二人の弟子と鼻息荒いトーク

 朝七時過ぎ、タルトの愛弟子であるツイとミラが出勤してきた。

 彼らと共に薬の補充や品質などの確認をし、予約の入っている患者のカルテや医療器具などを準備する。

 簡単に清掃も行い、朝九時頃になると、ようやくタルトの個人病院が営業を開始する。

 季節の変わり目や梅雨など人々の体調が悪化しやすい時期になると多くの患者がやって来て病院も忙しくなるが、それ以外の時期はさほどでもない。

 そもそもタルトの診療所は薬の販売がメインであり、患者たちから診察を行う場所という認識をあまり受けていない。

 また、町にも薬局や診療所、規模の大きな病院がいくつかあるので、患者も分散される。

 日常的に湿布や常備薬等を買いに来る患者もいるため極端に暇ということは無いが、これらの影響もあって常に忙しいということも無いのだ。

 そのため、患者の来ない落ち着いた時間帯には弟子に医学を教えたり、調剤をしたりして時を過ごしていた。

 今は休憩時間などではないが患者も少なく落ち着いた時間で、タルトはツイに医学を教え、ミラはその様子を眺めながらカルテの整理など事務を行っていた。

 タルトの診療所は彼女の自宅にある。

 とはいえ、診療所と自宅はドアなどで繋がっているわけではなく、双方を行き来するにはそれぞれに設置された玄関を通るしかないため、両者は厳格に分けられている。

 加えて、一階の内物置と台所、それに風呂以外の多くの場所は診療所に当てられているため、実質的にタルトの自宅は二階部分のみである。

 さて、ジルは基本的にタルト個人で雇われている使用人であり、彼女の家で発生する仕事のみをこなせばいいため、診療所を手伝う必要はない。

 だが、ジルは暇を見つけると診療所にやって来て細々とした手伝いを行っていた。

 今日も診療所内の荷物の移動を手伝っていて、忙しなく動いている。

「ツイさん、これ、どこに持って行ったらいいですか?」

 木箱を持ったジルが別室からやって来て眼鏡をかけた細身の青年、ツイに明るく話しかけた。

 木箱にはいくつもの資料が詰め込まれており、かなりの重量があるはずなのだが、ジルは平然としており余裕そうな表情を浮かべている。

「お! ありがとう。そうだな、あそこの机の上に置いてくれ。それにしてもジル君は力持ちだなぁ。僕じゃそんなに重い荷物を運べないよ」

 目を丸くしたツイがのんびりとジルを褒めると、彼は照れ笑いを浮かべて頭を掻いた。

「俺、少し前までは炭鉱で働いていましたから、こう見えて力は強いんです。あんまり背は高くないですけれどね」

 荷物運びをする過程でジルは長袖をまくり上げていたわけなのだが、そうすると傷跡の残る逞しい腕が見える。

 机に荷物を置いた後に腕を曲げ、筋肉の盛り上がった二の腕を見せれば、ツイとミラが「お~」と歓声を上げた。

 しかし、ツイの隣で医学書を読みながら勉強の指導をしていたタルトの視線は厳しい。

 というのも、実はジル、荷物を持ち上げた時の影響によってかシャツの裾を捲り上げてしまい、上半身の大部分を晒し上げていたのだ。

「ジル。はしたないですよ。服が捲れて、シックスパックと雄っぱ……もといお腹と胸が丸見えになっています。よく見せ……んんっ! しまいなさい」

 タルト大歓喜である。

 気もちの悪い感情を隠すためにわざと目つきを鋭くしているものの、興奮しすぎた脳が舌をよろしくない方向に動かしてしまったせいで、チラッチラッと本音が漏れる。

 大慌てで咳払いをし、誤魔化した。

 視界に入れてしまえばニヤけてしまうから、ジルに注意を入れた後は医学書に視線を移して彼を見ないようにしているが、心も脳も彼の肉体美でいっぱいである。

 文字など一切、読んでいない。

 目に映っているのは言葉ではなく、脳にしっかりと焼き付いている雄っぱいやシックスパック、腰などだ。

 一年かけてゆっくりと取り戻した筋肉やガッチリとした体つき、色白な肌も愛おしいが、傷の一つ一つだって妙に愛おしくて堪らない。

 ジルの傷には辛い過去の他に過酷な環境に身を置いても生き抜いてきた強さや美しさも込められている。

 そっと傷を撫でて労わり、優しく口づけをしたいというのがタルトの願いだ。

 タルトに上半身晒しを指摘されたジルは、

「え!? わっ! 本当だ! 木箱を持ち上げる時に巻き込んじゃったのかな……うう、恥ずかしいです」

 と、顔を真っ赤にしてシャツの裾を引っ張り、ついでに長袖も引っ張って体を隠した。

 綺麗に服装を整えたジルが、照れ笑いを浮かべる。

「じゃあ、俺、もう一つの箱を持ってきますね。そうしたらツイさん、勉強の件、よろしくお願いします」

「うん、分かってるよ。そんなに急がなくても大丈夫だからね。あの箱、凄く重いし。とにかく、焦らないようにね」

 ジルは「はい」と元気に頷いて、再び奥の方へと引っ込んで行った。

「ジルは頑張り屋さんですねえ」

 一連の流れをツイの隣で眺めていた三つ編みの女性、ミラが微笑ましそうに言う。

 タルトはコクリと素直に頷いた。

「そうですね。ジルの仕事は私の身の回りの世話や家事をすることなのですから、診療所の仕事を手伝う必要も無ければ、ツイに医学を教わる必要もないというのに」

「必要があるかないかじゃなくて、そうしたいって言ってましたよー。タルト先生の役に立ちたいって。健気で可愛いじゃないですか。それなのに先生、邪険にするんだもん。あーんなに冷たい目しちゃってさ。この間だって、折角お手伝いしたり、お菓子持ってきてくれたりしたのに、『いりません、帰りなさい』なーんて言っちゃうしさ。ジル、落ち込んでましたよ。先生、ジルのこと嫌いなんですか?」

 プクッと頬を膨らませるミラの不満げな言葉にタルトは滅相も無いと大慌てで首を振る。

「嫌いなわけないでしょう。むしろ愛していますよ。今だって私の脳内には純粋な笑みを浮かべてムチムチドスケベ胸筋な雄っぱいを丸出しにした挙句、指摘されて頬を真っ赤にし、慌ててしまうまでの一連が走馬灯のように駆け巡っていますから。あんなご褒美、堪りません! おかげで私の心臓は生存不可能な段階まで鳴り散らかして、皮膚を突き破って何処かにいきそうになっています。熱心に勉強するジルは努力家で大好きですし、ジルが作ってくれる菓子も料理も大好きです。今日も愛夫弁当がありますし! お昼が楽しみで楽しみで!! 笑顔には癒されますし、ジルなしじゃ生きていけない段階にまでキていますよ、私は!!」

 ジルには恋心を秘匿しているタルトだが弟妹のように思い、信頼している二人の弟子、ツイとミラには己の想いを隠すつもりが一切ない。

 むしろ、二人の前で思う存分話す事で身に溜まる熱を逃がし、衝動的にジルに抱き着いたりキスをしたりしないようにしている節がある。

 だが、それにしても勢いが凄まじい。

 ギュウッと両手に拳を作って握り込み、ジルへの愛しさを熱弁する舌はグルグルと高速で回転している。

 鼻からは荒い息だけでなく鼻血まで飛び出してしまいそうなほどだ。

 また、美しい顔面は真っ赤に染まり、涎で少し光る口元はハァハァと荒い呼吸を繰り返している。

 身内でよく知った人物であるにもかかわらず、躊躇なく通報してしまいそうになるような気迫と変態性をタルトから感じる。

 目の前で支障が変態に成り下がる姿を目撃したミラはもちろんの事、横で話を聞いていただけのツイもドン引きしていた。

「先生、興奮しすぎだよ……大体、なんでそんなに大好きなのに優しくしないんですか? 亭主関白気取りですか? そんなのサイテーですよ。私に超優しいツイを見習ってほしいです」

 口をイッと横に伸ばして歯を見せると、ギュムッとツイに引っ付いた。

 抱き着かれたツイは照れ笑いを浮かべて頭を掻いている。

 二人は大変可愛らしいカップルであり、タルトも和んだのだが、

「確かにツイは貴方に優しいですが、私だって好きな子は甘やかしたい派ですよ。亭主関白や偉ぶる男性はカスです。滅ぶべきです。死刑です」

 と、亭主関白な男性の話題を口にした瞬間に瞳が光を失い、目つきが悪くなった。

 声も途端に低くなり、言い表せぬ怨恨のようなものを言葉の端々に響かせている。

 燃え盛る炎が一瞬にして大量の冷水にかき消されてしまった時のようにパッと表情が切り替わるタルトにも、やっぱりミラは引いている。

「先生、言いすぎ、言いすぎ。あと、目が怖いです」

「すみません、つい実父に対する恨みつらみが口から洩れていました。ともかく、私がジルに冷たくするのはジルとの距離を保つためですよ。ジルは、私の奴隷ですから」

 ようやく落ち着いたタルトの口から転がり出た「奴隷」という言葉。

 この言葉を口にする時、タルトの唇が嫌そうに歪んだ。

 そして、元奴隷でありタルトに買われたミラの心臓もズキンと痛んだ。

「そんな言い方しなくても。だって、ジルは私と同じで『元』奴隷でしょう? 先生、奴隷は購入した後すぐに契約を解除して使用人契約に切り替えるから。ジルは先生の奴隷じゃなくて、使用人でしょう?」

 ミラの心に長らく感じていなかった不安がよぎる。

 心臓にかかる黒いモヤを払しょくしたくて、確かめるように問いかけた。

 だが、タルトは無情にも首を横に振って否定する。

「一緒ですよ。私は精神的な意味合いでジルがいなければ生存不可ですが、ジルは私がいなければ物理的に生存不可に陥ります。家も職も、食べ物も、お金も全部一気になくなりますし、元奴隷の人間を良い待遇で雇ってくれる店なんて、そうはありませんから」

「でも、ジルは真面目だし、おばちゃんとかおじちゃんが冗談交じりでだけど、うちで雇いたいな~って、よく言ってますよ」

 タルトの言葉には感情が乗っていない。

 冷たいようで温かなタルトの柔らかい言葉が凍ってしまった気がして、ミラは明るく言葉を重ねた。

 それでも、やっぱりタルトは冷徹だ。

 冷たい視線が机の木目をなぞった。

「そうですね。あの子は素敵な子ですし、この町の皆さんは温かな人が多いですから、本当は一人でも生きていけるのかもしれません。ですが、あの子は生まれてから十年以上もの長い間、炭鉱という過酷な場所で奴隷として生きてきた子です。きっと、奴隷以外の生存方法を知らない。それに、未知のリスクを受け入れるくらいならば、多少嫌なことがあろうと安牌をとるでしょう。すなわち、私に迫られて嫌悪感を覚えても、あの子は私を受け入れるでしょう。生きるために、そうするのです。あの子の意志とは無関係に。きっとそこに幸せはありませんよ」

 吐いた溜息が凍っている。

 ミラの瞳が潤んだ。

「で、でも、先生はおんなじ状況だった私のことを家族として受け入れてくれたじゃないですか。今だって、先生と私は仲良しですし。だから、あんまりお勉強ができなくて愛想しか取り柄の無い私を雇い続けてくれているんでしょう?」

 本来ならば自分には全く関係の無いタルトとジルの話。

 それでもミラが必死になるのには訳がある。

 ミラはジルと同じ元奴隷で、本人の適性により一時期は使用人の真似事をしていた。

 ツイとは違って薬学や勉強の類が得意ではなかったミラは、今も受付や事務の仕事をメインに行っており、客観的な立場がジルに酷似している。

 そのジルがタルトによって「奴隷」として貶められ、冷たくあしらわれているのを見ていると間接的に自分も「奴隷」として嘲られているように感じてしまった。

 彼女は奴隷であった期間も長く過酷な環境に身を置いていたことから特定のキーワードで不安定になりやすい。

 タルト先生と私は家族。

 だから、タルト先生とジルも家族ですよね?

 少なくとも、「奴隷」だと本気で思っているわけではないですよね?

 そんな願いを込めて、質問を出し続けていた。

 ミラの意図に気がついていないタルトに対して彼女と長い間を恋人として過ごし、悩みや不安を共有してきたツイは、すぐに意図を理解することができた。

 震えるミラの小さな手の甲の上にツイが温かな手のひらを重ねる。

「ミラ、大丈夫だよ。多分、ミラが心配するようなことをタルト先生は思ってないから。タルト先生、タルト先生がどうしてジルのことを『奴隷』と呼ぶのかはさておいて、先生にとって、少なくともミラは家族ですよね?」

 穏やかに問いかけながらミラの頭を撫でると、ようやく彼女はホッとため息をついた。

 二人の様子で、ようやくタルトもミラの意図を察したらしい。

「ああ、そういう……誤解させて申し訳ありませんでした。そうですよ。ミラもツイも私の大切な家族です。貴方たち二人にとって私がどのような存在であるのか、それを推し量ることはできませんが、少なくとも私は二人を弟妹のように思っています。とても温かくて、大切で、守りたい存在です。ですから、ご自分を卑下なさらないでください。愛想は生きていく上で一番大切もの物です。私だって欲しいくらいなのですから」

 ツイにならってタルトもミラの頭をポスンと柔らかく撫でれば、不安そうだった彼女の表情が和らぐ。

「タルト先生、凄く不愛想だもんね。患者のおばちゃんが、タルト先生はニコニコしてたらすぐに夜目の貰い手がくるのにって残念がってたよ」

「ふむ、ですが、ニコニコ笑顔を元に『俺の嫁に来いよ』なんてほざく人間の嫁には死んでもなりたくないですから、それは良いのです。やはりジルのような、いや、ジルが至高!!」

 ジルが話題に上れば冷たくなっていた瞳にも灯りが灯って、ついでに鼻息が荒くなる。

 分かりやすいタルトの態度や少々過激な発言にミラはクスクスと笑みを溢した。

「先生、流石に偏見だって。そういうとこだよ。だから不愛想になっちゃうんでしょ。ねえ、タルト先生、やっぱりジルのこと大好きなんだよね。それなのに私たちと違うって、『奴隷』だって冷たくしたのはどうして? なんで距離をとらなきゃいけないの?」

 今度はタルトのことを好きなジルを思って、ミラの瞳が寂しく揺れる。

 観念したような、あるいは困ったような表情を浮かべたタルトが小さく息を吐きだした。

「貴方たちと違う理由、それは……そうですね、ジルを買った時の話でもしましょうか」

 ツイもミラも、ジルが購入されてタルトの家にやってきた経緯を知らない。

 興味津々に頷くと、二人の熱い視線を受けたタルトが重々しく口を開いた。

「ジルは、ジルだけは『ビジュ買い』なのです」

「「ビジュ買い!?!?」」

「そうですよね。お二人とも、さぞ軽蔑なさった事でしょう」

「あ、いや、先生からチャラい言葉が出てきてビックリしただけです。どうぞ、続けてください」

 ミラに促され、タルトはジルを購入したいきさつを語り出した。

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