第9話 エロスとタナトスの洞窟
前世。
朝早く、村長の家の前。出発の準備を終えたセロニカとフレアが、村長と別れの挨拶をしていた。
「行かれるのですね?」
「はい」フレアがうなずく。
「申し訳ないのですが……ひとつ、頼まれてくれないでしょうか?」
言い難そうな村長に対し、「なんだ?」とセロニカが問う。
「街に行く途中にある洞窟。そこに住みつくビックフットが商人をおそい、困っているのです」
「おかしいですね」フレアがあごに手を当てる。「人はおそわないはずですが……」
「分かった。ビックフット退治だな」
「ありがとうございます。誰も入ったことのない未知の洞窟ですので、お気をつけください」
村長から丸まった地図を受け取り、二人は村を去った。
「これが、じいさんが言ってた洞窟か」
「そのようだ」
二人は森の中、洞窟の前に立つ。灰色のレンガで作られた人工的な洞窟で、半円の形をしており――洞窟というよりはトンネル。高さ10メートル、横幅6メートルと大きく、入口から冷たい風が吹き、暗闇で先が見えない。
フレアの魔法でドーム状のバリアを貼り、そこにポネたちを待機させ、二人は洞窟に潜った。先頭を行くフレアが、マジックボール――魔力で球体を作り、それを空中に浮かせ、辺りを照らす。
「罠はなさそうだ」
「そうか」
音が二重に聞こえ、空気に水分が多い。
「待て」
フレアが足を止め、マジックボールを消した。
「なんだ⁉」辺りが暗くなり、セロニカはおどろく。
「なにかくる」
カタカタカタ、と前方でひびく音。
目に魔力を宿し、フレアが先を暗視すると――黒く丸い綿毛に6本の足がはえた蜘蛛が、大群で迫ってきていた。
「……アラクネ」
手のひらを正面に向け、フレアが炎を放つ。洞窟という密閉空間を効率よく焼き、アラクネの大群を灰にした。
「終わったか?」
「問題なくね」
「明かりを頼む」
「いま作るよ」フレアが左手に炎を宿し、場が明るくなる。
すると、
(ふるえている?)
セロニカの手が、小刻みに揺れていた。
「セロニカ、体調が悪いのか?」
「元気だけど」
「なら、良いのだが……」
再び作ったマジックボールで周囲を照らす。
歩きながら横目で(恐がっていたのか?)とフレアは、後方にいるセロニカを見た。証拠が少なく判断できないが、ひとつの疑念が浮かぶ。
進んでいると、正面の道がY字に分かれた。
「うわ、なんだこれ⁉」左側の道を覗き、セロニカが飛び跳ねる。
壁にたくさんのナメクジが貼りついていた。人の頭ほどの大きなナメクジで、口から「プチャ、プチャ」と白い液体を飛ばし、漂白剤の匂いが漂っている。
「ビックフットは虫を食べる……エサを養殖しているのか」
あごに手を当て、フレアは冷静だ。
ナメクジがいない方の道を選び、二人は進む。
「なあ、フレア。洞窟を焼くのはダメなのか?」
「そんなことをしたら、酸素がなくなって大変だよ」
火炎を放出する際、フレアは酸素ではなく、魔力を燃やしている。もし本気で炎を放ったなら、一瞬で呼吸不可だ。
「あれは?」フレアが壁に異物を発見し、近づくと、鉄の扉にレバー式のドアノブがついていた。
「開けてみよう」
「ああ」
ドアノブを引き、中に入ったフレアが「ここは……」と辺りを見渡す。
空気がほこりっぽく、足元に割れたガラスが散乱する廃墟のような部屋。長い机が置いてあって、ガラス張りの棚に、ビーカーや三角フラスコがしまってある。
あとから入ってきたセロニカが、
「人……じゃないな」
と反応する。
六芒星の魔法陣が地面に描かれ、その上に死体が座っていた。天井からたれる鎖に手首を拘束され、顔の形が犬で、体は人間。白骨に近いミイラだ。
フレアが死体を観察する。「……ウルヴァリン……いや、ウルフマンかも知れない」
「なんで繋がれてるんだ?」
「調べてみよう」
テーブルの上に散らばる紙を手に取り、フレアが読み始めた。横書きの文字が細かく書かれ、なにかの資料のようだ。
椅子に座り、セロニカは待つ。
30分後、フレアが口を開く。
「うん、どうやらここは闇の研究施設。ウルフマンとカオスの融合実験をおこなっていたようだ。カオスは闇が意志を持つ邪悪な存在だよ」
「それぐらい知ってるぞ」
部屋をあとにし、再び前進する。モンスターに出会うことなく、順調に進むが、前方から悪臭が漂ってきた。
「くさいな」セロニカが鼻をつまむ。「ゾンビでもいるのか」
(この臭い……)フレアの表情に力が入る。
腐った肉の香り。嫌な予感がする。
フレアが正面に手をかざし、次元魔法を発動した。空中に黒い裂け目ができ、小さなビンが出てくる。
「ローションを塗ろう。臭いを軽減できる」
「ああ、助かる」
鼻の下に透明なクリームをぬり、シトラスの爽快感が走った。
やがて、歩いていると、広い空間に出た。マジックボールの明かりだけでは周囲が分からない。
「……ひどい」目に魔力を宿し、先を暗視するフレアには、暗闇の世界――高さ20メートル、横幅30メートルの空間が見えていた。
「どうした?」
セロニカの問いに答えるため、フレアがマジックボールを大きくし、上に向かって投げる。天井近くに浮いたマジックボールが、空間を明るくした。
「なあ!」
馬と人間の死体が積み重なり、山ができていた。
手、足、頭、骨が転がり、馬車の木くずが散乱し、クマのぬいぐるみが落ちている。干からびた臓器が地面にくっついているが、中には新鮮な肉もあり、血にぬれた脳がつぶれ、腹から腸が伸びていた。
「ああ……」声をふるわせ、セロニカは後ずさる。
「ゴウウゥゥ」
うなり声と共に、死体の山の影から、身長7メートルの巨人が現れた。服を着ない裸の姿は人間のようで、うす茶の肌があらわになり、灰色の髪が顔を一周する形ではえ、目を見開いている。
(ビックフット)フレアは剣を抜く。
ビックフットが続々と姿を現し、確認できるだけで7体。身長5メートルの個体もいれば、4メートルの個体もいる。
(なぜ人間を……)
木の実や虫を食料にするビックフットが、人間をおそう。どんな理由があるというのか?
「ウオオオオオオオオ‼」ビックフットが叫び、威嚇する。
それに反応したのか、そこら中で羽音が鳴り、転がっていた死体が浮き始めた。
「⁉」奇妙な現象にフレアはかまえる。
無数の死体が宙に浮かび、シャンデリアのように揺れる。浮遊する死体の背が破れ――死体が落下し、羽のはえた虫が空中に残った。
(ペストを養殖していたのか)
ペストは死肉を喰らう魔物。大きさはカラス程度で、漆黒の体は蚊と同じ作りをしており、頭には水銀で生成したシルバーの仮面をかぶっている。仮面は鳥に似ていて、くちばしの先端が鋭く尖り、目を模した円が描かれていた。
死体を破り、次々とペストが生まれる。羽音がうるさく響き、数えきれないほどのペストが空を飛ぶ。
一匹のペストが、セロニカに突進し――くちばしの先端が、セロニカの頭を狙った。
「…………」
セロニカは反応できない。
「セロニカ!」
異変に気づいたフレアが、剣でペストを斬り落とす。心ここにあらずの様子で、セロニカが瞳を揺らしている。
(これは)フレアの中にあった疑念が確信に変わる。
「……え? ああ、悪い」
「炎で空間を焼く。通路に戻ってくれ」
「ああ」
追ってくるペストを斬りながら、二人は元きた道に引き返す。そしてフレアが火炎を放ち、すべてを焼き尽くした。
二人は洞窟の外に出た。
セロニカは無言で元気がない。ずっと暗い場所にいたから、太陽がまぶしいはずなのに影がさすようだ。
セロニカの様子がおかしいことに気づいたポネが「くぅーん……」と弱々しく鳴く。
真剣な声でフレアが口を開いた。
「セロニカ、今後のために聞いておきたい。君は、
「……なんだそれ?」
セロニカの表情が緊張する。
「闇を見つめたせいで、闇を見れなくなる病気だよ。精神の傷と言っても良い。暗い場所が苦手で、闇について考えると恐くなる」
逃げられないよう、ハッキリと症状を説明した。セロニカはおどろき「なあ!」と後ずさる。
「知っていれば、防げることもある。話し合って助け合えば良いのに、それをしないで危険な状況になるのは愚かだと思わないか?」
実際、ペストにおそわれた時、もう少しで危なかった。
「……そうだな。暗い場所が苦手なんて、かっこ悪いだろ?」情けない笑みで、セロニカは認めた。
「そんなことはない」首をふり、フレアが自分の胸を叩く。「これからは僕が君をサポートする。一緒に戦おう」
フレアの頼もしい言葉を受け、
「ああ、頼んだ!」
とセロニカの表情が晴れる。
その後、フレアが深淵病について、尋ねることはなかった。深淵病は強い心理ストレスが原因でなる病気。聞いてしまえば、心の傷に触れることになる。癒えるのか分からない、大きな傷に。
********
現在。
置いてきたバッグを拾い、ソラとマヒルとハルは住宅街を歩いていた。もう完全な夜となっており、街灯の明かりが灯っていて、少し肌寒い。
「さっきのなんだったのかな?」
不安そうなマヒルの問いに、ソラが答える。
「予想はしていたけど、闇が甦っている」
「闇が……」ハルはうつむく。
駅に到着し、電車通学のマヒルが手を振って、ホームへ消えた。
「フレアは良いのか?」
「危ないから送ってあげる」
ゆっくり歩き、二人は会話する。
「闇が学校……俺たちの近くにいるってことだよな?」
「ええ、前世が闇だった人間がね」
「なあ、フレア」ハルが足を止めた。少し先を歩いてから「なに?」とソラが振り向き、二人は向かい合う。
「俺、前世でたくさん戦ってきたからさ。こういうのに係わるのが、いつものパターンだったろ? だから……」
泣きそうな顔でハルは言う。
「また、戦うのかな?」
「……戦いたくないの?」
「ああ……」
(深淵病)ソラは確信する。春風ハルオは闇を恐がっている。深淵病が治っていない。
ハルに感化され、ソラの中に悲しい色が広がる。
「私にも戦いの予感はある。もしかしたら、前世からの因果で敵が現れるかも知れない。でも、大丈夫」
「……どうして?」
「勇者、その名は救いを求める心に反応して引かれ合う。そのせいで多くの悲しみを見たと思う」
人々の嘆きがセロニカを導き――行く先々で困っている人を見かける、そんな状態だった。
「セロニカはいつも、人を助けるために戦っていた。無視することもできたのに」
「それって」
ハルは理解する。ソラが言おうとしていることを。
「いまのあなたは勇者じゃない。もう、助けなくていいの。そうすれば平和に暮らせるから」
困っている人を助ける。悪く言ってしまえば、それはトラブルに介入するようなもの。だったら、それをやめれば良い。
「……本当に戦わなくていいのか?」
瞳を揺らし、ハルの声はふるえていた。
「ええ」
「そうか……」
********
会話が弾むことなく、ハルの家に到着する。
「送ってくれて、ありがとな」
「ええ」
ソラと別れ、家に入ったハルは、バタン、とバッグを落とし、右手を見つめた。
「俺は……」
もう、戦わなくていい。本来なら喜ぶことだが、心に暗いもやがかかり、納得できない自分がいた。
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