花山天皇(3)

 夜の内裏に甲高い奇妙な鳴き声が響き渡っている。

 ヒョー、ヒョーともピョー、ピョーとも聞こえる謎の鳴き声に人々は怯え、闇の中で姿を見せぬ生き物に対して勝手な想像を抱いて、ぬえというを創り出していた。

 宿直とのいの衛門府の武官は弓を背負い、その鳴き声が聞こえる方へと足を忍ばせて近づいていった。しかし、その姿はどこにもない。見えるのは雲に隠れた朧月おぼろづきの姿だけである。

 聞き間違いだったのか。

 そう武官が思って引き返そうとすると、木々が風に揺れ、またあの甲高い鳴き声が聞こえた。

 恐怖におののいた武官は、その甲高い鳴き声のした方へと矢を放つ。しかし、矢は宙を舞い土の上に落ちただけだった。


「聞いたか、晴明。昨晩、またぬえが出たそうじゃ」

「鵺ですと?」

「なんと、鵺を知らぬのか、晴明」


 驚いた声をあげた源満仲は何本か抜けた前歯を見せながら、にやりと笑ってみせた。


「陰陽師ともあろうものが、もののけのことを知らぬとは、これはいかに」

「もののけのことなど、知る必要がないのですよ、満仲殿」

「何を言うか。もののけを退治することこそが陰陽師の仕事であろう」

「いえ、そのようなことはありません。むしろ、もののけの退治は武士もののふの仕事ではございませぬか」


 晴明がそう言い返すと、満仲は笑い声をあげながら「さすがは晴明、やはり陰陽師には口では敵わぬ」と頭を掻いてみせた。


「冗談はこのくらいにして、その鵺がどうかしたのですか」

「ここ数日、内裏に出るらしいのじゃ」

「ほう。内裏にですか」

「昨晩は、宿直であった衛門府の武官がその鳴き声を聞いたそうだ」

「鳴き声をですか」

「ああ。その前は女官が夜中に鳴き声を聞いたという噂だったな」

「誰も鵺の姿を見たものはいないのですか」

「おらぬ。なんでも鵺のその姿を見たものは食い殺されるそうだ」

「恐ろしいもののけなのですね」

「これ、晴明。ふざけるのもいい加減にしろ。わしは大真面目に言っておるのだぞ」

「これは失礼しました。では、御子息の頼光らいこう殿に退治してもらうというのはどうでしょうか」

「おい、晴明」


 満仲は声を荒げる。

 持っていた扇子で晴明は顔を隠して、笑いをこらえる。

 もちろん、満仲も本気で怒っているのではない。これは二人の遊びなのだ。


 近年、洛中では源頼光よりみつがもののけ退治を行ったという噂でもちきりだった。庶民などは頼光のことを親しみをこめて頼光らいこう様などと呼んでいるのだ。そんな頼光が大江山に籠もる山賊たちを討ち果たしたところ、尾鰭おひれがついて大江山の鬼退治をしたという話になってしまっていた。その話を頼光も面白がって否定をしないものだから、庶民たちの間では本当に頼光が鬼退治をしてきたという噂になっているのだった。


「ちょうど、今宵は宿直ですので、その鵺とやらを探してみましょう」

「おお、やってくれるか」

「どうせ、この件の裏には兼家様がいるのでしょう」

「それをいうな、晴明。あのお方はあちこちから噂を仕入れては、その真偽を確かめたがるのだ。それに今回は内裏の話であるから、帝の身になにかあってはならぬと意気込んでおるのじゃ」

「なるほど。まあ、探すだけ探してみましょう」


 期待はしてくれるな。そんな口調で晴明は満仲に告げた。

 陰陽寮の宿直は、帳が降りる頃に出仕するのが習わしだった。天文博士である晴明の場合、昼間は天文学生たちに天文道について教え、夜は星を見ながら様々な占い事をしたりするのが仕事であり、朝方に自分の屋敷に戻って睡眠を取った後、また昼頃には出仕するという毎日を送っていた。


 噂になっている鵺というのは、猿の顔、狸の身体、前後の足は虎、尾は蛇だという、もののけであった。もちろん、そのような姿をした動物は存在しない。誰もが見たことがないがために、様々な想像が重なり生み出されたもののけなのだ。鵺については、唐の書物などには書き記されてはいなかった。この国独自のもののけのようである。

 木にいた猿を闇の中で見間違えたか、山から降りてきた狸を見間違えたか。闇は人の心を惑わす。恐怖心から何かを想像してしまったのだろう。虎の足や蛇の尾などは、それを象徴している。内裏に仕えるどのくらいの者が虎の姿などを見たことがあるというのだろうか。おそらくは、書物に描かれた絵くらいしか見たことがないはずだ。そういったものが想像力を掻き立てるのだろう。

 どちらにせよ、鵺などはいない。その正体を見極めるだけだ。


「面倒なことよ」


 晴明は独り言をぼそっと呟くと牛車へと乗り込んだ。

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