花山天皇(4)
夜の内裏は静かだった。
一定の時刻ごとに衛門府の武官が松明を灯りをかかげながら見回りをする姿を眺めながら、安倍晴明はじっと闇の中を見つめていた。
その夜も晴明は帝より、話があると呼ばれて
「のう、晴明よ。
「これはこれは。どなたが帝の耳にそのような話を」
「はて、誰であったかな。どの女官から聞いたかなどいちいち覚えておらぬ」
帝はそう言うと、大きな声で笑った。
また別の女官に手を出したのか。鵺などというもののけよりも、このお方の方が恐ろしいわ。晴明はそっとため息を吐いた。
「鵺などというもののけは、この世には存在いたしませぬ。それを証拠に誰も鵺を見たという者はおりませぬ」
「では、なぜ鵺を恐れているのだ」
「見えぬ存在だから、恐怖を感じるのです」
「ふむ。相変わらず、小難しい話をするな、晴明は」
そう言うと帝は鵺の話に興味を失ったかのように、別の話をはじめた。
帝は様々な物事に興味を示していた。会話をしていると、帝がまだ十七歳の若者なのだということを実感させられる。
このお方をお守り出来るのは、自分だけなのだ。
藤原の者たちは権力闘争に明け暮れ、帝を自分たちの権力を誇示するための道具だとしか考えていない。摂政も左大臣も右大臣も、同じ藤原であるのに協力をすることはなく、足を引っ張り合っている。彼らに言わせれば、本当の藤原は自分だけなのだとか。血の繋がった兄弟であっても、彼らは憎しみ合い、政の舞台から引きずり降ろそうと機会を虎視眈々と狙っている。
政のことは詳しくはわからないが、帝をお守りするのは自分だけなのだ。晴明はそう自負していた。
しばらく星の話などをした晴明は、ウトウトしはじめた帝を見て、夜御殿を後にした。
「晴明様、特に怪しき者はおりませぬ」
殿舎の廊下を歩く晴明に、闇の中から声が掛けられる。それは晴明の式人であり、式人たちは内裏の中にも潜み、晴明の目となり、耳となっていた。
「また、帝が新しい女官に手を出したようだ。
「はい。なかなか帝に近づくことができないという報告を受けております」
「そうか。まあ、時間の問題だろう。帝はお手が早い」
晴明の甲高い笑い声が闇の中に響き渡った。
しばらくの間、晴明が雲の間に見え隠れする月を見上げていると、少し離れたところから人の気配がした。床板の軋む音が聞こえ、誰かが走ってくるのがわかった。
「せ、晴明様。お助けを」
「どうかなされたのか」
闇の中、殿舎の廊下を走って来たのは、ひとりの女官であった。女官は大きく
「ぬ、鵺が、鵺が出ました」
「なんと。どこじゃ?」
「夜御殿の屋根の上にございます」
「帝は、帝はいかがした」
「まだ夜御殿の中におります」
「わかった。私が夜御殿に行こう。貴女は宿直の武官に知らせよ」
晴明はそう女官に伝えると、大股で歩きながら夜御殿へと向かった。
鵺など居るはずが無い。晴明はそう思いながらも、では一体何が夜御殿に現れたというのだろうかという気持ちになっていた。
夜御殿へと続く廊下を晴明が渡ろうとしたところ、頭上から「ヒョー、ヒョー」という甲高い鳴き声が聞こえてきた。鵺の鳴き声である。まさか、と思いながらも晴明は懐に入れていた扇子を取り出し、鳴き声のした方へと視線を向ける。
そこにあるのは闇であり、その先にいる鵺の存在は確認することは出来ない。
闇は恐怖を生み出し、人の想像力を掻き立てる。それが時にとんでもない化け物を生み出すのだ。
晴明にとっての恐怖。それは闇やもののけ、あやかしといった存在ではなく、人間そのものであった。だから、もののけ、あやかしといった存在は信じない。すべては人が作り出すものだということを知っているからだ。
雲に隠れていた月が姿を現す。すると辺りが明るくなり、屋根の上にいる鵺の正体が晴明の目にははっきりと見えた。
トラツグミ。そう呼ばれる鳥がいる。猟師たちによれば、この鳥は夜中になると奇妙な声で鳴くため、鳴き声だけで不気味な鳥だと認識されているが、その姿は可愛らしく、どこにも不気味さなどは無い鳥だった。
鵺の鳴き声の正体。それはトラツグミだったのだ。確かにこの鳥は不気味な声で鳴く鳥だ。普段は、森や山の中に生息しており、めったに
「もののけの正体が鳥であったとはな」
晴明はそう呟くと、扇子で口元を隠しながら甲高い声で笑い声をあげたのだった。
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