第5話

「じゃあタイム君そのまんま依頼人にラベルさん渡しちゃったの!?」


 ヴァルさんの声が響くのは隣のビルの喫茶店だ。こくっと頷いてしまうとあーあ、とおでこを押さえて天を仰ぐ。玄さんと黒さんも、勿論ノアさんも一緒だ。僕が頼れるのはこの人達しかいない。アルくんとカトラちゃんになんてとてもとても。他の人達はきっとすぐ殴り込みに行くだろう。それは無理だ。出来ない。

 一番危険なお仕事をしている人たちに相談を持って来るのも、と思ったけれど、四人は案外冷静にうーんと考え込んでくれる。こういう時、自分はまだ子供なのだな、と思い知らされる。十六歳、年が明けたら十七歳。まだまだ子供だ。でも貧民街では十分な大人として扱われている。今も。


「しかしまさかラベルさんの祖父さん祖母さんが出て来るとはね……しかもインスリンなんて持ち歩く厄介なのが。普通に医者怖いけど、今回の事でもっと怖くなったわ」

「そんなこと言っている場合じゃありませんよ。ヴァル。私達の活動にもですが、金が掛かることは多い。そんな時の貯金箱がタイムトラベルカンパニーです。ラベルさんがいなければイクォールが起動できないとなれば、せっかくのこの冬もまた凍死者がでる可能性がある。それは彼女の望むところではない。いざとなったら私達の能力も使わなければならないでしょうね」

「スート氏に頼むのはどうだ? 娘の分もタダ働きしてやったんだから、ここらでガツンと取り返せないかな」

「無理でしょうね。そこまでの恩は売っていないでしょう。とりあえず住民投票からかな……ラベルさんをどうしたいか、僕たちだってラベルさんの家族だ」

「偽物ですけどね」


 黒さんの言葉にホットミルクをずずっと飲むと、冷たくなっていた身体が温まった。あの人達がラベルちゃんを幸せにしてくれるのなら、それはそれで良いのかもしれない。イクォールも僕専用にして。でも僕は社長なんてガラじゃない、あくまで技術者だ。このビルだって、ラベルちゃんが仕切ってる店の一つである。ラベルちゃんは手広く色々やっている。そこから炊き出しをしたり、孤児院みたいなものも経営している。そこから才能を見出した子供が、また新しい商売に投入される。


 つまり貧民街はラベルちゃんを中心に回っているのだ。それなのに彼女がいないなんて、考えられない。ラベルちゃんのPCを覗いてみたけれど――パスワードなんて技術者の僕の前には意味がない――写真付きで貧民街に暮らす人間たちの名簿が作られていた。殆ど戸籍に近いものだったと思う。炊き出しの時に来ていた子供たちももうリストに入っていた。手が早い、まったく。


 そんな彼女がここを捨てるはずが無いだろう、と思う。だけどもしも監禁や体罰でそれがままならなくなっていたとしたらと考えると、ゾッとした。あの人達はラベルちゃんを見ていない。息子の子供を見ている。そこに人格は存在しない。彼女が何をどうして暮らして来たかなんて、興味が無い。

 身勝手だ。捨てて行く方も連れて行く方も、僕たちにとっては身勝手な大人の理屈だ。僕はラベルちゃんが大好きだ。母親として愛している。きっと貧民街の人達もそうだろう。ここを少しでも良い場所に変えてくれるラベルちゃんの存在は、捨てがたいものだろう。


 たまに前科者が紛れ込んできたりすることもある。そう言う時はとりあえず話を聞く。その上で警察に引き渡すか貧民街で受け入れるかを決める。未必の故意もあれば明確な殺意があった事もある。そう言うのはカトラちゃんのカメラの方が役に立つけれど、あれは手回し充電式だからあまり長い過去は撮れない。

 どうしたってすべてはラベルちゃんの絶妙な匙加減に頼って来たのが僕達だ。その天秤が使えなくなったら、またここは余所者を受け付けないスラムになってしまうだろう。やっぱりスート氏に。否今更と言われるだろう。既に氏には寄付を貰っている立場なのだ。関係はもうイーヴン。頼み事は出来ない。


 ラベルちゃんの祖父母の記録を調べた形跡もあったから、そっちも眺めてみたけれど、高級住宅街暮らしの悠々自適、と言うところだった。暇になってやっと息子一家を探し始めた、と言うところだろう。十三年がそんなに大人には短いものなのか、僕には分からない。


 ラベルちゃん、どうしてるかな。思うと涙が滲んで来て、それに気付いたヴァルさんに頭をくしゃくしゃと撫でられる。ラベルちゃんのとは違う感じ。当り前だけど、そんなに優しくも愛おしげでもない。愛。僕たちはみんな、ラベルちゃんに愛されてきたという自覚がある。だからこそ彼女がここに戻って来たがるだろうことを疑っていない。

 いないけれど、本当にそうなのだろうか。いつでも新しい服と下着があって、食事もタダで出て来て、お風呂にだって入れるから髪を纏めなくて済む。掃除も洗濯も料理も他人任せなのは変わらないけれど、そこに祖父母と言う力強い血の繋がりがあると言うのは、どんな感じだろう。僕にはもう解らない、血縁と言う絆。僕は。僕にはラベルちゃんがいたから。ノアさん達兄さんもいたから。アルくん達弟妹がいたから。赤の他人かも知れないけれど、でも。


 それでも僕達は家族だったのだと思いたい。

 家族なのだと思いたい。

 今もそうだと。


「イクォールが使えなくなるのは厄介だよなあ。ラベルさんがいなくなるのはもっと厄介だ。大黒柱が居なくなったら家なんてすぐ崩れちまう。そうなったらもう元には戻れないだろう」

「なるべく早いご帰還を願いたい所、ですね」

「そうだねえ」

「タイム君」


 玄さんがここで口を挟んでくる。ずっと黙り込んでいたのに、珍しい。


「ラベルさんの祖父母の写真を見せて貰えるかい」

「え? あ、はい」


 僕はリストコンピュータの画面を見せる。目を開けた玄さんは、ふむ、と頷いてまた眼を閉じた。僕もコンピュータをスリープ画面に戻す。


「この男、前にも来た事があるぞ。貧民街で門前払いを食らって帰って行ったが」

「え? それっていつ頃です?」

「半年ほど前だ」

「半年……」


 それからカンパニーの噂を聞きつけたって訳か。

 そして夫人に話し、賭けに出た。

 彼は賭けに勝ったのだ。

 僕らは運に負けた。

 ラベルちゃん。

 ぼたぼたぼたっとホットミルクに涙が落ちて、今度は黒さんが僕の頭を撫でた。

 やっぱり、馴染んだ撫で方じゃなかったけれど、少しは安心した。

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