アリシアにそうやって困り顔で頼まれてしまえば、断ることなどできるはずもなく、
「わかった」
と一言だけ返事をして、アッシュはその場を離れることにした。
調理場に立って昼食を作っている間も、廊下からかすかに聞こえてくる二人の会話が雑音になってしまい、アッシュは調理に集中できなかった。
そんな中でもなんとか昼食を作り終えてテーブルに並べていると、相談会が終わったのか二人ともダイニングに入ってきた。
「待たせてしまったかしら。じゃあ、いただきましょうか」
朝とは違う重い雰囲気の中での昼食。それはアッシュにとって、食事の味がわからなくなるのに十分な緊張感だった。
「では、食べ終わったことだし、本題に入りましょうか」
食事が終わったところで、グラスに注がれていた水で口を湿らせると、アリシアは意を決したように口を開いた。
「リッキーと一緒にいたようだし、彼のところに呼び出しがあったことは知っているでしょう?」
「ああ、一緒に釣りしてた時に鳴いてた変な鳥のことだろ」
「あの呼び出しは外部からの脅威を知らせるものなの。とは言っても、いつもなら情報共有程度で済むのがほとんどなのだけれど、今回はすこし事情が違うの」
リッキーも緊急の仕事ができたとは言っていたが、アッシュにはすぐに帰ってこいとは言わなかった。それにはそういう理由もあったようだった。
「端的に言うと、この森にクマがやってきます。それも相当凶暴で危ないやつ」
「……クマ?クマって、あのクマ??」
「ええ、クマよ」
想定外の言葉にアッシュは思わず聞き返したが、アリシアは断言しているので、本当のことなのは明白だった。
想定していたのは、もっと重大なことであったり、もっと大事だと思っていたのだが、まさかクマだなんて、アッシュにとってあまりに想定外だった。彼の中ではクマなんて、結構な頻度で山や森に生息しているイメージがあったため、なおさらだった。
拍子抜けしたのが表情に出ていたのか、アリシアは一瞬困ったような顔をして
「……さすがに口頭じゃ、あんまり怖さが伝わらないみたいね。————例えばそうね、これがあなただとしましょう」
アリシアが指先でグラスをなでると、注がれていた水がひとりでに動き出し、親指大の人型が出来上がった。どうやら、それをアッシュに見立てているらしい。
「で、これが今回、向かってきているクマ」
また水が動き始め、今度は人型の正面に四足歩行の獣が出来上がった。驚くべきはその大きさで、四つ足をついている状態であるにもかかわらず、人型より頭一つ分ほど大きい。
「これが立ち上がると、これくらいになるかしら」
獣を後ろ足だけで立たせてみると大きさの違いは歴然だった。人型に対して、獣はゆうに二倍以上の大きさだ。これが実寸大になるとすれば、それはもう
「な、なあ、それほんとにクマかよ。もう別の生き物だろ……」
「そうね、生物学的には同じだけの別物と考えるのが正しいかもしれないわ」
困惑するアッシュに対して、アリシアはあくまでも冷静だった。
「そんなのが、……ここにくるのか」
「来るで。————数日中に確実にな」
もう決まったこととばかりに断言するリッキーの言葉にはあきらめの色が混ざっていた。
なぜそう言い切れるのかアッシュには理解できず、すぐに呑み込むことができなかった。
「なんでそうやって言い切れるんだよ!?まだ進路を変えるかもしれないだろ」
「————ないわ。クマの狙いはこの森の魔力のようだから」
リッキーだけでなく、アリシアにも言われてしまえばアッシュももう声を荒げることはしなかった。
そもそもどれだけ抵抗しようと、クマが来るということは覆しようのない事実だ。それに魔力のことがちゃんとわかっていなくとも、この森の特異性はよく理解しているつもりだった。ゆえに、森の魔力を狙っていると言われたときによくも悪くも腑に落ちてしまったのだ。そうなってしまえば、変に反論する気概など出るはずもなかった。
「クマがここに来たらどうなるんだ。まさか、さらにでかくなって国ごと踏みつぶされる、なんて言わないよな」
「わからない。今でさえ私たちよりも倍以上大きいのに、魔力を大量に摂取なんかしたら、どんなことになるのか、想像もしたくないわ。……ほんとに、あんなもの誰が作ったのかしら」
「作った……?」
アッシュは思わず言われた言葉を繰り返していた。
やってくるのはクマと言っていた。ならば、育てたとか飼っていたならわかるのだが、アリシアは作ったといった。そこに引っ掛かりを覚えたのだ。
「言ってなかったかしら、そのクマ、首輪をつけているのよ。おそらくその腕につけてる隷属の腕輪と同種の首輪だと思うのだけれど、機能していないようなの。そもそもそんな大きなクマが自然発生するわけないじゃない。誰かが作ったのよ、————本当に悪趣味」
アリシアの声には明らかな嫌悪感が含まれていた。“誰か”と作った人物がわからないかのように言っているにもかかわらず、作った人物に心当たりがあるようにも聞こえた。
「なんにせよ、クマがこの森にやってくる前に処分しないといけないわ。そのためにいろいろ準備をする必要があるから、対処が終わるまでは屋敷に籠りきりね。アッシュも念のため、それまでは遠くには行かないように」
「わかった。……俺も自分の命が大事だからな」
子供をしつけるようなアリシアの口調にはあまりいい気分はしなかったが、アッシュは受け入れた。さすがに今回は力になれるようなことが全くないうえに、そんな大きさのクマと相対して生き残れる自信もなかったからだ。
「じゃあ、安全なうちに街へ買い物に行っておきましょう」
「……なんで?」
突拍子もないアリシアの提案に、アッシュは困惑した。だが、アリシアは逆にアッシュのほうをかわいそうなものを見るように見ると
「アッシュ、————人間はご飯を食べないと死んじゃうのよ」
いつぞや、アッシュが言った言葉と同じ言葉を口にした。
真理ではあるのだが、それはそれとして、
(この前まで、食事の概念はなかったんじゃないのかよ)
そう心の中でぼやいたアッシュであった。
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