第2話 転送の瞬間:震える大地

意識が戻りつつある誠一郎の目に飛び込んできたのは、月明かりに照らされた古びた森の風景だった。彼はゆっくりと体を起こし、周囲を見渡した。周囲は自然に囲まれ、どこか懐かしい雰囲気を感じさせる森が広がっている。彼の身につけているのは、現場作業用のシンプルな作業着と頑丈なブーツのみで、何も持たずにここにいることに戸惑いを覚えた。



「一体、全員はどこに行ったんだろう?」




彼は声に出して呟いたが、答える者はいない。ただ風が葉を揺らす音だけが彼に応える。彼は立ち上がり、足を引きずりながらも、何とか歩き始めた。まだ体中が痛く、地震のショックで精神的にもまいっていたが、自分がどこにいるのか、そして一刻も早く安全な場所に移動することが必要だと感じていた。

彼が歩く森の道は、不思議なほどに手つかずの自然が広がっており、彼の知る三内丸山遺跡の周辺とは異なる様子だった。まるで時間が止まったかのように静かで、たまに鳥の鳴き声や小動物の足音が聞こえるだけだ。誠一郎は、自分が何かの間違いで違

う場所に連れてこられたのではないかと考えた。



「もしかして、僕はまだ夢を見ているのかもしれない…」




彼の心の中でその考えが強くなったが、寒さが身に染みる感覚や、腕にできた小さな傷から滴る血が、これが現実であることを教えてくれた。彼は少し進むと、小川に出た。水面に映る月の光が、彼の存在をより孤独に感じさせた。




彼は川の水を手で触り、冷たさを確かめながら、少しずつ前に進んでいくことに決めた。水は清らかで、どことなく甘みがあるような感じがした。誠一郎はしばらく川沿いを歩き続けた。



夜が更けていく中、彼は不安と恐怖で心が重くなりながらも、何とか生き抜く方法を見つけなければならないと自分に言い聞かせた。



森の奥から何かが動く音がした。誠一郎はその場で立ち止まり、身を潜めた。目の前には、小さな光がちらついている。それは、何かの灯火のようだった。彼は好奇心と恐怖が入り混じる複雑な感情を抱えながら、その光に向かってそっと近づいていった。


誠一郎は、そろりそろりと光に近づいていく。枝が踏まれる音が、この静寂の中で異様に大きく響き、彼の心拍数を高めた。彼は時折立ち止まり、耳を澄ませ、周囲の気配を感じ取るようにした。風が彼の作業着を軽く揺らし、頬を撫でる冷たさが、彼の意識をいっそう鋭くした。




彼の足元は不安定で、腐葉土が深く、足が沈み込むたびに少しずつ靴に泥がついて重くなっていった。



この未知の地で、彼は自身の限界と戦いながらも、生き残るための本能に突き動かされていた。彼は、あらゆる感覚が研ぎ澄まされていることを感じ取りながら、わずかな音や動きにも敏感に反応する。どんな小さな情報も見逃さないようにし、未知の危険から身を守るために緊張を保ち続けた。




光源に近づくにつれ、誠一郎の心には期待と不安が交錯した。彼はその光が人々の活動の証であることを願いつつも、何か未知の危険が待ち受けているのではないかという恐怖を拭い去ることはできなかった。彼の肺は冷たい空気を繰り返し吸い込み、呼吸は少しずつ浅くなっていった。彼の目は、前方の灯りに集中し、その光が揺らぐたびに心臓の鼓動が速くなった。



やがて、彼が灯りの源にたどり着いたとき、そこには小さな火が、精巧に積まれた石の周りで揺らいでいた。火の周囲は無人で、誠一郎はほっと息をつきながらも、なぜここに火があるのか、その理由を考え込んだ。彼は火のそばに腰を下ろし、手を伸ばしてその温かみを感じながら、自分がどこにいるのか、何が起きているのかを整理しようとした。




誠一郎の脳内は、考古学者としての理性と、現実の辻褄が合わない状況に困惑する感情とがせめぎ合っていた。彼はこの火が、もしかすると他の誰かがこの地を訪れた証拠である可能性を考え、それに少し安堵した。しかし、彼の心の奥底では、この場所が自分が知る世界とは異なる何かであるという疑念がぬぐえずにいた。




彼は火を囲んで座り、じっと夜空を見上げた。星々は見慣れた配置とは微妙に異なり、それが彼の不安を更に煽った。この静けさ、この星の配置、そしてこの不思議な感覚は、彼がいまだかつて経験したことのないものだった。誠一郎は、自分が本当にタイムスリップしてしまったのではないかという考えを初めて受け入れ始めた瞬間でもあった。


誠一郎は、その火の温かみに少し安心しながら、未来についての考えを巡らせた。彼の心は、疑問と不安でいっぱいだったが、生存本能が彼を現実に引き戻し、何をすべきかを考えるよう促した。彼は火の燃えさしをじっと見つめ、少しでもこの場所の手がかりを探そうとした。




「どうすれば…」彼はつぶやいた。この先に何が待っているか分からない中で、彼は生き延びるための計画を立てる必要があった。誠一郎は火の周囲を確認し、何か食べ物の痕跡や、この火を使った他の人々の証拠を探したが、何も見つからなかった。それでも彼は諦めず、石と枝を使って小さな避難所を作り始めた。彼の動きは慣れない

ものだったが、意外と効率的で、直ぐに体が温まり始めた。



夜が更に深まり、森からの音が増えてきた。遠くで狼の遠吠えのような声が聞こえ、彼の背筋を凍らせた。しかし、その声がまた彼に行動を促した。彼は、自分が何者かに見つからないよう、火を少し小さくし、炎を囲むようにして身を潜めた。夜は冷え込み、彼は自分の作業着の上に落ち葉をかけて、体温を保とうとした。

突然、小枝がポキリと音を立てて折れる音が聞こえた。誠一郎は息を潜め、じっと音の方向を見つめた。



一瞬の静寂の後、薄明かりの中に一つの人影が現れた。その人影は、彼に気づいていないようだったが、ゆっくりとその場に近づいてきた。



誠一郎の心臓は激しく鼓動し、彼は動くことができなかった。人影が近づくにつれ、その詳細が徐々に明らかになってきた。それは、長い髪を持ち、皮の衣服を纏った女性のようだった。彼女は静かに地面を見ながら歩いており、まるで何かを探しているかのようだった。



誠一郎は息を呑んだ。彼女の存在は、彼がタイムスリップしたのかもしれないという考えをより確かなものにした。彼は、彼女が去るのをただ見守るしかなかった。しかし、彼女がふと頭を上げて、直接彼の目を見つめた瞬間、彼の運命は変わった。彼女は驚いた表情を浮かべ、軽く手を振りながら近づいてきた。

「あなたは誰?」彼女の声は柔らかく、不安げだったが、好奇心も感じられた。

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