第41話 最低だって分かってるのに

 お母さんが家を出ていった理由を、お父さんは詳しく話さなかった。

 薄々、別の男の人のところに行ってしまったんじゃないかと推測はついた。


「一ヶ月に一度は会えるんだ」


 お父さんにそう説明されても、私は首を振った。

 お母さんに会うのが怖かった。

 自室にこもっていると、お姉ちゃんがやってきた。


「なにやってんの」


 うずくまったまま私が答えないでいると、お姉ちゃんは苛立たしげに言った。


「夕さ、自分が悪いって思ってない?」


 私は、顔を上げた。

 お姉ちゃんは座り込むと、うずくまった私の背中に寄りかかって言う。


「夕のせいじゃないから。誰のせいでもない」


 慰めてくれているのだろうか。

 私はイラつきながら答えた。


「そんなわけないじゃん」


 私が、ちゃんと引き止められてたら。

 私が、出来の良い子だったら。

 私が、もっと見てもらえていたら。

 お母さんは、出ていかなかったかもしれない。


「言っとくけど、あの人は私たちが何をしようと、いずれ出ていったよ」


 まるで他人事のようにお姉ちゃんは言った。


「あんな最低な人、引き止める価値なんてない」


 私とお姉ちゃんは、何度もお父さんとお母さんをつなぎ合わせようとしてきた。

 眠い瞼を擦って、ランプの明かりを囲んで、必死に。なのに。


「子どもを捨てて男の人の所に行くような親なんて、最低だよ」


 振り返った。お姉ちゃんの目尻には涙が浮いていた。

 その通りかもしれないと思った。

 でも私は、最低な親でもいいから振り向いてほしかった。

 菜穂の親のように、暴力でもなんでも、振るってほしかった。

 

 それから私たちは、別の部屋で眠るようになった。

 あくる朝、「教会のランプ」が壊れて廃品回収に出されたと知った。




 


 私は学校で、なるべく菜穂と顔を会わせないようにした。

 教室で菜穂に声をかけられても、無視をした。

 帰りの道で、後を追いかけられても走って逃げた。

 ひどいことしてるって、自分でも思った。

 あのランプと同じように、自分が壊れてゴミになってしまったような気がした。

 当番だった私が朝早く教室に行くと菜穂が待っていた。


「なんで無視するの?」


 私は答えないでランドセルから教科書やふで箱を取り出す。


「私、何か悪いこと、した?」


「してないよ」


 しばらく無言でいた。

 菜穂は、おそるおそる言った。


「早川さんのお母さんのことと、関係ある?」

 

 私のお父さんは菜穂の家族に、夏の遠出の中止を伝えたはずだ。

 その中止の理由も、菜穂は親伝手に話を聞いて知ったらしい。


「悪いの、私だから」


 もう関わらないで。

 そう言って、私は机に突っ伏した。菜穂はもう何も言わなかった。



 


 

 菜穂と距離が出来ると、それを埋めるように他の子が私に声をかけてきた。

 それが岬真理亜(まりあ)だった。

 





 真理亜は、服装も立ち振舞いも、同じ小学五年生とは思えないくらい垢抜けていた。

 まつげが長く、切れ長のすっとした目をしていて、目立たないようさりげなくメイクをしている顔は、どちらかといえば可愛い系というより美人系。

 先生との受け答えにはきはきと喋る様はまるで大人で、伸びた背筋は子供離れしていた。それもそのはずで、彼女はキッズモデルとして子どもながら既に働いていた。

 彼女からは、私達の住む一歩先の世界の、大人の匂いがした。

 半年以上も五年生をやっていると、彼女が特別であることに教室の誰もが気付いていた。

 いつのまにかクラスの中心には菜穂ではなく、彼女がいた。

 

「宇喜多さんってさ、空気読めないよね」


 教室で真理亜は菜穂に聞こえる距離で言った。

 

「ウザいし。夕ちゃん無視するの、分かる」


「そんなんじゃないよ」


 否定したけど、真理亜はとりあわなかった。

 真理亜は、自分と同じかそれ以上に目立つ菜穂のことが前から目障りで、だから菜穂を拒絶する私に目をつけたのかもしれないと思った。

 ずいぶんな気に入られようで、そのうち私は、真理亜と一緒に遊ぶようになった。

 そうなると、真理亜の周りの友達とも交流が出来た。

 他の子は、真理亜が特別扱いしている私を、同じように特別な目で見ていた。

 誰かから羨望の眼差しで見られているのを感じていた。

 人を見下ろすのって、こんな気分なんだと思った。


 真理亜は、表面的には優しい。

 でも、不機嫌になると横暴さが顔を出す。

 彼女が「ない」といえば、決まりかけていたお祭りへ遊びにいく集まりもなしになる。

「あり」といえば本当は許されていないけれど小学生だけでカラオケに行くことになる。

 男子だってうかつに彼女に口答えすることなんて出来ない。手を上げることなんてもっと無理だ。足が早くても頭が良くても、大人の彼女には勝てない。男の子のリーダー格の子が簡単に言い負かされてしまい、顔を真っ赤にして引き下がるところを何度も見た。その後にくすくすと指さして友達と笑いあう彼女の姿も。

 一方で菜穂は、真理亜と入れ替わるように孤立していた。

 いつも放課後になると、机を弾いていた。一心不乱に。

 誰かが話しかけても、生返事しかしない。

 手袋をするようになり、怪我を嫌ってか、男子に混じってサッカーすることもなくなったようだ。

 最初こそ周りの子たちは菜穂を面白がっていたけれど、そのうち誰も話しかけなくなった。

 私はそんな、おかしくなった菜穂を見ても、心が全然、動かなかった。

 私の方こそ、おかしくなったのかもしれないと、本気で思った。

 結局、菜穂とろくに話さないまま、私の小学五年生が終わる。

 



 


 六年生になると、お父さんが家に女の人を連れてきた。

 名前を、木下結美さんと言った。

 

「はじめまして」


 ダイニングテーブルの向かいに座るその人は、誠実で、真面目そうに見えた。

 

「これから家のことを手伝ってくれるそうだ」


 結美さんの隣に座ったお父さんが、結美さんを手で示した。

 恐縮そうに頭を下げた結美さんを、私とお姉ちゃんは見つめた。

 お父さんは、結美さんと再婚する気なんだろうか。

 まだお母さんが出ていってから一年しか経っていないのに。

 

「僕一人じゃ、何かと手落ちがあるかもしれないからな」


 お父さんは後ろ頭を掻きながら、情けなさそうに言った。

 

「それに、寂しいだろ。ふたりとも」


 お父さんは片親で育ったという。

 だから、二人には同じ思いをさせたくないのだと言った。

 それに結美さんは、私たちの勉強だけでなく、食事までお世話してくれる良い人だと。あらかじめ用意した言葉を読み上げるようなお父さんが、聞いていられなかった。


「手落ちって、何?」


 私が口を開くと、しん、と沈黙が落ちた。


「だめ人間になるってこと? だったらもう遅いから」


 私は、きっと人を殴る時はこういう気持ちなんだと思いながら、言った。


「それに、さびしいとか何だとか言って、私たちをダシに使わないでよ」


 青い顔になったお父さんが口を開こうとして、お姉ちゃんが口を挟んだ。


「お父さん。夕の言ったことはきついけど、正しいよ。ちゃんと言って。お父さん自身が、これからどうしたいのかとか。この場は誤魔化して、なし崩しに物事進めようとするとかズルでしょ」


 お父さんはうつむいて、とつとつと言った。

 結美さんは、前から仕事の関係でお世話になっていた人で、大切な人だということ。

 そして、ゆくゆくは結美さんと一緒になりたいのだと告げた。


「夕。分かってあげなよ」


 お姉ちゃんが言った。

 お母さんが出ていったのは、お父さんのせいじゃない。

 お父さんだって傷ついている。寂しい思いをしているのは、きっとお父さんの方だ。

 結美さんも、私たちに寄り添おうとしてくれている。

 それでも、私は嫌だった。

 お姉ちゃんのように、割り切れない。

 最低なお母さんでも、あの人は私のお母さんだった。

 私は席を立って、自室にこもった。

 





 永遠にこもっていたくても、学校にはいかなければいけない。

 私は重い体を引きずって、いつか走り抜けた桜並木を歩き、学校に通った。 

 それから数日後のある日、私が教室に入ると、中にいた生徒が一斉に私を見た。

 気のせいだと思った。

 すぐに、そうではないと知った。

 真理亜が、私の家の噂を広めていた。

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