花山天皇(5)

 帝の様子がおかしくなったのは、大納言藤原為光の娘である忯子ししのことをひと目見た時からだった。ひと目惚れ。そのような言葉があるのであれば、まさにその言葉があてはまることなのだろう。

 その日より何かと帝は忯子に会いたいといい、ふみを書いては権中納言である藤原義懐よしちかに忯子へ届けるように命じていた。義懐の妻は忯子の実姉であり、文を届けるのと同時に忯子の父である為光を説得するという密命も与えていた。帝はなんとしても忯子を女御として迎えたいと考えていたのだ。

「私はどうすれば良いのでしょうか、晴明殿」

 思い悩んだ表情で陰陽寮を訪ねてきた藤原義懐は、晴明に心の内をすべて打ち明けた。

 この頃の帝は、寝ても覚めても藤原忯子の話ばかりをするのだという。

「帝がそう思われているのです。臣である我らは帝に従うしかございますまい」

 晴明はそう義懐に告げると、筮竹ぜいちくの束を義懐に差し出して一本引かせた。

 ただの占いだった。しかし、この占いというのが妙に当たるのだ。

 義懐が引いた筮竹を受け取った晴明は筮筒にその一本を立てると、残った筮竹の束を二つに分けて左右の手で握った。

「右と左、これは月と太陽、即ち陰と陽を現します」

 晴明は義懐に説明をしながら、筮竹の束を指を使ってさらに分けていく。しばらくその動作は続き、なにやらぶつぶつと祝詞のようなものをあげて、最終的に左手に残った筮竹の数を数えだした。

「なるほど……」

「何かわかりましたか、晴明殿」

 義懐が身を乗り出すようにして、晴明に尋ねる。

「帝の想いは藤原忯子様に届きましょう。しかし、想いが強すぎるのが難と出ております」

「そうですか、想いは届くのですね」

「しかし……」

「良かった、それは良かった。これで私も大納言為光様を説得することができる」

「いや、だから……」

「ありがとうございます、晴明殿」

 義懐は嬉しそうに晴明に言い「この礼はいずれ」と言い残して、足早に陰陽寮の建物を出ていってしまった。

「まったく、人の話を聞かぬ方じゃ」

 晴明はそう言いながら筮竹を片付けようと手に取る。その時、なぜか嫌な予感がした。この占いは間違っていたのではないだろうか。そんな気がしたのだ。

 この占いは、帝の藤原忯子に対する想いの成就を占ったものであり、ふたりの気持ちを占ったものではない。帝の想いが強いことはわかっている。しかし、藤原忯子の想いはどうなのだろうか。もし、ふたりが問題なく結ばれたとして、その後はどうなのだろうか。帝の将来。いや、そのようなものは占うべきではない。晴明は思い直し、筮竹を片付けた。


 それから数日後、再び陰陽寮へ藤原義懐が訪ねてきた。

 今度は前回と打って変わって晴れ晴れとした顔をしている。なにか良いことでもあったのだろう。晴明はそう思いながら、義懐が口を開くのを待った。

「忯子様の入内がお決まりになりました。これも晴明殿が後押しをしてくださったお陰」

「そうか、それはめでたいな」

 晴明はそう答えながらも、すっかり占いをしたことは忘れており、何を自分が後押ししたのだろうかと思っていた。

「まずはこのことを晴明殿に伝えなければと思い、すぐにこちらへ参上いたしました」

「そうでしたか。それはそれは……」

「では、またこの礼はいずれ」

 義懐はそう言うと、晴明に頭を下げて陰陽寮を去っていった。

「あれは、せっかちな男よ」

 去っていく義懐の後ろ姿を見つめながら、晴明は呟いた。


 帝が望んでいた藤原忯子の入内は叶ってからというもの、帝からの呼び出しが晴明のもとには来なくなった。何も悩むことがないというのは良きことだ。晴明はそう思いながら、陰陽寮の執務室で星空を眺めていた。

 この時はまだ、帝の星に妙な輝きがあろうとは思ってもいなかった。

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