ジルの事情と仲睦まじい二人
簡潔に言えば、ジルはタルトに依存しなくても済む状態、すなわち定職についた一市民となった状態で彼女の奴隷という現実を脱し、その上で改めて告白をしようとしていたらしい。
なお、ツイはジルの補佐及びタルトへの告白が失敗した時の補助要員だった。
といっても、実際にツイのした仕事と言えば転職先の候補を一緒に考えるくらいで告白については見守ろうと思っていたし、取り立てて何か関与しようとしていたわけではないのだが。
ジルの方もアレをしてくれ、コレをしてくれと頼りきりだったわけでもない。
現実的に役立って何かをしてもらうというよりは、精神を安定させる役割が大きかった。
ジルとしては考えを聞いて一緒に整理してくれる存在が力強く、ツイには深く感謝している。
この先ジルはツイに頭が上がらないだろう。
「独立すれば、タルト様も俺のことを一人の人間としてみてくれるかなって思ったんです。『奴隷風情』じゃなくなれば、もしかしたら、もう一度くらいはチャンスがあるのかなって。せめてタルト様に隷属する頼りない存在じゃなくなればって思ったんです」
タルトの「奴隷風情」という言葉はかなり効いたようだ。
爽やかに笑うジルだが言葉や表情にどこか苦々しい雰囲気がある。
「ジル、それは、本心ではなかったのです。ジルに恋愛関係を強いないように突き放そうと発した言葉でした。ですが、自分で想像するよりもずっと傷つけてしまったみたいですね。ごめんなさい」
「いいですよ。もう、大丈夫です。俺も今までタルト様にいっぱい酷いことをしたから。あの、本当に良くないこともしたんですが、許してくれますか?」
タルトの家に来たばかりの頃で、彼女に悪態を吐いたりイタズラをしたりしていた時ことを言っているのだろう。
あっさりと頷けば、キョロキョロと辺りを見回してからタルトの白く小さな耳に唇を当て、コソコソと内緒話を始めた。
するとタルトには一切覚えのないジルの悪戯が結構な量、発掘される。
タルトはカッと目を見開くと話し終えて真っ赤になったジルをマジマジと見つめた。
「そんなにアレな事してたんですか!? もう! 悪い子ですね~! 良い子も悪い子もしちゃいけないことばっかりですよ。ですが、ジルは私のかわいい、かわいい悪い子だからしょうがないですね。ふふふ~、私もジルに悪い事しちゃいましょうか?」
流石タルト。
自分自身がスケベで割と気持ちの悪い趣味をしているので、通常の女性では耐えられないようなこともジルが相手ならば簡単に肯定できてしまう。
喜んでいる辺り、けっこう危なっかしくはないだろか。
ニマニマニマ~と笑ったタルトがジルにギュッと抱き着いてふわふわと揺れる。
ジルはモジモジと照れ笑いを浮かべていた。
「そういえば、ジルの転職先は大丈夫なのですか? 定食屋さんに行く予定だったのでしょう? 絶対に、絶っ対に! ジルのことはあげられませんが、それはそれとして、向こうの事情も気になりますよ。常連? さんですし」
頭に浮かぶのは腰を曲げた二人の老夫婦だ。
彼らは腰に湿布を張りながら仕事に励んでおり、その人当たりの良さと料理の腕で町でも評判の定食屋を営んでいる。
ジルが来るまではタルトも好んで彼らの店を利用していた。
個人的に結構、仲が良いのだ。
そのため、老夫婦が割と本気で後継者を探していることも知っていた。
だが、不安そうに眉を下げるタルトに対し、ジルは何でもないように首を振って、
「ああ、それなら大丈夫ですよ」
と、あっさり笑う。
どうやらジルは転職活動を行う際に転職をしたい理由をバカ正直に話していたらしい。
受け入れる側だってボランティアではないのだ。
原則、雇えばキチンと働いてくれることが分かっている者でなければ困ってしまう。
ジル自身もふざけていると怒られる転職理由だということは分かっていたし、実際に厳しい言葉を投げかけられたこともあった。
そのため、転職活動はかなり難航した。
だが、それでもジルはバカ正直に理由を話して転職活動に勤しんだ。
タルトに追い出されそうだと嘘を吐いて同情を誘い、情け深い誰かの元に転がり込むことの方が簡単だったろうが、それをすればジルは自分自身を許せなくなってしまう。
ジルにとって一番大切な存在であるタルトのことを、すなわち真の転職理由を話さなければたちまち誠実さを欠いてしまうから、彼は話す事を止めなかった。
そうして辿り着いたのが老夫婦の定食屋だ。
「ウチだって本当に後継者がいなくて困っているんだ。その程度の覚悟と理由を持った君では雇ってあげられないよ」
何度も聞いた内容を比較的優しい言葉で渡されたジルはコクリと頷いて、何の言い訳もせずに帰路につこうとした。
その姿を気に入ったのか、あるいは「タルト」には真剣な瞳が気に入ったのか。
老夫婦の旦那の方が落ち込むジルの肩をポンと優しく叩いた。
「今の君を家で雇うことはできない。けれど、そうだな、タルト先生に追い出されてしまったらおいで。次の転職先が見つかるまで、ウチでお手伝いさんとして雇ってあげよう。そして、もしも恋人になれたら、やっぱりウチにおいで。とびきりのご馳走を作ってあげるから」
もちろんお代は頂くけれどね、と、ご年配の綺麗なウィンクを見せて微笑んだ。
少し分かりにくいが、要するに老夫婦はジルの願いを聞いてくれたのだ。
「そんなわけで、夫妻は俺の告白が成功したら転職できないっていうのを知っていますから、大丈夫なんです。とっても優しい人たちでした。タルト様の周りには素敵な人が集まりますね。タルト様ご自身が素敵な方だからでしょうか」
ジルが照れ照れと頭を掻いて、えへへ、と笑った。
子供っぽい仕草にタルトの胸がキュンと鳴る。
「もう! ジルはお上手ですね! それなら私とジルでご挨拶に伺った方が良いですよね。よし、早速行ってきますか! さて、急で申し訳ありませんが二人には留守番をお願いしますよ」
張り切ったタルトが、いつの間にか静かになっていたツイたちの方を振り返る。
そして、ミラがツイによって壁際に追い詰められて溶け、壁に背を預けたままペタンと床に座り込んでいるのを見ると呆れ顔になった。
ミラは顔も耳も真っ赤になって淡い呼吸を繰り返し、口元と目元を真っ赤に濡らしている。
全体的に汗ばんで、服を少し乱した姿はやけに扇情的だ。
何をしたのかは知らないが、実質、押し倒したようなものだろう。
「ツイ、貴方は本当に肉食ですね。私も結構はしゃいでしまいましたが、人前で恋人を押し倒すって、相当ですよ。全く、躾のなってない子ですね」
額を押さえてため息を吐き、親の顔が見てみたいとばかりにため息を吐くタルトだが、ツイの実質的な親は彼女である。
ミラはともかく、ツイに関しては「この親にしてこの子あり」といったところだろう。
「アハハ、怒ってるミラを見てたら、なんか段々可愛くなってきちゃって、つい。でも、留守番の件は大丈夫ですよ。ミラはすっかり腰が抜けちゃったみたいですが、僕は元気なので」
タルトのジト目に負けぬツイは爽やかに笑い、サラリと言ってのける。
彼は密かにジルから尊敬の眼差しを集めた。
「何よぉ、あらひだって、だいじょぶなんらからぁ……」
相当、舌を弄ばれてしまったのだろう。
潤む瞳でキッとツイを睨み、ビリビリと痺れる舌を無理やり動かして呂律の回らぬ言葉を紡ぐ。
なんだか全体的にフニャフニャと力が抜けてしまったようで、まともに立てないようだ。
文字通り骨抜きの腰抜けにされてしまっている。
すっかり弱ったミラの姿にツイは人知れずキュートアグレッシブを感じると、柔い頬に軽く歯を立ててさらに彼女から力を奪い、放心している内に椅子に座らせた。
汗で湿った亜麻色の髪をポフポフと撫でる。
「無理しなくていいよ。急患なんてめった来ないし、留守番くらい僕だけでもできるから」
「無理させた人が何言ってんのよ! だから駄目って言ったのに。私も回復したら手伝うから」
舌が回復したミラはプクッと怒るとそっぽを向いた。
実は二人が付き合いたての頃、タルトがよく目にしていた光景である。
付き合う年数が経つことによって関係が冷めたというよりは、同棲によって満たされたツイが外では我慢できるようになったという感じらしい。
ジルは二人の熱が変に映って照れながらイチャつく様子を眺めているが、タルトの方は平然としている。
そしてシレっとジルに近づき、キッチリと閉められたボタンを外すと、
「お二人は相変わらずですね。まあ、別に構いませんが。さて、行きますよ、ジル。あまり遅くなっては夫妻に悪いですから」
と、声をかけて玄関へ向かった。
隠したキスマークがさらけ出されている上にタルトが白衣の袖をまくっているのを見つけると、ジルはギョッとして彼女の袖を直す。
「ちょっと、駄目ですよ。こういうのは内緒にするんです!」
「いいじゃないですか、お互いがお互いのものになった証です。本当はジルに私のもの! と札を張り付けて歩きたいくらいなんですから。ジルは気がついていないでしょうが、素直で優しくてかわいい力持ちの頼れる家事出来る系好青年がモテない訳が無いんですよ。本当にジルがお外で女性を作っていたらと思うと、怖くて眠れなかったんですからね!」
ジルはモテる。
これは事実だ。
タルトの話す通り、ジルのように柔らかく笑顔の愛らしい男性が、癒しに飢えた女性の闊歩する町でモテない訳が無かったのだ。
タルトは患者や町ゆく女性の、
「奴隷じゃなかったら彼氏にしたいのになぁ」
という言葉を聞いて、内心で、
『ジルは奴隷じゃありません! 第一、奴隷か否かで人間を判別するようなゲスに私の愛しいジルは渡しません! 一昨日来なさい!』
とブチギレていたのだが、同時に元奴隷という事実によって微妙に女性らの恋人候補から外されていることに安堵するという後ろ暗い日々を送っていた。
恋人になってタルトに優しく振舞うジルの姿は、きっとこれまで以上に魅力的だ。
どのようにしてジルにたかる蛾を叩き落すか、タルトの頭はそんなことでいっぱいである。
可能なら、「ジルはタルトのもの!!」と書かれたタスキをかけて連れ歩きたいのだ、切実に。
タルトは一人、頭を抱えていた。
そんな彼女の姿を見てジルに苦笑いが浮かぶ。
「タルト様だってモテると思いますけど。俺だってタルト様が誰かにとられちゃうの嫌ですよ」
まあ、実際にタルトもモテる。
高嶺の花扱いなので男性は寄ってこないが。
おまけに冷たい態度が原因で、タルトには「近寄った男性は薬の材料にされる」という悪評が経っている。
噂のせいもあって余計にナンパな男性は近寄らないようだ。
ジルもタルトも、あまり自分がモテるという自覚がない。
そのため、タルトはジルの不安をフッと笑い飛ばした。
「そんな訳が無いでしょう。人間に必要なものは愛想と優しさですよ。それが欠落した私がモテる訳が無いのです。告白されたことなんてないですし。あ、愛情も愛想も優しさも、ジルとツイとミラにはありますよ。ジルには特に! たくさんありますからね!! いっぱいですよ! 両手に抱えきれないくらいです! ですから、大好きでいてくださいね!! 私、ジルのこと大好きですよ!!」
嫌われたら生きていけません! と抱き着いてジルの胸筋に顔を埋め、グリグリと揺らして柔らかさと香りを堪能している。
自分の前ではコロコロと表情が変わるようになったタルトが可愛くて、ジルは彼女をギュッと抱きしめると頭にキスを落とした。
キスマークは衣服の中に仕舞ったが、幸せそうに笑い合う姿そのものが愛し合う証なのだから可視化できる印など要らないのだろう。
二人は手を繋ぐとドアの外に出て、眩しい空に微笑みあった。
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