第20話 はるか遠く
門の外に出たところで、池田さんは私達二人を順に見た。
「お前ら学生だろ。もう十一時前だ。とっとと家に帰れよ」
「いや、まだ帰らないんで」
私の言葉に、池田さんは首をひねった。
言うべきじゃなかった、と思ったけれど遅かった。
しかも菜穂が乗っかって、決定的なことを口にする。
「私達、家出をしてるんです」
池田さんが顔をひきつらせた。
「はあ? 月越し参りに来たんじゃないのかよ?」
あのお祭りのことのようだった。確かに、夜更けに女の子二人がこのあたりをうろついていたら、普通はお祭りに来たと思うだろう。
隠すことはもう無意味と悟って、私は素直に打ち明けた。
「お祭りには行ったよ。ハムカツがおいしかった」
「……呑気なこと言ってんじゃねえよ」
頭痛をこらえるように額に手を当てた池田さんを「あはは……」と菜穂が笑う。
「二人で家出だと? じゃあそのお嬢さんは、不良のお前が無理やり連れ出したのか?」
「不良て」
菜穂を見ると、まんざらでもなさそうにてれてれしている。
池田さんの中で、菜穂は到底家出なんてしそうにないお嬢様という認識らしい。間違ってはいないけど、相対的に私の扱いが雑になっていて不満だった。
「連れ出したわけじゃない。私と一緒に家出してるの」
「……とにかく、早く家に帰れ」
「あんたがそれ言うの?」
飼い猫を家から追い出した人間に帰宅を促されたところで説得力が皆無だった。
ぐう、と池田さんが唸る。
「どこから来たんだ。ここまでどうやって来た」
「N市。ここまでは二人でバスに乗って来たんだよ」
「この時間ってことは、高速バスか」
「ふつーの市民バスだと思う。高速バスほど大きくはないし」
池田さんが顎に手を当てて眉をひそめた。
「んなバスがこんな夜中に運行するか? ああ、祭りに合わせて特別便でもやってんのかもしれねえな。……まあいい。とにかく、これからどうするんだ」
「遠くに行く」
「遠くって、どこへだ」
「ひたすらどこまでも遠くに。だけど」
自分でも子供じみている答えと分かっていたから、ちょっと言い淀みそうになった。
それを悟ったらしい池田さんは反射的に何かを言いかけて、けれどため息をついた。
「もうそろそろ電車が終わる。バスなんざ言わずもがな動いてねぇ。それでも行くのか」
「行く」
池田さんは舌打ちをして、腕組みをする。
唸ったり、壁の方を見たり、ひとしきり悩む素振りを見せると、私に向き直る。
「……今なら俺が家まで車で送ってやる」
驚いた私が見つめると、嫌そうに顔をそむけていた。
暗がりでひたすらにモニターに向かっていた怪しげな人、という印象だったから、こんなにも親切にされると戸惑う。
「どうして?」
「おれの目を醒ましてくれた礼だ」
ずいぶんそっけない言い方だった。照れ隠しなのか。
私が思うよりも、この人は私達に感謝をしているのかもしれなかった。
「どうせ足がないなら、お前らの逃避行は終わりだ。そうだろ?」
その時だった。
住宅街の薄闇を切り裂くヘッドライトの明かりが、通りを照らし出した。
すっかり聞き慣れた低いエンジン音を響かせて、そのバスがやってくる。
門の手前で止まると、乗降口がぷしゅう、と開く。
ここが停留所でないことは明らか。つまりこのバスは、私達を迎えにきたのだ。
その場の全員が呆気にとられて、しばらく口がきけなかった。
池田さんがこわばった顔で問う。
「こいつは、何だ? お前ら専用の貸し切りバスかなにかか」
「……ただふつうに地元で走ってたっぽいバス、だと思うけど」
まるで私達を待っていたみたいだ。いや、実際、待っていたのだろう。
車内は明かりが点いていて、当然、暗くはない。周囲から浮き上がって見えるレベルの光量は、いっそ眩しいほどだ。
でも、なぜだろう。
どうしてかこのバスは、驚くほど夜に馴染んで見える。夜そのものが迎えに来たみたいだ。
トトロの映画に出てくる猫バスくらい愛嬌があればもっと受け入れられ易かったんだけど、あいにく温泉旅館の広告が乗っているただの市バスにしか見えなかった。
「家出する私達を心配して、運行してくれてるのかな、って、思ったんですけど……」
菜穂の言葉に、池田さんはすぐさま首を振る。
「まともな頭の運転手なら、家出娘を乗せた時点でとっくに警察に通報してるに決まってるだろ。ここまでする公共交通機関は聞いたことがない」
「でも、危ない気はしないですよ」
そう言って私を置きざりに菜穂が乗降口に向かってしまった。
ステップに足をかけたところで、振り返る。
「運転手さんは、私を心配してくれた人だし。そんなに警戒することないんじゃない?」
警戒しない方がおかしいのに、どこまでいってもお気楽精神な菜穂だった。
でも、これから先のことを考えるとなると、私達の足となってくれる貴重な交通機関が限られてくるのも確かだった。
電車はもうそろそろ終わってしまう。するとタクシーとかに頼らざるを得なくなるだろう。その時の運転手さんが、このバスの運転手さんのように私達のことを黙っていてくれるかどうかは分からない。
危険はある。ありまくりだ。
でも、そんなの承知で家を出たのだ。
安全な家出なんて、あるわけない。
「……まあ、いまさらだよね」
毒を喰らわば皿まで。
肩の力を抜いて、私も菜穂に続く。
振り返ると、信じられないような面持ちの池田さんがいて、少し面白い。
「お、おい!? お前ら本気か……!?」
そうして慌てふためく池田さんの手から、するりとはくちゃんが飛び降りた。
あっという間にバスのステップを駆け上がり、私達の足下にたどり着く。
驚いて固まってしまった私を置き去りに、はくちゃんは呑気に「にゃあん」と鳴く。
「はく……?」
はくちゃんは池田さんを見つめる格好で、座り込んだ。
もうそこから動く気はない、と宣言するように。
それを認めて、池田さんは大きく、体の底からのため息をついた。
「……お前ら、名前は」
「え?」
「いいから言え」
特に秘密にする理由もなかったから、素直に明かした。
「早川夕。お嬢さんのほうが宇喜多菜穂」
池田さんは何度か復唱すると、私に人差し指を向ける。
「覚えておくからな。はくを頼むぞ」
「何いってんの……!? 面倒見てくれるって、言ったじゃん」
もう先が短くない、と言っていたはずだ。
それを承知した上で、池田さんははくちゃんを送り出そうとしている。
「俺は自分の都合ではくを捨てた。もう、自分の都合ではくを縛れねぇ」
無理強いすることは、確かに良くない。良くないけれど。
「本当にいいの」
「良くないに決まってる」
池田さんは寂しそうに笑った。
「戻ってきたけりゃ、戻ってこれるだろ。戻ってこなかったらその時は、まあ……、その時だ」
「心配なら、一緒にくればいいよ」
「いや。……なんつうかな、そうして欲しくないって言ってる気がする」
うまく言えないんだけどな、と池田さんは肩をすくめる。
納得は出来なかった。
でも、はくちゃんは確かに、バスから降りようとはしない。
あんなに家に戻りたがっていたのに、もう用は済んだと言わんばかりだった。
「自惚れを言わせてもらうなら」
池田さんはぽつりと言った。
「最後に一目、俺に会いたかっただけなのかもな」
はくちゃんは答えず、すいっと車内に消えた。
猫は犬よりずっときままで、その真意を計り知ることは難しい。突然人のイヤホンを盗んで走り回るし、かと思えば見ず知らずの人の腕の中でじっと抱かれたままでいたりする。
ただ、人から大切にされたことを忘れないのは、間違いない。
はくちゃんはだからこそ、池田さんの家に帰ってきた。
池田さんを信頼していたから。
ここで池田さんがはくちゃんを「追わない」というのは、その信頼に応えることになるのだろう。
と、そんなふうに納得しないと、受け入れられそうになかった。
菜穂はどう思うか、と振り向いて、傍に菜穂の気配がないことに気付いた。
「……あれ……、菜穂?」
気がつくと、菜穂は車内の前方で運転手さんとまた何か話をしていた。
知らぬ間に仲良くなっていたのか。
言葉に詰まったところで、池田さんが念を押してくる。
「頼んだぞ」
「……勝手にしなよ、もう」
後悔したって知らないから。
叩きつけるようにそう言うと、池田さんはむしろ吹っ切れたように笑う。
「気をつけろよ。なんだかお前らは、本当にどこまでもいっちまいそうな気がする」
冗談交じりに言った池田さんに「あっそ」と私は軽く肩をすくめて返した。
すると池田さんは、ふ、と思い出したかのように言った。
「しかしな。二人でどこまでも行くなんざ、まるで──」
「え?」
ぷしゅう、とドアが閉まり、私達は隔てられる。
後部座席に向かい、席につく。ようやく話を終えたのか、慌てた様子で菜穂が前からやってくる。
ゆっくりと動き出したバスの振動を感じつつ、車窓に肩をもたれさせた。
離れていく夜祭りの気配を名残惜しく思う気持ちと背中合わせに、頭の中で、池田さんの言葉が巡っていた。
まるで銀河鉄道の夜みたいだな。
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