夜道に二人

 幽霊嫌いの渚でも、夜道は怖くなかった。少しの灯りの下を一人で歩く。まるで自分にだけ当てられたスポットライトの様だったから。

 

 宇田川演技スクールから家までは歩いて大体10分程度。

 

 澄み渡った空には、夏の大三角が輝いている。青く白いベガと赤いアルタイルが、自由に羽ばたくデネブを追いかける様に光っている。

 

 いつもよりゆっくり歩きたい気分。

 

 さっきの余韻が忘れられない。

 

 あれがパントマイムだというのなら、もしも脚本を含めた自分の理想の、上瀬ユイの様な本当の演技が出来るようになった時、どんな気持ちになるのか想像も付かない。

 

 こうなってくると、明日の台本が気になって仕方ない。

 

 台本を取り出そうとしては、春彦の顔がちらついてやめる。

 

 (あの人、滅茶苦茶に見えて演技に関して言ってることは結構的を得てた。何より最初の幽霊の演技、凄かった。今考えると本物の幽霊なわけないんだけど、あの時は本当にそう思った。人としては胡散臭さ全開だけど、演技に関してはたぶん、信用できる)

 

 考え込み、渚の足が止まる。

 

 その時、渚の後ろで足音が鳴った。

 

 こちらに向かって走って来る音だ。

 

 どんどん近づいてくる足音。

 

 時間も時間、今日二度も幽霊詐欺にあったことで耐性の出来ていた渚でも、無意識に緊張してしまうのは無理もなかった。

 

 渚の真後ろで、その音は止まった。

 

 「おい!」

 

 声が聞こえた。

  

 ゆっくり後ろを振り返ると、そこに居たのは圭であった。

 

 「ああなんだ、圭か。どうしたの?」

 

 渚はそっと胸をなでおろした。

 

 圭は「なんだってなんだよ」と不満を口にする。

 

 「春彦が渚の事を送ってやれってうるせえんだよ。家まですぐだって何度も言ったんだけどよ。ったく、めんどくせえったらありゃしねえ」

 

 悪態を付きながらも、圭は渚の横に並んだ。

 

 何年ぶりかのこの光景は、渚に懐かしさを感じさせた。

 

 「なんか久しぶりだね。こうやって歩くの」

 

 「ああそうだな。俺も忙しくなっちまったからな」

 

 圭は自分で撮った作品は自分で編集するというポリシーの元、活動しており、遠征に出掛けたと思えば、部屋にこもりっきりで編集作業を行う事が多い。学年を重ねるごとに学校を休むことも増え(真と圭だけは、学校から特別に黙認されている)、こんな時間に渚と二人で過ごすことは、今となっては奇跡の様なものだった。

 

 「自慢かよ」

 

 目を細くして圭を睨む渚。

 

 「自慢だろ」

 

 目が合う二人。

 

 圭が「冗談だって」と笑うと、渚も釣られて笑う。

 

 少し静かな時間が流れる。

 

 いつも見ていたはずの圭の横顔が、大人びて見える。渚はそれが少し悔しかった。

 

 渚の家はもう目の前。

 

 ふと、圭が立ち止まった。

 

 渚の家の隣の公園を見つめている。

 

 「ここもよく来てたな」

 

 そう言うと、足を踏みいれる圭。後を追う様に渚も続く。

 

 小さな水色のシーソーと、二つ並んだブランコの前にベンチが一つ設置された簡素な作りの公園だ。

 

 風に吹かれ、乗り手のいないブランコが軽く揺れている。

 

 二人はベンチに腰掛けた。

 

 二人が初めて出会ったのもこのベンチ。

 

 「あの時圭、ここでめちゃくちゃ泣いてたよね~」

 

 「泣いてねえって。まだ言ってんのかよそれ」

 

 「えっ?一生言うつもりだけど?」

 

 「お前、性格悪いぞ」

 

 「冗談だって。さっきの仕返しでしょ」

 

 渚がしたり顔を見せると、圭は呆れた様子だ。

  

 「そういえばさ…あっやっぱいいや」

 

 言いかけて、言葉に詰まる渚。それを察した圭は、小さくため息を吐いた。

 

 「春彦の事か?さっきもお前、俺に気使ってたっぽいけど、聞かれても別に気まずくねえよ」

  

 「ほんと?じゃあお言葉に甘えて聞いちゃうけど……。圭のお父さんってさ、何者なの?演技にすっごい詳しい感じだったけど」

 

 「あいつは役者崩れで、ただの演技オタクの駄目人間だよ。カメラの使い方とかを最初に教えてくれたのはあいつだから、そこだけは割と信用出来るけどな。逆に言えば、それ以外は俺もあんま知らねえ。俺、ばあちゃん家に住んでるから、あいつと一緒に住んでるわけじゃねえし、今日も作業用にスタジオ借りに来ただけだしな」

 

 「ふ~ん、あの人の出てる作品とか見た事ないの?」

 

 「見ねえよ。昔の事は本人もあんま話したがらねえし、知ってほしくないことを調べるのもなんかなって感じだろ?まあ、悪い奴じゃねえって事だけは間違いねえよ」

 

 「うん、それは私も分かる気がする」

 

 会話がひと段落したところで、渚の肩に雨が一粒落ちた。

 

 「あ~これ降るかも」

 

 「そろそろ帰るか」

 

 二人は立ち上がると、急いで渚の家へと向かった。

 

 玄関前に着いたところで、圭は「じゃあな」と軽く手を振り、渚に背を向ける。

 

 少しずつ離れていくその背中が寂しい。

 

 ただの幼馴染、とは少し違う感情を覚えつつも、渚は独りでに(そんなわけない)と首を横に振った。

 

 「あっ…そうだそうだ。言うの忘れてた」

 

 思い出したかのように、圭は渚を振り返った。

 

 「明日、頑張れよ」

 

 「えっ、うん。ありが……」

 

 返事を待たず、圭は「やっば!!」と既に走り出していた。

 

 本格的に降り出した雨の中、遠くに消えていく圭を、渚は静かに見送った。

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