私は「とまと」 Ⅱ

無職だった「とまと」、バイト始めました。


唐突ですが、私「とまと」、大手雑貨屋さんでアルバイトを始めました。以前は無職であった私ですが、今では社員さんに頼られる程のバイトとして活躍できております。(自慢です!先日頼りにしてると言われて、お世辞でもすごく嬉しくてつい…)


姉の土地に辿り着いた私は、仕事を探しながらも、どこにも採用されないことに少し安堵していたと思います。それでも生活するためにはお金がかかります。姉に資金援助してもらっているばかりではいられないのです。

それに私は何より彼を忘れることができていませんでした。彼とは連絡を取り続けました。勝手ながら、姉の地を選んだのも、彼が去ってしまった場所と少しでも近いところがいいと考えたからでもあったのです。

私は居候の身ながら、いかに身勝手か、笑えてしまうほどです。

恐らく家族もそれを分かっていたと思います。

それでも姉は優しすぎるほどに私を甘えさせてくれました。


姉と暮らし始めてから数ヶ月が経った頃でしょうか。私も姉との生活に慣れてきました。もちろんお互いに合わないところもあり、些細な衝突も起き始めました。

私は彼のことを忘れられず会いに行くこともあり、姉は私の行為を嫌がりました。私の雑さや怠惰さが、真面目な姉には、鼻についたでしょう。私に怒る姉ですが、私はそれも当然だと思っていました。ただただどうしようもない妹で申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そんな私はなるべく喧嘩の無いよう、耐えることにしました。そして姉の言いつけは守るように心がけました。


それでも、

私にはどうしても耐えきれないこともありました。


姉には、新しい土地でできた彼氏がいて、その人はよく姉の家に遊びに来ました。二人は、私がいることをさほど気にしていない様子でした。寧ろ、一緒にひとときを過ごし、楽しんでいるようにも見えました。

最初は、それほど頻繁ではありませんでした。事前に私には彼氏が来ることを話してくれていました。

ですが、だんだんそれはなくなり、彼氏が来るのもより頻繁になっていきました。

私はどこに行くあてもなく、

どう接するのかも分からず、

ただ、

姉とその人が仲睦まじくしている様子を、

同じ部屋で、

眺めるも、

聞き流すもできず、

早くその時が過ぎ去ってくれることだけを祈って、

ただただ、

時計を見て過ごしました。


そんな日々が続きました。私は耐えきれませんでした。

姉の猫撫で声も、

その人が私の領域に(姉との共同区域ですが)侵食してくることも、


私はついに行動に移してしまいました。


姉が仕事に行った後、姉にメッセージだけを残して、車を走らせました。

向かう先は彼。

「今から行ってもいい?」

「いいけど、大丈夫?」

彼は受け入れてくれました。

私の身勝手を。

後から考えても私は家族にも彼にも多大な迷惑をかけたと反省しています。それでもあの時の私にとっては、彼の元に行くことが何よりの救いでした。彼といる時間だけは、私が安らげたひとときでした。


帰ってきた時の私に、姉は何も言いませんでした。


それから数ヶ月が経って、私は家族と会議をしました。いわゆる家族会議です。私の今後と彼のこと、姉との生活、その他諸々のことについてです。私と彼の関係を真面目な両親や姉には理解されないことは分かっていました。それでも私の辛い時を支えてくれていたのは彼であったことは事実です。私が彼に寄せる好意は変えられません。

母は怒り、

姉は落胆し、

父は呆れていました。

私はただ泣いていました。

理解されない苦しみはよく知っていました。家族とは分かり合えないこともよく知っていました。以前からよく知っていました。私の想いや考えは、家族のそれと、ほど遠く、理解の外。逆も然りなのでしょう。いつも妥協し合っていたのだと思います。それでも譲れないものもあり、結局は何も解決策のないまま話は終わっていたこともよくありました。


それでも、

この時は、

私は彼のことを離したくなくて、

どうしても忘れたくなくて、

どうしたらいいのか分からなくなって、

私は彼に電話しました。

「じゃあ、付き合う?」

彼が言った一言で家族会議は終結しました。私と家族が妥協できない問題は、私と彼の曖昧な関係性にありました。その関係性がはっきりした時、家族の妥協点は見出され、私は解放されました(家族は未だ彼のことを少しもいい人だとは思ってくれてはいませんが)。少しの不安と少しの安堵とがごちゃ混ぜになって、流れていた涙を止めてくれました。


その日、彼の意外な一言で、私と彼は結ばれてしまいました。


そんなこんなの月日を送りながらも、私の就活は続いていました。私はあの大手企業の子会社のオープニングスタッフ募集を見つけました。受からないだろうと思いながらも受けた面接でしたが、幸いにもバイトとして雇われることとなり、次こそはと挑戦することを決めました。

その年が私の新しいスタートになりました。


職場にはさまざまな事情を抱えた人がいました。私にも事情はありましたが、それとは別の事情を持った人、家庭を持った人、賑やかな人、落ち着いている人、仕事の早い人、話すのが好きな人、一人で抱え込んでしまう人、いろんな人がいました。私はそこで見聞を広げていくことが出来ました。自分からは話しかけづらい人にも話しかけることができるようになったと思います。仕事をこなせばこなすほど、周囲からの「ありがとう」は増えていきました。

私はそれがとても嬉しかった。

これを求めていたのだと自分でも改めて気がつきました。

そして、相手にも「ありがとう」を伝えたいと思うようになりました。

これまで、私は傲慢にも誰かの優しさに甘えていた節がありました。今でも、恥ずかしながら、家族には甘えっぱなしです。

そんな傲慢な私の周りには、幸運にもいつも助けてくれる誰かがいました。

いつか私の心の安定を取り戻すことが出来たら、彼らに恩返しができるでしょうか。

そんなことを思いながら、

私は着実に一日を生きています。

生かされています。

生かされていることが苦しかった日々。

それでも少しずつそれはそれでいいものなのではないかと思えるように



仕事にも十分に慣れ、早5ヶ月がすぎました。彼と付き合うこととなって4ヶ月。彼とは月に一度、中間地点で会い、一夜だけを一緒に過ごす日々を送っています。言わば遠距離恋愛中ですね。会えない時間は私にとっては辛い日々ですが、彼が週に二、三回電話をしてくれることで、なんとか生きながらえることが出来ています。


私の日々は順調に見えました。それでも負荷は積もってしまうものです。そして、壊れてしまっていた私が、そう簡単に修復することもありません。

残念ながら、一年の歳月を経て回復しているように見えた私の心はまだ壊れたままでした。


いつものように姉とその人は家にいました。姉の彼氏です。(Hくんと呼ぶことにしましょう。)

今では泊まることも頻繁にありました。

バイトに行く朝、いつものように目が覚めると、二人は営みをしていました。

大人の時間です。

壁の薄いこの部屋では、どんなに扉をしっかりと閉めても音を消すことはできません。「あぁ、またか。」そう思いました。もちろん、その日が初めてではありませんでしたし、いつものことだったので、私は彼女らの行為が終わるまで狸寝入りを心がけました。終わった時を見計らってそそくさと朝食を済ませ、用事を済ませようとしました。しかし、私の行動が姉の計画を狂わせたことで、姉が私にイライラをぶつけてきました。私は逃げるようにその場を去り、部屋に篭りました。バイトに行く時間までの辛抱だと思って、どうにかやり過ごそうとしました。腹立たしいことに姉とHくんが楽しそうに話しているのが微かに聞こえたのを覚えています。

私は避けるように自分の耳にイヤホンをねじ込みました。ベッドに横たわり、何もなかったと自分に言い聞かせて、忘れようとしました。

それでも私の中の何かが叫んでいました。

私は泣いていました。

涙は頬をつたい、叫び声は音にならず、声にならない掠れた息遣いがしていました。何度鼻をかんでも涙は止まりませんでした。ただの何気ない姉の言葉が私を壊す引き金になってしまいました。


姉とHくんの楽しそうな声も、

姉が私に怒る姿も、

Hくんが姉との家にいることも、

ましてや泊まることも、

Hくんが姉を溶けさせることも、

私と彼が会うことに家族はよく思わないことも、

彼からの愛が足りないと思ってしまうことも、

身近な人に必要とされていないと不安になることも、

何もかもが自分のせいだと思えてならないことも、

私がいつまでも大人になれないことも、

何もかもが苦痛になってしまいました。

どうすることもできない激痛に私の壊れた心は耐えることなどできませんでした。


涙を流しながら私は剃刀を手にしていました。


彼の声が頭に響きました。

「もう傷つけたらダメだよ。自分を大事にして。」

それでも正気を失った私は、自分の衝動を抑えることが出来ませんでした。これまで何度か剃刀を手にしたことはありました。その度に、彼のことを思い浮かべ、抑えることが出来ていました。それでもこの時だけは、悲しいことに私の理性は消えてしまっていたのです。

何度切りつけても、痛みは感じませんでした。

「まただ。」

そう思ったのを覚えています。

「あの時と同じだ。」

血が滲み、じんわりと熱くなり、ヒリヒリと痛み始めてやっと剃刀を置きました。

後悔した時にはもう手遅れでした。

私の両腕には赤い線が何本もできていました。

その日、バイトを休まなかったことは自分では上出来だったと思います。

次の日は、傷がバレないよう、意図的に姉と過ごす時間を減らしました。


その数日後、また波が再来しました。私の中の孤独が顔を出しては心を引き裂いていくのです。私はまだ癒えない傷の上にまた赤い線を残したまま、バイトと家を往復するだけの日々を過ごしました。


人が自傷行為をする時、アドレナリンがでてしまい、自分を傷つけることは次第に快感に変わってしまうのです。この話をどこの誰かから聞いたときは、信じ難いと思っていました。それでも、いざ自分に降りかかると、それが事実なのだと嫌でも気づかされてしまうのです。自傷行為が自分を落ち着ける一つの方法であって、少しの快楽であることは自分でも驚くほどによく感じられました。そしてさらに「やめなければいけない」という思いから、背徳感が加わり、更に自傷行為は助長されるのです。その悪循環が自傷癖を形作っているのだと思います。


これは弱い私の僅かながらの言い訳でございます。

失礼致しました。話を戻しましょう。


彼からの電話でホッとしたのを覚えています。

「元気?」

いつもの決まり文句のように彼が私に聞くのです。

「元気ないね。」

私の覇気のない声に彼は心配そうにそう言ってくれました。

「まだ、しんどい時があるの?また傷つけたくなる時もあるの?」

彼は私がついこの間剃刀を手にしたことを見ていたかのようにタイムリーな質問を投げかけてきました。私は少しドキッとしました。

「この間はね、我慢できなかった。…ごめんなさい。」

彼に告げました。彼の忠告を破ってしまったことに申し訳なさと後悔と不甲斐なさと苦しさと、いろんな感情が交差していたと思います。

「しんどい時は電話しなよ。」

彼は優しすぎるほどに私を安心させてくれるのです。いつもそうなのです。私は彼に出逢うことができて幸運でした。

きっかけこそ不純ではあったものの。


彼と会う日。私が待ちに待ち、やっと迎えたこの日。彼との時間はこれまでのどの時間よりも鮮明で、幸福で、楽しさに溢れている、そんなふうに思えてなりません。この時の私にとっては、月に一度のこの日が私にとって何よりの励みでした。たった一夜、一緒に過ごせるというだけで、特に何をするでもなく過ぎていく日であれ、私にとっては最高の日。

彼が私のことをどう思い、

何を考え、

共に過ごすことを厭わないのかわからないけれど、

ただ楽しいからという理由だけであるのだとしても、

それなりに大事にしてはくれているのだから、

彼の気持ちまでも独占することはできないのです。それでも強欲な私は、少なからず思ってしまうのです。もし彼が私を好いていてくれていればなどと。

彼との日が過ぎ去った後はまた空虚な時間の始まりです。それでも彼に次会うことを思いながら日々を懸命に生きていました。


嫌なことや辛いことは時にいっぺんに人を襲うもので、人はそれを神からの試練だなんだと言って乗り越える努力を惜しまないのです。たまにそこで挫折し、断念し、逃避に走る私のような人もいたりいなかったり。憂鬱な気持ちのまま次のことを始めてもさほどうまくもいきません。そんな時、気持ちの切り替えのできる人間が一番強いと思うのです。

泣きっ面に蜂とはよく言ったもので、そんな憂鬱な時に限って嫌なことは降っては湧いてくるのです。


無職の「とまと」がバイトを始めて早半年も過ぎようとしています。怠惰極まりない「とまと」もやっと仕事の楽しさを見出すことができ、順調に続けていたバイト。そんな「とまと」でしたが、毎年恒例、辞めたい病にかかりました。(今回はバイトですね。)


暑い夏の再来で、食して美味しい「とまと」にとっては良い季節でも、冬生まれの「とまと」にとっては大がつくほど嫌いな季節。汗が滴り、髪やら服やらが肌に纏わりつく。日差しが皮膚を焦がし、照りつける太陽にガンを飛ばしたくなるような気持ちを抑えながら、涼しさを求めて建物に避難する日々でございます。


すっかり夏になり、「とまと」はばてておりました。そんな時は苛立ちもするし、機嫌も損ねてしまうのです。姉妹の関係も少しずつ変わってきてもおりました。一緒に住んでいるものの、会話は減り、顔を合わせれば、不満をぶつけ合う。そんな日々にお互いに疲れてきていたのだと思います。私にも不満があり、姉にも不満はあり、それでもお互いを気遣う気持ちは変わらずにあったのは幸いでした。しかし、会話が減るとそれも伝わることはありません。お互いにすれ違い、その不満がお互いをすり減らしていくのは目に見えています。耐えきれず私たちは、それぞれ両親を頼りました。時には恋人にも。両親はせっせと仲を取り持ち、二人がなんとか会話のできるよう機会を設けました。


親とはやはり偉大なのですね。改めてそう感じました。何もかもが嫌になる私は、また元に戻っていることを悟りました。また私、同じことをしているとすごく怖くなりました。「まただ」、そんなふうに思えてなりませんでした。しかし、私の成長は、それを誰かに話したことです。弱い私ですが、弱いと自覚し、助けを求めることを厭わなくなれたのは、少ながらず私の成長とさせていただきたい。

私たちは一つ改善に近づくことができたのは事実。姉もこれまでのHくんとの行動が私を追い込んでいることを知り、私のこれまでの態度が姉の苛立ちの原因であることを知りました。これからは、少しずつでも一歩進めることを祈るばかりです。そして、幸いにも、私の辞めたい病も、一旦は落ち着きを取り戻してくれました。

一件落着といったところでしょう。


そんな中、姉の言った「自分に時間を使ってほしい」という言葉が私の頭にずっと引っかかっています。これまで、自分の成長のために時間を費やしたことのかった私ですから、その術を知りません。今考えると、なんとも怠惰でなんとも傲慢な人間であったと思えてなりません。(悲しいことに、今もさほど変われていないような気がしてならないのですが…)

バイトの身の「とまと」には、時間があり、

彼と過ごせる身の「とまと」には、安定と自信があり、

姉の家に居候できる身の「とまと」には、お金に困ることのない、程よい自由があり、

両親が甘えさせてくれる身の「とまと」には、生活に困ることはなく、

考えれば考えるほど、恵まれてしかない状況でありました。

そんな「とまと」、今自分を変えるための努力をしなければ、神からの天罰が下ると思えてならないのです。

「今なのだ、「とまと」!」


これが私の転機だったでしょうか


20代、将来について考える「とまと」でございました。


長々と失礼致しました。私事でございました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る