第2話 宿屋にて
外から入る光も少なくなり、馬車の中ではミラベルが一心不乱にレース編みをする手だけが一定のリズム動いているのが見えた。
恐らくそろそろ宿泊地につくだろう、とノラは思った。
隣国のイレーニアまでは通常は馬で2日、馬車で5日程度で着く。
なぜノラがそれほどまでに詳しいのかと言われれば、ノラの実家がまさにイレーニア国との国境にあるからだった。
今日で、王宮を出て7日だ。
窓から見える様子からすると旅程は恐らくようやく半分程進んだ所と思われた。
身分の高い方い人の旅とは、このように時間が掛かるという事なのだろうか。ノラにはよく分からなかった。
今回の旅にはノラとミラベルの他に、書記官のシルヴェスターと外務副大臣とその部下数名が随行していた。
ミラベルは、いっそのこと一人で国境まで来た方が早かったのでは?と思い始めていた。
しかしながら国が関わって結ばれた婚礼であり、その証拠に王家の馬車に乗っているのだからそう言う訳にはいかなかっただろう。
これだけの大所帯が、ゆっくりと進む旅では経費が掛かる。
この経費はどちらの王国から出ているものなのか、思い悩んで解決するものではないが、ノラはくらくらとした。
恐らくあの白髪の財務大臣も今頃同じように目を回しているのではないだろうか。
しばらくして馬車は停止した。そしてその町で恐らく一番上等と思われる宿屋にノラとミラベルそして身分の高い随行者の一同は宿泊することになった。
騎士たちは少数の護衛担当を残し、街の近くで野営をするのだと聞いた。
*****
ドアがノックされる音と共に、書記官のシルヴェスターが入って来た。
シルヴェスターはノラの一行に同行する身分の高い随行者の一人だ。
「今日の夕飯です」
このように、なぜか食事の時には必ず個室にシルヴェスターが食事を運んでくる。宿屋の人間ではなく、シルヴェスター自らが運んでくるのだ。
ノラの知識では、シルヴェスターはどこぞの子爵家の出身だったはずだ。
それなのに、男爵令嬢であるノラとミラベルに食事を運ぶ役をするのはどう見ても適切ではない。
けれどもシルヴェスターは全く意に介していないようだった。
シルヴェスターや外務副大臣、護衛の騎士は交代で下の食堂で食べているのだが、なぜかノラとミラベルは個室で食事をとることになっている。
護衛の都合上と騎士隊長から聞かされているが、それにしても過保護ではないかとノラは思ってしまう。
どちらかと言えば男爵令嬢であるノラやミラベルの方がこういった街道の宿屋に慣れているような気もしている。
そんなことを考えている間もシルヴェスターは淡々と皿をテーブルに並べていく。思わずノラもそれを手伝う形となる。
シルヴェスターは5年ほど前から宮廷に入って来た文官だった。働きぶりは良く、気が利くが、利きすぎる程ではない。
それゆえに出世をしている、という程ではないのだが今回の旅には抜擢されてしまったようだった。
もしかするとそれ故に(この旅程中仕事に穴をあけても良いという理由で)選ばれてしまったのだとしたら多少同情してしまう。
見た目は割と良いのだが、本人が外見に対する配慮に欠けているらしく、凡庸な印象を人に与えてしまう事が残念だ、とノラは思っていた。
だから式典等で正装をすると一時的には淑女たちの話題に上るのだが、それ以降宮廷で再会した場合に、あまりにも印象が異なってしまい、話題はすぐに消えていくような、そんな男性だった。
テーブルの上には、ホカホカと湯気を上げるスープやパン、焼かれた肉のようなものが香ばしい匂いを放ちながら用意された。
「終わったら呼んでください」
「今日も相変わらず美味しそう!」
ミラベルは椅子に座ると目をキラキラと輝かせて言った。
「やっぱり街道沿いは良い物食べてるね。イレーニアとの貿易は盛んなのね」
そう言うミラベルをみながら、ノラもふっくらと柔らかく焼き上がったパンを口にした。
イレーニアに近づくにつれて食事の質は各段に上がっている。
このハイランド王国だって別に特別に食事の質が悪いわけでは無い、けれどもイレーニアはハイランドの5倍もの面積のある大国なのだ。
だからこそ、今回のノラのような強引な婚礼がしつらえてしまったのだ。
恐らく王家を通して行われたであろうこの婚礼は、断る事の出来ない国力差を表しているのだと思われた。
ノラはハーブで味付けされた鶏肉を口にしながら、ずっと馬車の中で考えてきたことを口にした。
「それにしても、口に出せないような高貴な方って言ってもあんまりの仕打ちよね。さすがに私も結婚相手の年齢くらいは知っておきたい」
「ノラは相変わらずおかしいよ」
ミラベルはパンを口に放り込みながら言った。
「ノラは疑いが無さすぎる。というか、変だよこんな話を了承するなんて」
ミラベルはジトッとした目でノラを睨みつけた。
「だって、それ以外どうしようもないでしょう。あなただって男爵令嬢なんだから、いつかは誰かと結婚する事になるって思っているんじゃないの」
「それはそうだけど、もっと自分に有利になるような事をした方が良かったんじゃないの」
「有利って例えば?」
「そうね、結婚後の身分の保証を契約書として残すとか?」
「それも良いわね。今からシルヴェスターにお願いして準備してもらおうかな。書記官だし、契約文章とかも作ってくれないかしら」
「決めた。ノラは多分依頼しないだろうから私がお願いする」
「ミラベルがやってくれるなら心強いわ」
ノラが笑うと、ミラベルは胸を張った。
「男爵位を金で買ったと言われている、王国第一のダリア商店令嬢にお任せた下さい、ノラ様。お支払いは0.5割で構いません」
と、そんな冗談を言いながら食事は進んだ。
ノラは一緒に来てくれたのがミラベルで心から良かったと思っていた。
*****
ノラは灯りの消えた室内で天井を睨みつけながら言った。
「ねえミラベル、色々考えてみたんだけど、どういうケースが一番嫌かしら」
「え、なぁに。なんのこと。」
ミラベルはあくびをしながら答える。
「何でもない、お休みなさい。ミラベル」
そうノラが声を掛けるころには規則正しい寝息が聞こえてきていた。
ノラは考えていた。どんな相手だったら一番困るのか。
例えば、相手がノラを愛さないことなど全然構わない。別の人を愛して居ようが、女性を愛せない人であろうが、貴族であればある一定の子女は同じような道を辿っているのだろうと思われた。
けれども、新しい環境で冷遇されるようでは困る。
国を出て拠り所も無いのだからある程度の環境は保証してもらわないと困るのだ。
例えば、相手がノラを折檻するような、虐待や暴力をするような人物であれば。
これが一番困る。
もし万が一に高貴な血筋ゆえに、その態度を諫める人が傍に居ないのであれば、それは最も困ることになると思われた。
それに不潔な人も困る。
浪費や好色、賭け事で家計を傾かせる人も困る。
けれども王家を通じて行われた結婚なのだから『ある程度』の保証があるだろうとは思われた。
余りにも問題のある縁組では無いはずだ。
(これは仕事。私が自立して生きていくための仕事の一つよ)
ノラは目を瞑りそう自分に言い聞かせた。
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