第24話 自分探しの幽霊
「死んだって……、じゃあ今の晴はなんだっていうの。ちゃんと生きてるじゃん」
私の言葉に、晴は首をひねる。
「だよねぇ」
まともに取り合っているのが馬鹿らしくなってきた。
呆れた私に気付いた晴が、慌てて口を開く。
「いや、適当言ったわけじゃないんだよ。つっても、死んだとか言っても信じられるわけないよねぇ。うーん」
冗談にするつもりはないらしい。
警戒心が戻ってきて、私は慎重に推測を口にした。
「……晴の配信活動って、一般の人を騙して反応を面白がる様子を撮ってるとかじゃないよね」
まさかそんな子供じみたことしてるわけはないとは思う。
でも完全に「ない」と言い切れないのが配信という文化の底知れなさだ。
こんなもの誰が見るんだろうと思えても、それに価値を見出す人は必ずいる。良い意味でも悪い意味でも。
すると晴は何度も首を振る。
「違う違う! あたしのは至極真っ当だよ。それは本当に保証するから」
「じゃあ何。本当に死んだっていうんなら、晴は自分を幽霊だとでも言うわけ」
「そうなる、よねぇ。でも、あたし足あるしなあ。こうして体もあるわけで……」
見ていてむしろ生命力にあふれているように見えるくらいなのだから、幽霊らしさは皆無だ。
そもそもまともに取り合う話じゃないけれど、おちゃらけるでもなくひたすら困惑している晴はふざけているわけではなさそうだった。
私は隣の菜穂を見た。菜穂はうつむいていて、目が合うことはなかった。
「やっぱ私、バス降りる」
すっかり目が醒めたといった様子の晴が、手近なところにある『止まります』のボタンを押し込んだ。
ぽーん、と軽快なアナウンスと共に、『次、止まります』の音声が鳴り響く。
「今から現場に行ってくるよ。あたしの記憶が現実に起きたことだって確かめたい」
「確かめる、ってまさか」
「あたしが死んだ場所に行くんだよ。私の話が冗談だと思うならついてくる?」
どうせ信じてもらえないだろうと半分冗談めかした言い方が、かえって私の気を引いた。
「行く」
「え、マジ?」
晴が意外そうに目を見開いた。自分で誘ったくせに。
私が乗り気になったのは、晴の言葉を信じたからじゃない。
晴がなぜそんなことを言い出したのかが知りたかったからだ。
当然菜穂も一緒に行くものだと思って隣を見ると、菜穂がゆっくりと首を振った。
「私はバスで待ってるから。行ってきていいよ」
菜穂は膝の上で眠っているはくちゃんを目で示して見せる。起こすのも悪いから、ということなのか。
やわらかく突き放された気がして、私としては、飲み込みがたいものがあった。
「だったら、いかないよ」
「私のことは気にしないで。……勝手にどこかにいっちゃったりしないから」
「そんなの、わからないでしょ」
このバスは得体が知れない。それを承知で乗り込んだのは、何が起きても構わないと思ったからじゃない。何が起きてもどうにかなるって思ったからだ。
菜穂と一緒なら、平気だと思えたからだ。
「運転手さんに待ってもらえるようにお願いするから。バスのことは心配しないで、行ってきて」
「そうじゃなくて。私は……」
バスが心配なんじゃない。
菜穂のことが心配なんだ。
──どうして、さっきだって。
ぐっと下唇を噛んだ。口の中が苦かった。
良いことのはずだ。菜穂が自分のしたいことを言ってくれたこと。
それが私の望みではないから飲み込めないというのは、おこがましすぎるだろう。
だから思いを無理やり飲み下して、私は告げる。
「……勝手にして」
バスが停車したのに合わせて立ち上がった。
背中に何か声が掛かった気がしたけれど、無視して降車口に向かった。
バスを降りた場所は、深夜にも関わらず煌々とした明かりの満ちる駅前のロータリーだった。
さすがに車の流量は減っている様子だけれど、それが途切れるということはないようで、タクシーの群れなすヘッドライトの明かりが重みさえ感じさせる密度で瞼を焼いてくる。
晴は千鳥足の酔客を慣れた様子で避けつつ、前へ進んでいく。その一歩後ろに私は続いた。
「幽霊ってわけじゃないみたいだね」
私がそう言ったのは、派手な格好の晴のことを認識して目で追っていた人がいたからだ。
私だって晴を認識出来ているし、なんなら触れられるのだから、やっぱり幽霊説は成り立たない。
晴は周りを見回しながら言った。
「……なんかずっと変な感じはするんだけどね。自分が自分じゃない、みたいな」
ああ、と晴が思いついたように掌を拳で打った。
「ドッペルゲンガーだ」
「それって、見たら死ぬっていう?」
「うん。日本的に言えば、いわば生霊ってやつかな」
幽霊にしろ生霊にしろ、あまり受け入れられない主張だった。
「なんにせよ、あたしが死んだことが本当だと確かめられなきゃだね」
深夜とはいえ街中の空気は蒸し暑く、歩いていると汗が吹き出す。
対して、自分を吸血鬼だと言った晴は足取りが軽やかだ。
この人もきっと、夜の生き物なのだろう。
しばらく歩いていると歓楽街が途切れ、ぽっかりとした物寂しい空間に出たところで晴が足を止めた。
かすかに聞こえてくるのは、水音だ。噴水があるのだろう。ということはここは公園なのか。
ふたたび歩き出した晴の足取りが、少しずつ早まる。
「この公園、近くにマンションを建てるための造成工事をしてるんだ」
工事用の白い防音壁が連なる一角に出たところで、晴が息を飲んだ。
晴の視線を追う。心臓の音がどくんと耳元で聞こえた気がした。
黄色い立入禁止のテープが幾重にも道を塞いでいた。
「今日、すっごい風強くて、声がかき消されちゃってさあ」
晴の声は、夜の中に吸い込まれそうなほど小さい。
「こんなんじゃリスナーさんも来てくれないし、せっかく告知したけど集まってきてくれた人に悪いかなあって諦めて帰ろうとしてたんだ」
「リスナーさん、って?」
「私のファン。弾き語りを聞きにくる人だね」
つまり晴は、ストリートミュージシャンということなのか。加えてネットの配信もしているから配信活動と言ったのだろう。
となるとこの公園は、路上ライブのスポットなのかもしれない。
そこで、晴が立入禁止テープを強引に潜り抜けたところを目にしてぎょっとした。
慌てて後に続くと、晴が呆然と立ち尽くしていた。
「あたし、向こうのポプラの木の下にいたんだよ。そうしたらいきなり、ぎぎぎぎぎぎぃ、って軋む音がして。変だなあおかしいなあ、って思ってたら誰かが逃げてーって叫んで、上見たらなんか影が落ちてきて……」
広々とした芝生の広がる公園内には、今も明かりが周囲を照らしている。
その一角、ブルーシートに覆われた不穏な場所が目に入る。
半ばから無惨に折れた、大きなポプラの木が目に入る。
確実に、何かがあった。背筋が、夏の夜の暑さを忘れて冷えた。
「……事故?」
「だろうね。強風でクレーン車が倒れちゃったんじゃないかな。それか鉄骨か何かが落ちてきたのか」
ポプラの木がめちゃくちゃになってしまったくらいなのだ。
その下に人がいたのだとしたら、無事では済まないだろう。
「信じてくれた?」
晴が笑いかけてきた。目尻に、透明な光がたまっていた。
ぐっと奥歯を噛んだ。これが演技だとしたら、晴は女優だろう。
それでもまだ私は死んだという話を信じられなかったし、信じたくなかった。
ひどい話かもしれないけど、決定的なものを目にしていない。
晴がドッペルゲンガーあるいは生霊なのだとしたら、あるはずだ。
晴の本当の体がどこかに。
「病院とかに、運ばれてるはずだよね。もし、本当にそんな目にあったのなら」
「言われてみればそうだね。次はそっちに当たってみよう」
そこで晴が、ふ、と笑う。
「なんか、昔見た映画を思い出すよ」
「映画?」
「そう。死体を探しに線路の上を歩く映画」
「ホラー映画なの?」
「違う違う青春モノ」
私には思い当たりがなかった。
すると晴は唐突に話を変えてくる。
「さっきはからかっちゃったけどさ。夕は菜穂のことを、とても大切に思ってるんだね」
「いきなり、何?」
「なんでもないよ」
煙に巻いて晴はさっさと歩き出す。
追いついて隣に並ぶと、憮然とした私に気付いたのか、晴は苦笑して続けた。
「……そばにいてほしかったんだろうな、って思ってね」
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