第11話
鍛錬に割く時間が減り、効率が落ちると思われていた俺自身の強化は、学校が始まってからも思いの外順調に進んでいた。
もとより聞く必要のない授業時間は、密かに持ち込んだペンチで自身の手の骨を砕いて強化に勤しんだ。
さすがに教室でマナの全消費は出来なかった。全消費する寸前で一度手を止めて、マナが回復したらまた続行する。
このやり方では、マナ器の強化…マナの総量の底上げはできないが、その分、手の骨の強化に集中することが出来る。
そのおかげで、今の俺でも人を殴って拳の骨がイカれるなんて事にはならないくらいには強化出来たはずだ。
皮膚の方の強度はまだ心元ないが、その辺は実践を重ねていくにつれ、自ずと鍛えられていくだろう。
今後も、授業中はマナ器の強化は出来ないだろうが、それは仕方ない。そもそも、あの痛みは慣れるものではないし、耐えられるものでもない。
毎日最低一回は、行っている今でも失禁と絶叫くらいは必至だからな。教室でやると大惨事になるのは目に見えている。
世界又は政府がなんらかの情報を解禁する等の行動に出るまでは、表立った注目は控える方が懸命だろう。
早い段階で政府に接触されても良いことは何もない。力を制限しろだの、秘密にしろだのつまらない事になるのは容易に想像がつく。
俺が欲しいのは、莫大な報酬や成功が約束された未来でもない。たとえ命の危機に瀕したとしても、想像を超えるような一瞬が欲しいんだ。
その為には、多少の我慢くらい何の苦痛でもない。
そうして、学校の時間は肉体の強化、放課後はマナ関連の強化、土日は成果の確認と共に総合的な鍛練…と夏休み明けの事を色々と心配していたのがアホらしくなるくらい、相変わらずな日々を送っていた。
しかし、変わり映えがないからと言って、なんの変化も無かったわけではない。
——季節が紅葉彩る秋から冬に移行して暫くが経った頃。
俺は、体育の授業を受けていた。
その日、数日と乾燥の強い日々が続いた中で、気まぐれに降った雨の影響でグラウンドはぐちゃぐちゃにぬかるんでいた。
「はーい。今日はグラウンドが使えないので、体育館で授業をやりまーす!」
体育館に元気な声を響かせる田中先生。
しかし、その声に対する生徒の反応は、あまり芳しくなかった。いつもはいくら言い聞かせても騒がしいというのに、今日はやけに大人しい。
「あれ〜、皆さん今日は元気が足りないですね!ですが、それでも授業はやらなくてはなりません!!体調が悪い人は居ませんよね?健康観察は済んでいますから!」
「「「…」」」
なぜか活き活きとしている田中先生に反し、生徒たちはどこまでもおとなしく口を噤んでいる。
そんな中、1人の男子生徒が抗議の意を含む声を上げ沈黙を破った。
「先生!今日はドッジボールがいいと思います!!」
いつもの元気を取り戻すように上げられたその声を皮切りに、便乗するように続々と声を上げる生徒たち。
「わ、わたしも!!」
「僕もドッジボールがいい!」
「賛成賛成!多数決!!」
その声たちは次第に増幅して行き、数秒後にはいつかの授業崩壊を彷彿とさせる程に盛り上がっていた。
しかし、そんな声にも田中先生は笑顔を崩さなかった。そして、生徒達の威勢をものともせずピシャリと言い放った。
「いいえ、ダメです!今日はシャトルランをやります!!これは決定事項です!!たとえ、校長先生でも総理大臣が相手でも覆せません!!」
皮肉にも完全に立場が逆転していた。
そして、その後すぐに配られたプリントを見て俺は全てを理解した。田中先生の機嫌が良く、生徒達の態度が変だった理由を。
レベルが縦に記されており、その横に連なる数字の羅列。なんとも見覚えのあるプリントだった。
誰かがこのプリントを発見し、今日やる体育の内容を事前に察知したのだろう。
シャトルラン。
それは、言い換えるなら現代版の拷問と言っても良い。2000年初期から始まったこの種目は、今多くの学生達を苦しめている体力テストの一つだ。徐々にスピードの上がる音階に合わせて20メートルの距離を行ったり来たり…一見楽そうに見えるが、これはどんな超人でも等しく苦しむように出来ている。
うちの学校は、年に1回学年が変わる前に全学年合同でマラソン大会がある。その予行練習の為にという事なのだろう。実際、最近の体育は長距離走ばかりだった。
しかし、今はグラウンドが使えない。
考えたな。
先生は走らないから、生徒たちが苦しむのを高みの見物できるという訳か。
日頃の仕返しか?
やっぱストレス溜まってんだな。
俺が田中先生に同情している間にも、授業は着々と進んでいく…やいやい言う生徒を無視し、問答無用と言わんばかりに嬉々として主導する田中先生を筆頭に。
結果をお互いに記録する為に、生徒は2人組を組まされる。
組まされるのだが…
「で、なんで俺のペアがお前なんだよ」
俺が組まされたのは、隣の席の女児。
鶏だった。
「先生が隣の席の人と組みなさいって!」
くそ。どんだけ早く始めたいんだよ。
ペアぐらい自由に組ませろよ。
横着しやがって。
あとちょっとで、クラス替えなのによ。
俺が田中先生への悪態を心の中でついていると、鶏は眉を下げて不安そうに呟く。
「あたしとじゃやっぱり嫌?」
「あぁ」
即答すると、分かりやすく落ち込む鶏。
「だってお前バカじゃん。記録できんの?」
「できるよ!紙にチェックするだけだもん!!」
「そうか、すまんな。見くびっていた。数は数えられるようになってたんだな」
「ずっと数えられるもん!」
プンスカと頬を膨らませながら怒る鶏を無視して、思考をシャトルランに向ける。
去年までは適当に流していたが、アレが結構きついのは分かる。
言わずもがな、俺は運動神経抜群だが去年までの俺では精々7、80回くらいが限界だっただろう。運動神経と体力は別問題だしな。
さて、俺はどこまでいけるだろうか?
満点とされる125回は、距離としては2.5Km。常日頃10Km走ってる俺からしたら、大した距離では無いが、シャトルランの脅威は徐々にペースが上がっていくという所にある。
楽しみだな。
日頃の成果がどんな形で表れるか。
「ねぇ、快くん」
「なんだ」
「先と後どっちにやりたい?あたし先でもいいかな?嫌なこと先に終わらせたくて…」
「勝手にしろ」
「う、うん!ありがと!!」
順番はどっちでも良かったが、先に観察して平均を探るのも悪くないだろう。自分を客観的に比較できる。
皆が横一列に並びスタートに備える。
鶏は、ほぼ中央に陣取り、俺は、その後ろに座り込み記録用紙を前にして鉛筆を暇つぶしに回す。
音階が鳴り終わるまでに20mラインを越えるか、踏めればセーフ。間に合わなければ、そこまでが記録。
記録係は、そのチェックをするだけで、他には応援くらいしかやる事がない。
そして、田中先生が音源を再生するのを待つ事数分。
ついに始まった。
ゾロゾロと音を立てて、先行組が一斉にスタートする。床越しに振動が伝わってくる。
鶏が行っては戻ってきてを繰り返す。
そして、俺はチェックを入れていく。
最初のペースは遅い。
体力がない者でも問題なく、早歩きでも十分なくらいだ。
その証拠に、戻ってくる時の鶏はニコニコと笑う余裕さえ見せている。
こっち見んな。
20回を超えてきた辺りから、何人か脱落の近そうな奴が出てきて、30回を越える頃には既に脱落した奴がちらほら出ていた。
「「ガンバレ〜〜」」
アレだけ異議を申し立てていたのに、いざ始まってみれば見応えがあるのか、記録係を中心に応援の声をあげるほど盛り上がっていた。
初めは余裕そうだった男子も息を荒げ、余裕の無さそうな顔をしている。
クラスの人数は約40人。
記録係を除いた半数が走っているとして、今もまだ残っているのは男子4人に女子1人。
回数は50を超えていた。
「へ〜、意外だな。鶏のやつ体力あったのか」
そう、男子に混ざり、今もまだしぶとく食らいついているのは俺のペアの鶏だった。
よく泣く奴だとは思っていたが、まさか運動ができるタイプとは思っていなかった。
「にしても、ひどい顔だな」
男子が2人脱落し、残すは男子2人と一応女子の鶏だけ。
ここまできたら、最後まで残って欲しいところだが、回を追うごとに顔芸が酷くなっている。辛いのだろうが、見ているこちらの方が顔を背けたくなってくる。
最初の余裕は見る影もなく、般若のように顔を歪めている。汗で前髪は束になり、頬は紅潮し、激しく息を荒げる。
確かに大したものだが、女の嗜みのようなものを全てかなぐり捨ててるような必死さを感じる。
俺がいうのもなんだがそれで良いのか?
ドサッ
「ハァハァヒァァ…ハァハァハァ」
「くっつくな…汗がつく」
そして、ついに66回目のラインを超えたところで、鶏は俺に倒れ込むようにしてダウンした。
「へへへっ、つかれたぁ〜〜。ねぇ、快くん、あたし頑張ったでしょ?」
「あ、あぁ…失ったものの方が多いだろうがな」
「…失ったもの??よく分かんないけどいいや!快くんにあたしの凄いところ見せようと思って頑張ったの!いつもイジワル言われちゃうからね!」
確かに凄いものを見たよ。
般若って本当に存在したんだな。
ファンタジーだと思ってたよ。
「次は、快くんの番ね!あたしの方が結果良くても泣かないでね!」
先の順番を選んだのも、俺にプレッシャーを与える為という理由もあったのだろう。
息を整えた鶏がない胸を張って、挑発的になにか戯言を言っているが気にせず自分のことに集中しよう。
俺はどこまで行けるだろうか。
それなりに鍛錬はしてきたが全てを自分基準で考えてきたから、実際に同年代と比べてどの程度なのか自分でも分からない。
さっきのを見る限り70回を超えれば大したもんって感じだな。
結局、残った男子も鶏のすぐ後に脱落したし。女子には負けたくないという意地だけで耐えたんだろう。ご苦労なこった。
先行組の息が整うと、すぐに後行組の番がやってきた。
先程と同様、横一列に並んでスタートを待つ。
俺の後ろには、まだ顔の少し赤い鶏が鉛筆を持ってニヤニヤとこちらを見ている。よほど自分の記録に自信があるのだろう。
暫定クラス2位だから無理もないが、上には上がいるって事を見せてやる。早めの挫折を味合わせてやろう。
始まった。
一定のリズムで音階が流れる。
速すぎても遅すぎてもだめだ。無駄な体力を使わないよう必要最低限のスピードで効率よくラインを踏んでいく。
40回…まだ余裕がある。
50回…まだ、大丈夫。
60回、70回、80回…おかしいな。
あまり疲れを感じない。最初よりはスピードが上がったが、それでも顔を歪めるほど辛くも息も切れていない。
80回を超えてすぐに、俺と共にまだ残っていた男子が脱落した。これで俺は1位確定だ。
ここで辞めても良いが、どこまで行けるか俺自身も気になるから続けてみる事にする。
90回…やっと、少し疲労を感じてきた…ような気がする。気のせいかもしれない。
100回、110回、120回…結局、アップで軽く走ったような、額にじんわりと汗をかく程度で満点である125回まで到達した。
これ以上やる事もできたが、それはやるだけ無駄だし、なんの意味もないだろう。
鍛錬の成果。それは、俺が思っている以上だった。これだけ確認できれば十分だ。
俺の身体の心肺機能はもちろんのこと、脚の疲労感が全くと言って良いほどない。
これは、常日頃走り、筋肉を肉体的に壊し成長を促したおかげだろう。そして、ナイフで筋肉を引き裂き物理的にも壊した効果もしっかりと出ている。
格段に質が上がっている。一歩でより力強く蹴り出せるようになり、燃費が上がったような感覚だ。
肉体のアップデートは着実に進んでいる。
俺が軽く息を吐いて、自分の日頃の成果に満足していると、クラスメイト達が興奮したように群がってくる。
「快、お前すげーな!本当になんでも出来るんだな」
「なんで、そんな余裕そうなんだよ!!」
「快くんってやっぱりカッコいいね!」
このクラスは2年目だというのに、顔と名前の一致しない奴ばかりだ。褒められて悪い気はしないがな。
少し目立ちすぎたが、これぐらいはまだ許容範囲だろう。
たかが、体育の授業。それも急遽行った授業の結果だ。本番の体力テストでもない以上、これでどうこうなることはない。
「あ、あの。快くんすごいね。あ、あたしなんてまだまだで…」
アレだけ啖呵を切った後で気まずいのだろう。すっかり自信を喪失した様子で、肩を落として話しかけてくる鶏。
ここで追い詰めて泣かせるのは簡単だが、散々取り囲まれた後に泣かれるのはめんどくさい。
仕方ない、慰めてやるか。
俺も般若というファンタジーを見せてもらった事だしな。その礼だ。
「そう落ち込むな。お前はよく頑張った」
「…ほ、ほんと??」
「あぁ、よくやったよ」
「へへっ、そうだよね。頑張った方だよね、クラスで4番だもん!女の子では1番だし」
普段褒めない俺からの賛辞が、よほど嬉しかったのか。照れ笑いをして、頭を掻く鶏。
「あぁ、大したもんだ。俺の2分の1程の記録だが十分誇れる数字だ」
「に、2分の1…あはは、ら、来年は勝っちゃうもんね!!」
「現実的でない夢を見るのは七夕の時だけにしろ」
「げ、げんじつ的だもん。勝つもん」
「無理だな、俺は60やそこらでお前のように顔を歪めたりしない」
「う、うぅ」
あーあ、結局泣かしちゃったよ。
ま、これもいつも通りだな。
取り敢えず、俺の日頃の鍛錬がしっかり数字として表れた事を喜ぼう。努力が身を結んでてくれて何よりだ。
しかし、俺にはまだ足りない事があるのも明確な事実だ。
「そろそろ、実戦の段階だな」
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