朱雀門で笛を奏でし者(5)

 背の大きな男だった。偉丈夫いじょうふといってもいいだろう。暗闇の中にいるため、顔をはっきりと見ることはできないが、ざんばら髪で、顔の下半分は髭に覆われているように見えた。


 この男は、鬼なのだろうか。晴明は朱雀門の二階部分から男の姿を見ながら考えていた。

 そもそも朱雀門に鬼が出るというのは、博雅が考えた嘘だったはずだ。それが現実になったとでも言うのだろうか。言葉というものは不思議なものであり、言ったことが現実になることもある。それを言霊ことだまなどという場合もあるが、陰陽道ではただ単にしゅと呼んでいた。


「博雅様」

「ああ、来たな」


 そう博雅は言うと再び龍笛を唇へと持っていき、音を奏ではじめた。

 しばらくの間、博雅はひとりで笛を奏で続けていたが、その音色に我慢できなくなったのか、その偉丈夫も懐から龍笛を取り出し唇に当てた。

 やはり、この男が笛を盗み出した人物のようだ。


 男が龍笛を吹き出すと、博雅の吹く龍笛の澄んだ音色と交じり合う。その音は耳障りなものではなく、何とも心地よいものだった。

 笛の音というのは、ここまで素晴らしいものだったのかと、晴明は感動を覚えていた。

 博雅が龍笛の名人だということはわかっているが、この偉丈夫は何者なのだろうか。ここまで素晴らしい演奏ができる者であるにもかかわらず、博雅も知らないような名の知れていない奏者がいるということに驚きを隠せなかった。

 まさか、本当に鬼なのか。晴明は偉丈夫の様子をじっと観察したが、男の顔には晴明も見覚えは無かった。一体、どこの誰だというのだろうか。


 しばらくの間、博雅と男の演奏は続き、一曲終えるとまた次の曲へと移っていく。

 これはいつまで続くのだろうか。晴明はふと疑問を覚えた。まさか、この人たちは自分たちが飽きるまで続けるつもりなのでは無いだろうか。


 源博雅については、藤原ふじわらの実資さねすけが『博雅の如きは文筆・管絃者なり。ただし、天下てんか懈怠けたい白物しれものなり』と小右記で評している。これは簡単にいってしまえば、博雅は芸事に関しては天才だが、怠け者であり、どうしょうもない人物であるといったところだろう。まさに博雅は「平安の雅楽バカ一代」といえる存在だったのだ。


「博雅様」


 だんだんと不安になってきた晴明は、博雅に声を掛けた。

 しかし、博雅には晴明の声が聞こえていないのか、笛の演奏をやめる気配はない。それどころか、晴明の存在など忘れてしまったかのように夢中になって龍笛を吹いているようにも見えた。


 やむを得ん。そう決意した晴明は朱雀門を下りると、博雅ではなく偉丈夫の方に声を掛けることにした。


「そなたは、何者だ」


 晴明がそう尋ねると、偉丈夫は笛を吹くのをやめてじっと晴明のことを見た。

 黄色く濁ったその眼にはどこか迫力があり、晴明は気圧されたがそれでも晴明は言葉を続けた。


「私は中務省陰陽寮の陰陽師で安倍晴明と申す。その龍笛についてお尋ねしたい」


 そこまで言うと、博雅も朱雀門から下りてきて晴明の隣に立った。


「よい、晴明殿」

「え?」

「貴殿の笛の音、気に入ったぞ。この笛と貴殿のものを交換してはくれぬだろうか」

 博雅はそう言うと、自分の笛を偉丈夫に差し出す。


 これには偉丈夫も驚いた顔をしていたが、その笛を受け取ると、自分の笛を博雅に差し出した。

 笛を受け取った博雅は満足そうに頷くと、その笛をじっと見つめる。

 それは、赤と青の葉が二枚描かれた笛だった。


「良き笛じゃ。そして、良き演奏であった。また共に奏でようぞ」


 博雅の言葉に偉丈夫は無言で頷く。


「では、帰ろうか、晴明殿」

「よろしいのですか、博雅様」

「良い。笛は手に入った」

「しかし、それでは博雅様の笛が……」

「良いのじゃ」


 博雅は満足そうに頷いて見せると、偉丈夫から受け取った笛をにこにこと笑いながら見つめる。


 私は一体何に付き合わされたのだろうか。晴明は苦笑いを浮かべながら、夜空へと目を向けた。そこには北斗七星が輝いていた。



 第一話 朱雀門で笛を奏でし者 了

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