人間失格。
詩人になりたかったんです。萩原朔太郎とか中原中也みたいな詩人に。そのために毎日毎日毎日、来る日も来る日も辞書とにらめっこをしました。それからそのなかでもとびっきり美しい、1等賞の言葉たちを紙の上に救い出すのですが、そうしているうちに言葉たちはグルグルと輪になって、捻れて、捻れて、捻れて、いつしか1本のロープになりました。先が輪っかになっている、絞首刑用のロープです。足元には「失格」と書かれた紙がたくさん散らばっています。失格。失格。失格。ロープ。ああ、そういうことなんだ、と思いました。
輪の中に首を通すと、不思議と安らかな気持ちになりました。詩人とは不幸な生き物なのです。不幸な生き物が生きていくには、どうにもこの世は生きづらい。生きづらいながらもなんとか息をする手段が言葉を綴ることだった、そんな不幸な生き物のことを「詩人」と呼ぶのでしょうか。それなら僕は、詩人になれなかった僕は、言葉に救われるないままのただの不幸な生き物だった僕は、こうすることでしか安らぎを得られなかった僕は、一体なんなのでしょうか。
ロープが首にくい込みます。僕は生まれた時のことを思い出しました。母親の胎内から押し出され、最初に吸った息の青臭さ。僕を覗き込んだ看護師の安っぽい香水の匂い。分娩室中にこもる熱気。僕にまとわりついたへその緒の、いやにぬめぬめとした感触。安心できる空間を追い出されたという、底抜けの絶望感。それから、それから、それから.......。
人間失格。
昔、たったひとりの友達に僕の夢を告げたことがあります。笑われるかな、と思いましたが、彼は笑いませんでした。それどころか、「いいものが出来たら見せてくれよ」とまで言ってくれたのです。結局彼に僕の詩を見せることはありませんでしたが、少しだけなら見せてあげてもよかったかもしれない、と今更ながら思いました。
太陽が昇って、下りて、昇って、下りて.......幾度目かの冬が来た時、僕は犬になりました。犬はいいです。ゴミ捨て場に寝そべって空を見上げます。カラスと戯れます。時折通りかかる人たちに頭を撫でてもらいます。何もしなくても「かわいいね」と言ってもらえて、それだけで一日が終わります。僕はもう、不幸な生き物なんかじゃありません。
そんなある日、僕はひとりの男の人に出会いました。ボサボサの髪に伸びっぱなしの髭。ボロボロのコートを身にまとっているので、まるでボロ雑巾のようでした。ガリガリの体からは想像もできない音量で何やらわめいていて、周りの人はそんな彼を遠巻きに眺めています。周囲のコソコソ話を聞くに、彼はどうやら友人を亡くして以来気が狂ってしまったようなのでした。
「詩人だよ、詩人なんだよ彼は。分かるかい君、ちょっと目を通して見てくれ。素晴らしいだろう。素晴らしい、本当に素晴らしい」
みんなは何も答えません。ただあわれみの目で彼を眺めるだけです。
そのうちポツリポツリと雨が降ってきました。人々はねじ式人形のように動き出し、ばらばらとお家へと帰ります。暖かくて幸せなでミルクの匂いがするお家に。彼と僕だけがその場に留まって、土の匂いがする冷たい雨を、ただじっとりと浴びていました。
彼は僕をじっと見つめました。僕も彼を見つめました。それから彼は目尻を下げて微笑みました。優しい顔でした。
「.......これを書いた男はね、僕の友達だったんだ。たったひとりの友達だったんだ。才能もあった。僕には書いた詩を一度も見せてはくれなかったけどね、夢を語る彼の瞳があんまりにも綺麗だったから、それだけで僕には分かっていたよ。……だのに地球人は彼を認めてくれないもんだから、彼はきっとてんびん座に昇ったんだ。それからそこで同じように詩を書いている。てんびん座の人々はみんな彼の詩が大好きでねえ、こうして僕が彼の部屋からこっそりかき集めたものを配らなくても、みんなが彼を認めてくれる。だから彼は帰ってこないんだろうね。でもそれでいいんだよ。それでいいんだ。それでいいそれでいいそれでいい.......てんびん座でなら、彼はずっと笑っていられるんだから」
僕はなんだか悲しくて悲しくてしかたがなくなって、ワンワンワンと吠えました。それしか方法がないのです。だって僕は犬で、たったひとりの友人を抱きしめる腕は持っていないのですから。
彼は空を見上げます。雨が目に、口に、鼻に入ります。それから涙とぐちゃぐちゃに入り交じって、彼の喉元を伝いました。僕はそれを拭ってやりたかった。だけどできません。ただ吠えて、吠えて、吠えて..............。
「.......今日はてんびん座が見えないねえ」
彼は笑う。僕は泣く。
人間失格。
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