第29話 隣を歩けない私たち

「やーごめんごめんおまたせふたりともー」


 十五分ほど経った後、晴が公園に姿を現した。それも、不自然なほどの大荷物を抱えている。

 右手にアルミのキャリーケースを引きずり、左手に黒くて細長い筒。背中にも何か背負っている。


「なにその大荷物」


「私の妹と命の次に大事な仕事道具。無事なまま家に回収されててよかった」


 ほらいこ、と促されるままに、歩き出す晴の後をついていく。

 あれは明らかに演奏道具だ。まさかとは思ったけれど、家に帰って取ってきたのか。

 公園は都市部の中心にあるとは思えないほどの規模で、はぐれたら迷子になってしまいそうな広さだ。騒音で迷惑をかけることがなく、かつ日中に人の集まってくるスポットは、確かに路上ライブにはうってつけの土地といえる。

 ただ、現在の時刻は午前一時を回っている。深夜だ。

 観客が集まってくるとは思えないし、当然周りには誰もいない。

 晴が場所に選んだのは、背後を森林に守られた窪地だった。周りを、観客用の座席のような芝生の段差が囲っている。

 ステージにあたる場所で、晴が荷物を降ろした。


「さてと。ちょっと手伝ってもらって良い?」


「一応聞くけど、何するつもりなの……?」


「ライブだよ」


 予想通りの答えが返ってきた。


「まさかネットに配信するつもり?」


「うん」


「それはまずいでしょ」


 事故で意識不明になっていたストリートミュージシャンが、その晩に深夜ライブを行う。

 アーティスティックな何らかの催しとして、誰からもまともに受け止められなければいいけれど。

 分かってるよ、と晴は言う。


「きっと夏日が観てくれるから、やるんだ」


「……そっか」


 夏日には路上ライブを反対されていたと思う。

 観てくれるかどうかは賭けだ。

 それでも演る。

 それが、晴の意思表明なのだ。

 

「それに私にはもう時間がないかもしれないしね」


 淡々と紡がれた切実な声音に、言葉を失う。

 今の晴は、何一つ明日を迎える保証さえない、夏の生霊だ。

 少なくとも、ずっと今の晴が在り続けるという未来はないだろう。

 限られた時間の中で、晴は自分がやりたいことをしようとしている。

 どうして怖くないのか。

 自分のか細い未来を睨みながら、望みのままに振る舞うなんてとてつもない。自分の足下が流砂に飲み込まれていくのを知りながら歌うようなものじゃないか。

 晴が背負ったバッグを下ろす。ギグバッグだった。それを認めた菜穂が驚いた声を上げた。


「晴さんってストリートミュージシャンなんですか」


「あ、そうか菜穂っちには話してなかったか」


 晴は黒い筒から三脚のポールを取り出して、手際よく組み立てていく。ポールは二本あって、一つはマイク用だった。もう一つはなんのためか分からない。


「あたし、この公園と駅前と……、あと高架下と河川敷で時々演ってるんだ」


「すごい、ですね」


 菜穂の言葉には切実な実感がこもっていた。


「別になーんもすごくないよ」


 晴はアルミのキャリーケースを開く。緩衝材の中に収まっていたアンプとコードを取り出し、セッティングを進めながら口を開く。


「もしかして菜穂っちも楽器やるの?」


「あ、はい。ピアノを……」


「あーやっぱり? 実はバスで見たんだけどさ、太ももの上でなんか弾いてたよね。相当上手いんじゃない?」


 恥ずかしそうに菜穂がうつむく。

 そういえば、気がつけば菜穂は指先で何かを弾いている。頭ではなく手の中に記憶が刷り込まれていて、無意識で勝手に動いてしまうのだそうだ。


「図星だね。じゃ、将来はあたしとおんなじで音楽をやるわけだ」


 菜穂がゆっくりと首を振って言った。

 

「ピアノは好きです。でも、もう良いんです」


「……そっか?」


 晴が私を見る。

 私は組み立てたポールの一つを渡そうとして、取り落とす。

 笑ってしまうほど気持ちがぐらついているのを自覚する。

 今にも崩れそうな崖の先端まで歩いていく友達の背中を、私はただ見ているような気がしている。

 いなくなったりしないよね?

 菜穂はその問いに答えなかった。

 その意味は、考えこまずとも分かる。

 

「夕。大丈夫?」


 ポールを拾い上げたところで、顔を上げた。晴はいたわるように私を見ていた。

 そうして、私の手からポールを受け取って地面に据えると、先端に付いているホルダーにスマホを固定する。スマホをセットするためのポールだったのか。


「大丈夫」


 笑ってみせたけれど、半分以上は強がりだ。

 正直をいえばこのライブに付き合うことだって少し億劫でさえある。

 晴は一旦手を止めて、私の目を見据えながら言う。


「遠くから家出してきたんだろうし、無理しちゃだめだよ。ただでさえ女の子の二人の家出なんて危ないんだから」


「女の子一人でライブやってる晴に言われたくないんだけど」


「たしかにー! あはは、これは一本取られた」


 晴は自分の額をぺしっと叩く。


「そういえば、お二人は次はどこへいくの?」


「海だよ」


 答えた菜穂に、晴は破顔する。


「海! いいねえ。私も長いこと行ってないな」


 そうして晴はギグバッグからアコギを取り出して、ストラップを右腕に通す。

 コードを接続して「これでよーし」とうなずく。アコギはアコギでもアンプが使えるタイプ。あんまり詳しくないけど、確かエレアコってやつだ。


「準備おっけ。始めるよ」


 晴がスマホをタップする。

 合わせて、私はスマホのアプリを立ち上げ『ハルデバラン』で検索をかける。配信画面を開いた。  

 せめて夏日が観ていることを祈って、観客席に立った私は両手を組む。

 無事に配信が開始されていることを認めた晴が、笑顔を浮かべる。

 たった三人だけの深夜ライブが始まった。

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