私は「とまと」 Ⅲ
これまでご高覧いただき、光栄でございます。
最近、「とまと」、勉強を始めました。
「自分に時間を使わないのがムカつく」
ある日姉に言われた言葉が私の頭から離れず、何をするかもわからぬままに、資格か何か取れば自分のためになるのかもしれないと何となく思った次第でございます。
何事も続かず、途中で諦める癖のある私です。このモチベーションがいつまで続くかは定かではございませんが、一旦始めると致しました。
始めた勉強というのは、以前から興味を持っていた、日本語教師資格の勉強です。これはまたいきなりレベルの高いとこを目指すのかと思われたかと…笑
こんな「とまと」ですが、いつかどこかの誰かに言われた、「日本語教えるのが上手だ」と言う言葉がきっかけでございます。単なるお世辞とも思わずにその言葉を鵜呑みにしてしまったのです。それでも、私は幼い頃から教えることや人前に立つことが好きで、教師になることを夢見た事もあったのです。大学での専攻が教育学なのもそのためでございます。そんなこんなで、全くの圏外ではないかと…
それはそれとして、私「とまと」、勉強と言いましても、これまでそれほど真面目にしてきたわけでもなく、「独学」という厳しい中で、モチベーションを保てるかどうかというところが鍵でございます。高校までの学生時代は、先生の言われるままに、両親に言われるままに、「しなければならない状況」であったからこそできた勉強。それが切羽詰まることのない、この社会人では、何と難しくなることでしょう。
皆様はそんなご経験、ございますでしょうか。
「勉強」
「夢」
「進路」
「努力」
「青春」
「活力」
「貪欲」
どれも学生の頃は大変嫌な言葉でなりませんでした。(今でもそれほど好きになれてはいませんが…笑)それも今では懐かしい。
そんなことを思っていたら、何となく思い出に浸りたい気分でございます。お時間いただけましたら、平凡ではございますが、この「とまと」の思い出にお供くださいませ。
私「とまと」、早生まれでございます。
世紀末。年が明け、程なくして、予定日より一日遅れの夜中でございました。やっとの思いで母体からの脱出を成功させ、幸運にもこの世界と対面いたしました。
「とまと」家の次女として家族に歓迎された初めての日です。
元気が良すぎるほどの姉と、若く溌剌とした両親に可愛がられ、何とも頑丈にぬくぬくと成長を果たしました。母乳が出ず、一時は痩せたものの、粉ミルクのおかげで復活。少しふくよかなくらいまでになりました。そんな私は姉や従姉妹とは正反対でした。従姉妹の家族と交流することの多かった私は、一人だけふっくらした体型でした。叔母からの言葉が幼い私には痛いほど刺さったのを覚えています。
「あんただけ違うね」
私のふっくらした体型も然り、食の好みも然り、私だけが違うことが嫌でたまりませんでした。食べることへの興味がなくなったのはそんな頃からだったでしょうか。成長するにつれ私の食は細くなりました。
そんな「とまと」も幼稚園入園、卒園を経て、小学校入学いたしました。幼稚園の頃はさほど覚えておりません。ただただ一生懸命に園内を走り回り、何も考えることなく遊ぶことに全集中いたしました。そして迎えた小学校。
とても楽しかった。
これにつきます。全校生徒50人もいない小さな小さな田舎の学校でした。私の同級生は5人(途中転校生が来たり転校していったりで卒業の時はこの人数でした。)どんなに馬が合わなくても関わらないことなどできません。前に出て発表することや誰かに教えることの好きだった私は、そこではリーダー格でした。下級生も同級生も引き連れて、活発に溌剌と遊んでいたと思います。
もちろん小さな嫌なことやいざこざはありましたが、振り返ってみて思うのは、それもそれで楽しんでいたと思えてならないのです。
そんな小さな世界で小学校生活を過ごした「とまと」。中学生になります。姉は公立の中高一貫校である新学校にお受験をして見事合格。真面目な人でした。それとは反対に私は、姉と同じ学校の入試を受けるも不合格、母が探し当てた私立中高一貫校に入ることになりました。その頃からでしょうか、私が自分を卑下するようになったのは。
その頃からでしょうか、私が反抗期の頂点を迎えたのは。
今思えば、姉には反抗期がなかったように思えます。姉は順調に、ごく平凡に、どちらかというと高学歴高収入で、社会に溶け込んでおります。地位のある立場にいれるのは、彼女の底なしの努力の結晶なのでしょう。
小さな世界で甘々と過ごしてきた私は、中学校という壁にぶつかりました。そこで生き抜くために、私はできるだけ目立たずに、静かに過ごすことを心がけました。さほど大きな学校ではなかったものの、「女子のグループ」はそれでもあり、それに加えて勉学も加わりました。私が言われるがまま、せっせと勉強をしていきました。姉のように頭脳明晰ではなかったものの(怠け者であることに変わりないのです。)その学校ではトップを維持し続けました。1位を取れば取るほど、誰かに褒められる。それが何よりの励みでした。その時に覚えた四字熟語は「鶏口牛後」でした。「どうせ」という言葉をよく口にする私に母が教えてくれた言葉です。どんなに小さい中でも一番を取ることに意味がある。そう思い込むように励みました。
それでも私は、中学校が嫌いでした。思春期でもあったからなのでしょう。成長と共に自分が変わっていくのがわかりました。かつての私を思い出せなくなって怖くなったのでしょう。度々胃がキリキリと痛み、目がチカチカとなったのを覚えています。学校に行きたくなくて、母に訴えたこともありました。
そんな中でも大切な友人を作ることができたのは、幸運でした。彼女は独特且つ社交的な性格で、思ったことをストレートすぎるほどに表現する人でした。何度もぶつかり、喧嘩もしました。それでも元通りに仲良くなり、今でも連絡を取るまでに絆を結んでいれています。それはきっと彼女が私をこよなく愛でてくれるからなのでしょう。
その子とは高校まで一緒でした。(一応、中高一貫校ではあったので)晴れてJ Kとなった「とまと」。勉強をすることにも慣れてまいりました。トップを維持することもいよいよ難しくなってきました。それでも一番にこだわることを諦めなかったのは、自分でも褒めてあげたいと思っています。
「大学受験」
「センター試験」
そんな言葉がチラつく日々。それでも中学の頃よりは楽しかったように思えます。クラスの誰もが試験に向けて進んでいる、そのことが励みになっていたのだと思います。教科によって、得意不得意も出てきました。それでも満遍なく点を取るように心がけました。
そんな時、姉が大学入学を迎えました。文武両道の彼女は、西日本では名のある国公立大学に入学。姉の有能さを改めて感じた瞬間でした。
一方で、文系の私ですが、得意だったのは英語、不得意だったのは国語でした。結構な致命傷なのは自分でもわかっていました。案の定、英語で点の取れなかった私は、センター試験で転けました。志望校を変えての挑戦も追い打ちをかけるように失敗。少し投げやりになっていた私は、浪人しないよう手の届くところで落ち着きました。
地元の国公立大学に入学した「とまと」は、やっとこさ、新たな出発を果たしたのでした。
少なからず、大学での新しい生活に期待と不安を抱いていました。期待しすぎていたといった方が正しいでしょうか。華やかな生活を想像しました。でもそれは、自分から行動することのできる人にのみ訪れるものでした。積極的になることもふざけ倒すこともできなかったプライドの塊の「とまと」には、ただ流れるだけの時間を呆然と過ごすことしかできませんでした。大学で何を学んだのでしょうか。
キャンパスライフ…
トラブルメーカーといっていいほどのお騒がせ者になってしまいました。男女混合の10人のグループに属していた私ですが、この中で恋愛を始めてしまったのです。これは他の8人にとってはいい迷惑でしかありません。大学ですから、高校までよりは深く関わってはいないものの、それでも気を遣わせてしまったことには違いありません。
私は落ち着いた雰囲気のある男の子に恋をしました。そして簡単に言うと、彼と初めてを全てして、依存し、互いに傷つけあって、疲れた私は、彼とお別れをいたしました。その時の私に見えていたのはその人だけでした。どんなに周囲から心配されていたか、励まされていたか、支えられていたかなんて、考えることもしませんでした。とても身勝手で、幼稚だったと今更ながら思うのです。(それでもその後の人生でも同じようなことは起こるのですが…恥ずかしくも、学ばない「とまと」です)
「とまと」、大恋愛でございます。それまで付き合ったことがなかったといえば嘘になりますが、記憶の中に色濃く残る人というのはそれほど多くはおりません。その人は良くも悪くも私の頭の中に深く残り、私の考え方を変えていった人でもありました。それまでは比較的真面目に生きてきたと思います。男女関係であれ、友人関係であれ、生活に対しても。好きになったら彼色に染まりに染まってしまうのも私の悪い癖でもあります。そこから依存に変わってしまうこともよくわかります。そんな私だったからこそ、私はその人に惹かれたのだと思います。それでも、今の私に後悔はございません。素敵な人と出会えたのだと感謝しています。その人から学ぶことも、その人との関係から学ぶこともありましたから。
学生の「とまと」は、初めて「授業をサボる」をしました。10人の中での居場所も見出せず、友人から離れて過ごす日々を送りました。「孤独」でした。今思えば。助けてくれるのは「彼しかいない」そう思うようになりました。それからは楽しくも、苦しくも何も成すことなどできずに2年間を費やしました。一人に依存する私を両親は何度も諭しました。当時の私の心には虚しくも響かなかったのですが…
ですが、そんな「とまと」にも、ある日突然、糸が切れたように、その人への気持ちが無くなったのです。前兆はあったにせよ、とても突然でした。それを機に、私は彼とのお別れを果たしたのです。
その後の2年間が一人だったかというとそうでもなく、一人の嫌いな「とまと」が我慢できたのは、たったの半年間。1年間はまた別の方との不思議な関係を築いてしまうのです。また別の殿方は、外国に住んでいる異国の人でした。文化も話す言語も違う。それがとても新鮮に思えました。感情や情景を細かく話すことが上手な人でした。時差のある中でも連絡を取り合うことは欠かしませんでした。とても忠実な人だったのだと思います。外国の彼とはとうとう会うことは叶いませんでした。私の中で空想の人に恋した感覚でした。それでも1年間もの間ある意味遠距離恋愛を楽しみました。その頃からでしょうか、「アプリで出会う」ことにそれほどの警戒心も持たなくなったのは。
それ以降の人はアプリでの出逢いでした。他に出会いがなかったのも然りですが、アプリでの出会いはとても簡単だったのです。相手の情報を(嘘だったとしても)ある程度知っている状態で関係を築いていくのも、人見知りの「とまと」にとっては楽ではありました。(痛い目にも何度もあいましたが)それも含めて社会(の汚れた面)を知れたように思えます。少しずつではありますが、「アプリでの出会い」はよくあることになってきております。徐々に理解されるものになってくれればと願うばかりです。(特に両親には…)理解されない原因はよくわかります。素性を知らなくても知ったように感じるところに闇が潜んでいるからでしょう。それで多くの人が被害に遭ったと思うのです。それでも可能性は残していてほしい。きっとアプリの作成者は幸せな出会いを望んでいるはずなのですから。(あくまで、個人的な見解でございます。失礼致しました。)
話を戻しましょう。
卒業を目前に、教師という職業について深く考えた「とまと」。私が思い描いたものではないと思い始めてしまいます。そう考え出すと、今大学で学んでいることは無意味に思えてくるのです。学生の「とまと」は自分が有能であると信じて止まない勘違い野郎になっていたのです。大学で学ぶことは授業以外でもたくさんあったはずなのです。しかし、「辞めたい病」にかかった「とまと」には何にも感動を覚えることはできませんでした。そんな私に両親は懇願しました。「大学までだけは卒業してくれ」母が私と論争し、互いに泣きじゃくりながら喧嘩する中、父が私を叱責しました。娘に対して怒る事のない父が初めて見せた怖い顔でした。やっとの思いで私は卒業を果たすことができました。続けることのできない「とまと」ですが、尻を叩かれに叩かれれば、できるのだということを、恥ずかしながら実感いたしました。
大学院まで進んだ姉と一緒に私は、卒業と就職をいたしました。晴れて社会人でございます。故郷を離れる道を選んだ「とまと」。楽しみでも不安でもありました。姉も頑張っている、私も負けたくない。少なくともそんなことを思っていたのだと思います。私は福祉職に、姉は研究職に進みました。正反対の姉妹ですが、これまで喧嘩といった喧嘩はしたことがありません。互いに尊敬し合い、相談相手でもありました。離れていながら繋がっている。そんな存在だったと思います。私は周囲に姉の自慢をし、姉は私を静かに見守りながら寄り添う。互いに好きの表現方法も違いました。
また話が逸れてしまいましたね。失礼致しました。
社会人として初めて故郷を離れ、一人暮らしを始めた「とまと」。最初は順調でした。研修があり、同期とも上手に関係を築いていきました。ですが、研修を終えた後、仲良くなった同期の配属先はバラバラ。その後の交流はほとんどなくなってしまいました。「孤独」の苦手な「とまと」はとうとう壊れてしまったのです。
そして皆さんもご存じ、「無職の「とまと」」が誕生してしまうのです。
さほど特徴のない少女が成長していくという、平凡なお話でございました。
長々と失礼致しました。私事でございました。
あっ!追記でございます。(このタイミングで⁈)
勉強を始めた「とまと」ですが、もう一つ始めたことがございました。それは物書きでございます。「私は「とまと」」を書き始めたのもこの時でございます。慣れないながら、サイトを作り、自分の想いを、考えを、幻想を、書き連ねていく。幼い頃から作文の好きだった「とまと」。日々に圧倒され、何をするにも面白さを見出せずにいた私ですが、幸いにも、徐々に好きなことを思い出せるようになってまいりました。
「自由に想いを言葉にすること」
これほど楽しめていたのかと改めて感じることができております。私の心も安定を取り戻してくれているのでしょうか。そう願います。
勝手ながら、自己満のサイトでございます。それでも続けていけたらと思っております。少しでもお楽しみいただけたなら幸いでございます。
これからも「とまと」をどうぞよろしくお願いいたします。
改めまして、長々と失礼致しました。私事でございました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます