渚の才能


 春彦は「オッケーオッケー」と三回手を叩いた。

 

 「どうだった?」

 

 「悪くないパントマイムだったな」

 

 予想外の返答に、渚は少し不満顏を見せる。

 

 「パントマイム?私、一応本気で演技したつもりだったんだけど」

 

 「まあパントマイムってのも演技の一つではあるから間違ってはねえよ。でも、お前がやりたい演技ってのは脚本のある演技だろ?ただ飯を食うだけじゃねえ。大事なのは、そこに感情やストーリーを乗せる事だ。例えば、どうして今お前は一人で飯を食ってた?母さんはどうした?料理は誰が作ったんだ?って感じにな。観客ってのはいつもそのなぜ?どうして?が気になってしょうがねえんだ。理由も分からずにただ泣いてる奴が目の前にいたって、お前は一緒に悲しめるか?フィクションだろうとその中にリアリティがあってこそ、観客は共感するし、感動するってもんだ」

 

 「言ってることは分かるけどさ。私脚本なんて作れないよ」

 

 「問題ねえ。それはこっちに任せとけ。ほら、次行くぞ次」

 

 春彦は部屋の隅に置かれた段ボール箱を漁ると、埃の被った白黒の拍子木を取り出した。所謂カチンコと呼ばれるもので、シーンやカット番号を書くための小さな黒板の上に、打ち合わせる二本の棒が付いている。

 

 春彦はカチンコに付いたほこりを乱暴に払うと、渚に向けた。

 

 「こういうのがあった方が雰囲気出るだろ?俺がアクションの合図でこいつを鳴らす。カットの合図でもう一度音が鳴るまでは、全部お前の時間だ」

 

 「分かった」

 

 渚は、不思議と落ち着いている自分自身に驚いていた。

 

 さっき少し感じた、今までに覚えの無い、いや、無理やり忘れようとしていた、小学生の時、あの舞台に立った時に覚えた感覚。

 

 想像の世界に深く深く入っていく心地よさ。

 

 普段とは全く別の、自分じゃないはずの自分が確かに存在する時間。

 

 それら全てが、どうしようもなく愛おしい。

 

 早く次に行きたい。

 

 もっと深く潜りたい。

   

 自分の中の、まだ知らない扉を開けたい。

 

 渚の集中力は、限界まで研ぎ澄まされている。

 

 その渚の姿に、春彦は内心、只ならぬ魅力を感じていた。

 

 (なるほどな。圭の野郎が毎日俺に話すわけだ。こいつは一度入ると止まらなくなるタイプ。役者としてはこの上ない才能だが、それゆえの危険性もある。それにこの独特の雰囲気は、あいつにそっくり……。だとすれば、明日の役はまだ……)

 

 春彦は少し悩むと「よし、やっぱり今日はもうやめだ」と叫んだ。

 

 しかし、渚には聞こえていない様で、微動だにしない。

 

 春彦は「おーい、終わりだって言ってんだろー」と渚の両肩を激しく揺らすと、無理やり集中状態から開放した。

 

 我に返った渚は「いきなり何すんのよ」と言いながら、揺らされすぎてクラクラする頭を抱えた。

 

 「でも、どうして?」

 

 「もう充分だって事だよ。ほら、これ台本。返しとくぞ」

 

 春彦は渚の質問を適当にあしらうと、机の上に聖女転生の台本を置いた。

 

 「宇田川先生から一つだけアドバイスをやる。この台本は、明日の本番ギリギリまで読むな」

 

 感情だかストーリーだかと語ったばかりの人間と同じとは思えないアドバイスに、渚の中で特大の?が浮かぶ。

 

 「そんなことしたら、セリフ覚えられないじゃん」

 

 「まあ騙されたと思って俺の言う事聞いとけって。そもそもセリフなんて一、二行だし、覚えるのに大して時間はかからねえよ。それに明日の相手ってのはあの吉永真子なんだろ?素人が一日中台本と睨めっこしながらあーだこーだ悩んで挑むより、まっさらな状態で当たって砕けた方がチャンスはあるってもんよ」

 

 妙に自信のある表情を浮かべる春彦。

 

 信用ならない気持ちはある。だが、こんな無茶苦茶だとしか思えない論理にも一理あると思わせたのは、渚の真子への憧れが絶対的な物だったからであった。

 

 「んーまあ…そんなものなのかな」

 

 「そんなもんだ。分かったらとっとと帰って飯食って寝ろ。もちろん次は、本当にな」  

 

 「なんかちょっと無理やり過ぎて納得出来ないんだけど…って、ちょっと!」

 

 春彦は、椅子から渚を立ち上がらせると、台車を押す様に渚の背中を押し、出口まで強引に運んだ。扉を開け、「ほらほら!ガキンチョはもうおねんねの時間なんだから、帰った帰った!」と渚を外に出した。

 

 外は丁度街灯が付き始めた頃だった。

 

 仕方ない。そう思って渚は歩き始めた。

 

 「あっちょっと待て。一つだけいいか?」

 

 呼び止める春彦の声。

 

 「何?」

 

 振り回されっぱなしの一日のせいで、渚は少しぶっきらぼうに返事した。

 

 「お前、好きな役者はいるか?」

 

 すぐに思いつくのは、一人しかいなかった。

 

 「一番好きなのは、上瀬ユイかな」

  

 「あいつの演技、どれぐらい見た?」

 

 渚は空を見上げて少し考えると、大真面目な顔でこう言った。

 

 「人生百回分ぐらい」

 

 若干十五歳の少女が言うにはあまりにふざけた数字だ。だが、渚にとって何の誇張も無い数字。それほどまでに、渚の脳内では繰り返し上瀬ユイの映像が流れている。

  

 春彦は、ただ納得するように頷いた。

 

 (こいつは冗談で言ってない。さっき感じたのは間違いじゃなかった。今の化け物ぞろいの役者達すら凌駕する才能と可能性、それがこいつにはある。まあ、上手く育てば……だがな)

 

 渚は、春彦にさよならを告げて歩き出した。上瀬ユイと重なるその背中は、暗幕に消えていくように、闇の中へと消えていった。

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