第二話
二振りの剣(1)
暖かな日差しが眠気を誘っていた。
陰陽寮の書庫で調べ物をしていた安倍晴明は、その心地よさにうつらうつらとしていた。
ここ数日、晴明は眠れない夜を過ごしていた。別に不眠の病というわけではない。夜中に仕事をしているため、寝る暇が無いのだ。しかし、それは陰陽寮の公務ではなかった。晴明が個人的に請け負っている仕事であり、晴明がどのような仕事をしているのか陰陽寮の人間は誰も知らなかった。
「晴明、ここにおったか」
そう言って書庫に姿を現したのは、賀茂保憲であった。
「なにか?」
「なにかではない。お前がまたどこぞでサボっておるのではないかと思って、探しに来たのだ」
「サボってなどおらぬ。きちんと、仕事をしている」
「いま、眠っていたではないか」
「仕事は終わっておる」
そう言って晴明は自分の書き写した書を保憲に見せた。確かに晴明に頼んでおいた仕事はすべて終わっていた。
「晴明よ、お前が仕事のできる男だということは重々承知している。だが、どうどうと仕事中に居眠りをしたりするのはやめてもらえぬか」
「まあ、気を付けよう」
「お前が若い者たちに何と言われているか知っておるのか」
「知らぬ」
「晴明殿は朝方に見える月のようなお方だ、などと言われておるのだぞ」
「なんだ、それは」
「朝方に見える月は闇夜を照らすわけでもなく、ぼんやりと空に浮かぶだけの役に立たぬものである、という事だそうだ」
「上手いことを言うではないか」
そう言うと晴明は笑って見せた。別に陰で同僚たちが自分のことをどう評していようと気にはしなかった。言いたい人間には言わせておけばよい。ただ、それが
「たまには若い陰陽師の手本になるようなことをしてみてはどうだ、晴明」
「そういったことは、保憲に任せる。私は朝廷の方々と陰陽寮を繋ぎ、陰陽寮の地位向上を目指しておるのだ」
「そうか。我が父、忠行の意志を継いだのはお前だったな、晴明」
「まあ、そんなところだ」
面倒臭そうに晴明は言うと、まだ何か用なのかといった顔をしてみせた。
すると保憲が意を決したかのように口を開いた。
「また、なにやらコソコソと動き回っておるのか、晴明」
「別にコソコソとしているわけではない。とあるお方に頼まれて、仕事をしているだけだ」
「それは陰陽寮としての仕事ではないのだな」
「まあ、そんなところだ」
「だったら私は、干渉はせん。ただ職務に影響を出すなよ」
「わかっておる」
「ほどほどにな」
保憲はそれだけいうと、晴明の肩をぽんと叩いて去っていった。
数日前のことだが、源博雅から陰陽寮に酒が届けられた。酒を持って来たのは博雅自身ではなく、その家人であったが特に理由も述べずに「陰陽寮の皆様へと主人が申しておりました」とだけ告げて酒を置いていったそうだ。
晴明が源博雅の仕事を請け負っていたということを知る人間は少なかった。そのため、保憲に博雅から酒が届けられたという報告がされたのだが、保憲はどうせ晴明だろうと思い何も言わなかった。
あの晩以降、朱雀門で笛を吹く鬼が出るという噂はピタリと収まっていた。博雅が朱雀門へ通うことも無くなったし、噂の出所である博雅が噂を流すのをやめたのだろう。
それとあの偉丈夫は、笛匠の弟子であったことが判明した。
おそらく、作った笛が素晴らしい出来であったため手放すのが惜しくなったのだろう。だから、笛匠のところから龍笛を持ち出し、隠してしまった。しかし、朱雀門に現れるという笛を吹く鬼の噂に興味を抱き出向いてみたところ、博雅の素晴らしい笛の音色に誘われてその笛を出してしまった。きっと博雅であれば、龍笛を渡しても構わないと思ったのだろう。それだけ博雅の奏でる笛の音色は心に響くものだったのだ。これは晴明の想像に過ぎないが、大きくは外れていないような気もしていた。
「晴明殿、こちらにいらしたか」
書庫の入口に人が立ったため、辺りが暗くなった。書庫は日差しを避けるために入口以外に光を取り込む場所はない作りになっているのだ。
「どうかなされましたかな」
そう言って晴明が振り返ると、そこには
「貴殿か……」
「実は先日、妙な噂を耳にしましてな。これは是非とも晴明殿のお耳に入れておかねばと思いまして」
「ほう。どんな噂だ」
「実は――――」
布作面の男は晴明に顔を近づけるようにして小声で何事かを囁いた。
その囁きを聞いた晴明は、驚きの表情を浮かべていた。
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