第2話

 十三年前ともなると流石に玄さんも街に来てはいなかった頃で、演算はすべてイクォールが行う事になった。もっとも日時がしっかりしているからそれほど複雑でもない。うっふっふ、と笑いながら口座の貯金額に見惚れている人は何なんだろうなあとちょっと思いながら、僕はイクォールに計算を任せて炊き出しの準備をした。長い寸胴鍋を五つ。シチューの具はしこたま買って来た。カセットコンロは使いかけの物も合わせているから一定じゃないけれど、まあ一食分ぐらいは持つだろう。

 しかし良い額貰ってしまったなあ。これは二日に一回は炊き出しできる額だろう。この冬の凍死者がでなくなったら万々歳だ。スート氏の寄付のお金もあれば、それはラベルちゃんの第一目標に手が届くかもしれない。


 夏には水と果物を、冬にはシチューを。そして誰も死ななくなったらあたしの勝ちだわ。言っていたのは何年前だろう。彼女がどうして僕を拾ってくれたか分からなかった頃かな。あの頃の僕はまだ猜疑心が強くて、内臓売られるんじゃないかとちょっと思っていた頃だ。ノアさんはもうラベルちゃんの傍にいて、それでもまだ一年も経っていなかった頃だと思う。彼女の背後は杳として知れない所がある。親とか兄弟とか。

 ぐつぐつ煮込む鍋の匂いに、人々が集まって来る。古いものもあるけれどラップで包んで現役のお皿たちは、今か今かと出番を待っている。ぐつぐつ。ぐらぐら。とろっとしたそれが焦げ付かないように、僕は鍋を交互にかき混ぜ続ける。と、ラベルちゃんがやって来て、にっこり笑った。昔は届かなかった鍋の長さ。調理はノアさん担当だった。今は僕が一手に引き受けている。


 僕も成長したのだ、少しは。まだラベルちゃんに背は追い付かないけれど、欠食児童でもない。もうちょっとで成長期も終わるけれど、それでもじりじり近付いているつもりだ。

 大体ラベルちゃんはハイヒール穿いてるからそれで嵩が増している。僕は別にちびじゃない。と思いたい。少なくともこのお母さんよりは、そうだと思いたい。鍋の調子を確認したラベルちゃんは、雪がちらつく街に声を上げる。


「炊き出しよー!」


 彼女が叫ぶと貧民街中から人が出て来る。アルくんとカトラちゃんの姿も見えた。寒くてお腹が空いているのは良くない。悲しくなる。僕には黒い猫の友達がいたから寒さは防げていた。それも何年も前の話だ。今でもお墓に野花を捧げたりしている。その場所をくれたのもラベルちゃんだった。日当たりの良い土の出ている場所。貧民街はところどころアスファルトが剥がれているけれど、そこは屋内だった。その方が寒くないでしょう、と言って。


 次々にお皿を持ってくる人々。僕はなるべく等分になるように芋が溶けたシチューを入れていく。焦げ付かないように掻き混ぜてくれるのはノアさんだ。ラベルちゃんはそんな事してくれない。お母さんなのに。


「ラベルねーちゃん、俺次はカレーが良い!」

「俺はポトフも良いなー。ほくほくの野菜食ってると幸せだわ」

「私はシチューも美味しいから好き! ラベルさん、また収入があったの? 連日なんて珍しい」

「うん、ちょっちねー。さっさと還元しないと盗まれちゃう。あはは」

「ラベルさんの所セキュリティ万全じゃないですか。下手に入ったらイクォールの中で迷子ですよ」


 けらけら笑っている人々は、熱々のシチューに心も体もホッとさせている。その一助になっていると思えば、僕も嬉しい。

 寸胴鍋が空になる。洗いはしない。ちょっとずつ水を入れて、こびり付いたものを取るのだ。それから洗った方が水も節約できるし、食べられる人も出て来る。ポトフかー。次はやってみようかな。空っぽの胃にあまり物を詰め込み過ぎるとお腹に悪い。下水道がちゃんとしてないここでは、便もウィルスの感染源だ。なるべく開放しているトイレ――霧戒壇の人達のやっているカフェやこのカンパニー、アルカトラズ探偵団の事務所なんか――を使うように言っているのだけれど、間に合わないこともある。その時は自分で片付けて貰うけれど、それを嫌がってか、最近はあんまり臭さは感じなくなっていた。


 こうして街に信頼され、言う事を聞かせていられるのはどうしてなんだろう。彼女は決して強要はしない。促すだけだ。食事もトイレも、出来ればそうして、と言っているだけ。そして町の人達は驚くほど素直にそれを聞き入れる。どうしてなんだろうと考えたことはあるけれど、こうして炊き出しなんかで信頼関係を作っているからなんだろう。

 鍋五つ分のしゃばしゃばになったスープを、一つの鍋にまとめてぐつぐつ煮込む。二人分ぐらいの嵩になったから、雪の中ずっとこっちを見て物欲しそうにしていた兄妹っぽい子供たちを手招きした。おず、とやって来た二人に、僕ははい、とお皿を差し出す。


「良いの? 僕たちお金持ってないよ?」

「炊き出しだから良いんだよ、それに僕たちはこういう時、お金は取らない主義なんだ。二人とも寒かったでしょう? お腹も空いてるんでしょう? 気にしないで食べて良いんだよ」

「う……ぐすっ、ありがとう、お兄ちゃん」

「ありがとうございます、ひっ、ひっ……温かいよお……」


 見掛けない顔だから、最近捨てられたのかな、と思う。服も汚れているけれど、もとはちゃんとしたものを着ていたと見えた。口減らしかな。酷い親もいるもんだ。まあ僕だってそうだと言えない事もないから、なんとも言えないけれど。

 車に乗せられていつの間にか貧民街の前で下ろされていた。あの頃の僕は何歳だっただろう。この子たちは四・五歳みたいだけど、多分同じぐらいの歳だ。そう思うと、無料の炊き出しなんて天国以外の何でもない。焦げ付いた部分を剥いで食べてる影があると思ったら、ヴァルさんだった。大人だってこんなに寒いんだ、子供が寒くないはずないだろう。僕は一度自室に戻り、着られなくなったジャンパーを二着持って来て、二人に渡す。


「良いの?」

「良いの。どうせ僕はサイズアウトしちゃった奴だし、頑張れば四・五年着られると思うから」

「ありがとう、お兄ちゃん、ありがとう」

「良いんだってば。冬は冷えるから、夜はコンクリートの建物の中で過ごすんだよ。その方がまだ寒くないからね」

「うんっ」

「はいっ」


 兄妹の姿を和やかに眺めていると、ラベルちゃんにちょいちょい、と呼ばれた。


「何、ラベルちゃん」

「今回の演算、何日ぐらい掛かりそう?」

「うーん、時間が時間だからね、十日ぐらいは掛かると思う」

「タイム、あなたにお願いよ」


 お願いときた。珍しい。きょとんとすると、ポーカーフェイスでラベルちゃんは言った。


「今回は画像解析の結果、確認しないで」

「え? なんで?」

「良いから。嫌な予感がするの、主にあたしに」


 それは本当に、珍しい言葉だった。

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