第3話

 演算が終わった日のイクォール――ピンクのイルカ型のタイムマシーン管理プログラムは、どこか寡黙だった。彼女(?)は演算中のすべての映像を見るから、何か良くない結果を見たのかもしれない。今回は僕は見るなと言われているので、老夫婦が映像構築用の部屋に入って来てから細かい計算をするので手いっぱいだった。十三年は流石に長いから、原子分子の動きもすさまじい。

 ラベルちゃんの瞳孔データを承認キーにして、ごうんっと音を立てたイクォールは映像をゆっくり壁に塗り出した。老夫婦は手を繋ぎ合ってその様子を眺めている。ラプラスの悪魔を使ったタイムマシーンなんて僕もこれ以外見たことが無いから、当然だろう。大体前世紀に否定されている理論なのだ、これは。それを可能にしているのはイクォールの、ジャンク屋から拾って来たとは思えない演算能力による。


「おい何だよお前はよ」


 ちょっと荒い画像。いつもは綺麗なんだけど、流石に十年以上になると長いからそうもいかなくなる。子供を両手で繋いで診療鞄を持った夫婦の前に、いかにもと言う感じのごろつきが立ちはだかる。


「ここがどーゆー所か解ってますかあ? 何しに来たんだか知らねーけど、失せろよ。親切で言ってやってるんだぜ? こんな所でそんな綺麗な服着た奴なんて、すぐに追いはぎと強盗の餌食だ」


 確かに親切で言っている。この頃の街はまだ、ラベルちゃんの統治下にない。つまり、ギラギラしたナイフが一番物を言う時代だったからだ。

 夫の方が、すみません、と謝る声を出す。それに夫婦はああっと声を上げた。


「エド! エドアールの声よ、あなた!」

「ああ!エドの声だ!」


「この辺りで診療所を開こうと思っているんですが、良い場所を知りませんでしょうか。私たちは医者なのです。感染症やワクチンが必要な人がこの街にはたくさんいると伺い、やって来ました」

「金持ちの道楽かあ? 痛い目見たくなかったらその鞄置いて親子で帰りな。ここはそんなに楽な場所じゃねえ」

「道楽ではありません。務めを果たしに来ただけです」

「良いから出ていけってんだよぉ!」

「お待ちください!」


 奥さんの方が声を上げた。細くてだけれど張りのある声だ。たじろいだごろつきが、一歩下がる。


「ルイズ! やっぱり一緒に来ていたんだ!」

「と言う事はあの子供は――」


 言っている間に映像は進んでいく。僕は秒単位の計算をしていく。何故ラベルちゃんがこんな何気ない日常の風景を僕に見せないようにしたのか。刃傷沙汰なら慣れている。僕だって霧戒壇の人達に護身術を仕込まれているんだから。


「私達は本当に、ただの一介の医者です。貧民街から出ていると言う感染症の患者を診に来ました。悪性が強いようなので、ここで防衛線を張りたいのです。どうか、許可をお願いします」

「きょ、かも何も、俺達は住んでるだけで地主も知らねーよ。とっくに捨てられてんだ、こちとら」

「では私達があなた達の家族になりましょう」


 あれ。

 なんかデジャヴ。

 一瞬止まっただけでざざっとずれる映像を、改めて構築する。イクォールは何も言わない。ラベルちゃんも干渉しない。ただ老夫婦は映像に釘付けだ。と言うか、その場にいるように錯覚しているんだろう。そう言う、装置だから。巨大演算投影装置。それが、タイムトラベルカンパニーのエンド・プロダクト、イクォールだから。


「私は父になり、妻は母になりましょう。家族の看護ならば誰にも厭われることはない。違いますか?」

「お、俺が応える事じゃねーよそんなの! 大体だったら証拠を見せろってんだよ! あんたが俺達の家族になれる証拠ってのよをよ!」

「ルイズ、破傷風のワクチンを。失礼ですが、注射経験は?」

「あるわけねーだろこんな所に住んでて」

「では少し我慢してください。ちくっとするだけですから」

「はあ!? なんで俺が実験台に、」

「実験台ではありません。看護の一つです、ワクチン接種は」


 男の人の袖をたくし上げて、ゴムの紐でぎゅっと縛る。血管を浮かせるためだ。てきぱきと進めるのは確かにプロだ。奥さんは隣で医療鞄から出した注射器に何か吸わせていた。おそらく本当にワクチンなんだろう。でもパニックを起こしているごろつきは、そんな事知ったこっちゃない。


「止めろ! おい止めろってんだよ! こら!」

「あなた。出来ましたわ」

「では失礼を」


 ぷすっと刺された注射に、ぎゃあっと男が叫ぶ。すると男の仲間だろうか、次々に男達が湧いて来た。


「何だお前ら」

「何してる」

「ヤクの売人じゃねーか?」

「そこまで落ちぶれて堪るかよ」

「――出て行けよ、この余所者!」


「エド!」


 叫んでも声は聞こえない。そう言うのがお約束。過去に干渉は出来ません、ご注意を。それが契約書に書かれていた事だ。男達はお医者さんを蹴りつける。お医者さんは身体を丸くして亀のポーズだ。背中は強い。奥さんは子供――三・四歳だろうか、薄い綺麗な金髪をしている――を守るようにしていた。だったら最初からこんな所に連れて来なきゃ良かったのに。

 冷静に考えながら僕は演算を続ける。手打ちも面倒だな、ここも早くデジタル化したい。その為にはジャンク屋に行かなくちゃな。思いながら僕は指をカタカタさせる。疲れて来た。早く結果が出れば良いのに。


「ふう……大分痛めつけられてしまったな」


 男達が去った後で、お医者さんは何事もなかったように立ち上がる。


「さあ君の針を抜かなくちゃ――」


 注射針の刺さったごろつきに腕に手を出した瞬間。

 お医者さんはその針で心臓を刺された。

 きゃああ、と奥さんが叫ぶ。


「ヤクなんか入れられて堪るかよ、お前も同じことしに来たんだろ! 死ねっ」

「きゃあ! やめて、私達は本当に医者で――」

「信じられるかよ、こんな場所で!」


 信用商売の医者には、通じないこともある。

 ナイフで奥さんの腹を刺した男は、そのまま逃げて行った。

 母親は呻く。きょとんとしている、唯一生き残った娘に手を伸ばして。


「ラベル……」


 え?


「ラベルちゃん?」


 薄い金髪をリボンで縛っている少女の解像度を上げると、そこにいるのは。

 僕と老夫婦は、同時にラベルちゃんを見る。

 予測していたかのように、彼女は肩を竦めた。

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