第16話 白ちゃん⑤


 それから私は、外に菜穂を待たせてソフモヒ男に教わった古着屋に飛び込んだ。

 全国の大抵の古着屋は、九時過ぎなんて時間には閉まっているだろう。しかし幸運にも、この参道沿いのお店はお祭りが一晩中やっている関係でどれも開いていた。

 任せると言われたから、菜穂には両肩が空いたオフホワイトのワンピースを選んだ。私はベージュのサマーニットとデニムパンツ。

 本当は体に当てて確かめてみるところだけど、あくまでも変装することが目的なので、ぐっと我慢した。

 着替えた菜穂はすっかり満足げだった。実際、同性の私であってもぐっとくるくらい似合っている。逆に人の目を引いてしまいそうであまりよろしくない。


「やっぱもっと地味めにしようか。ちょっと店員さんに聞いてくるから」


「ううん。これにする」


 菜穂は、離れようとした私の服の裾をぎゅっと掴んで、子供みたいに言い募る。


「ゆうちゃんが選んでくれたのがいいんだよ」


「……まあ、菜穂がそう言うなら」


 元の服は、これも購入したショルダーバッグに詰め込む。

 着替え終わると、ようやく観光客の気分になることが出来た。

 そろそろ夜の十時にもなるというのに、参道を行く人波は衰えを見せない。

 境内の一番奥まった場所にいくと、参拝客の列が出来ていてひときわ賑やかだ。


「せっかく来たから参拝してみようか?」


「うん。いこいこ」


 菜穂はしろちゃんを抱えていて手がふさがっているから、私が代わりにお供えやら色々することにした。石段の横にある社務所で百円を納めて、二人分のお供え物を頂く。

 藁に通された油揚げを見て、菜穂が目を丸くする。これと蝋燭がお供え物なのだ。


「なんか珍しいね。油揚げをお供えするって」


「たぶんここが稲荷の神様を祀ってる神社だからじゃない?」


 透明なアクリル板で囲われた狛犬ならぬ狛狐を指差す。

 狐は稲荷の神様のお使いだと聞いたことがある。社務所にもそんな説明書きがおいてあったような。


「そっか。狐さんの好物が油揚げだからかぁ」


 列に並んでいると、順番がやってきた。

 骨組みだけの塔みたいな燈明台にろうそくを立てて、奥の拝殿の方へ。

 ちょうちんの吊り下げられた門の下には、やはり人の列が出来ている。こんなに混雑している神社にお参りに来たのはお正月以来だ。

 お賽銭と油揚げの両方が投げ入れられてカオスな箱の中へお供え物を納め、見様見真似で柏手を打った。

 菜穂はしろちゃんを抱きかかえたまま頭を下げていた。周囲の注目を引きそうなものなのに、意外にも誰も菜穂を見ようとはしない。どころか、人がぶつかってくることさえあって危なっかしい。

 もっと見て回りたかったけれど、菜穂が怪我をしてしまいかねない。さっさと混み合っているところから退散して、目をつけていた串カツ屋に向かった。もちろん、さっきの男みたいなやつらがいないかを警戒して。

 運良く外の隅にあるパラソル付きの席を確保し、いなり寿司とセットの串カツをいただいた。


「ふおっ……」


 さくりとした衣の軽い歯ざわりの後に、カツの脂の旨味がじゅわっとくる。思ったより熱く、空をあおいで熱を逃がすはめになったけどそれも楽しい。

 お腹が思い出したように空腹を訴えてきて、気がついたら一本があっさり消えていた。

 全然重くないのだ。一本一本が小ぶりなこともあって、いくらでもいけてしまう。さっぱりしたいなり寿司が箸休めになっているのも良い。


「これは恐ろしいやつだ」


 戦慄すると共にごくり、と喉が鳴った。

 こんなハイカロリーな揚げ物をどんどんいってしまったら……、と脇肉をつまむ。

 菜穂はというと早くも三本目にとりかかっていた。


「恐れ知らずな」


「?」


 食に奔放な癖に、スタイルが良くてニキビ知らずなのだから、ちょっと許せない。

 結局ほとんど菜穂が食べてしまって、食後のお茶を飲むと、気が抜けた。

 なんだか、ここまで怒涛のことがありすぎた。


「さすがに疲れたわ……」


「うん……」


 しろちゃんを抱えての人混みはさすがの菜穂でもしんどかったか。

 だっこを代わるにしても、しろちゃんは私を嫌っているから、そういうわけにもいかない。

 人の行き交う通りを眺めながら、菜穂がぽつりと言った。


「ごめんね」


「何。まださっきの気にしてるの?」


 ソフモヒ男に絡まれた私を助けられなかったこと。

 菜穂は暴力を振るわれることはあっても、その逆はまずないし、ほとんど無力といっていい。でも、そのことで罪悪感を覚える必要なんてない。仕方ないことだ。

 そう言ったところで、菜穂は受け入れるわけはないだろうけれど。


「それもあるよ。色々謝りたくて」


「それじゃ思い当たりが多すぎてわかんないよ」


「あははは」


 菜穂は屈託なく笑って、ふと目を伏せる。


「私、本当に、ゆうちゃんと家出が出来て良かったな」


 噛みしめるような言い方は、まるで家出がこれきりだと決めつけるかのようで。

 私は首を振った。


「きっとまた家出するから、その時も誘うよ」


「……ふふ。ありがとう」


 その笑みは、けれど私に本気で期待するものじゃないように思えた。


 菜穂をもっと、外に連れ出したいと思った。


 家という閉鎖空間に囚われていたら、菜穂はお母さんの思想に染まりきるかあるいはねじ曲がってしまう。人を殴る代わりにキスをする悲しい魔物になってしまう。

 あすちゃんと乗り合わせて、「つらい」と菜穂が打ち明けた時、私は気付いた。

 

 菜穂の本当の心の声を、私は聞きたかったんだ。


 どこかにあるかもしれない、安らげるような場所に菜穂を連れ出したい。たくさんの痣や傷痕が、いつか菜穂の心と体を埋め尽くして、取り返しのつかない苦しみに置き換わってしまう前に。

 子供の私にはまだ、そのビジョンすらも浮かばないけれど。

 この家出の延長線上に、それが見えるような気がしていた。


「……先のことを話すのはこれくらいにするよ。着替えも出来たことだし、そろそろ猫のことを考えよう」


「うん。……しろちゃんさ、たぶん見かけよりお年寄りなんだと思う」


「そうなの?」


「こんなに騒がしいのにずっと落ち着いてたから」


 テーブルの下を覗き込むと、しろちゃんは菜穂の膝の上で丸くなっていた。

 バスに乗る技術を身に着けていたのは年の功というやつなのか。

 白いその背中を、菜穂のゆびさきがやさしく撫でる。


「……私、しろちゃんを放っておけない」

 

 その言葉は、佐伯先生に「帰らない」と告げた時と同じくらい芯があった。

 心の奥底から出てきたのだとはっきりと分かるくらいに。

 私は渋い顔を作って、ため息をついた。

 このどろぼう猫を庇うのは気が進まないけど、菜穂のわがままは貴重だ。


「まあ私だって、放り出すのもどうかとは思ってたけどさ」


 老境に差し掛かった飼い猫に、過酷な野良生活が耐えられるものなのか。

 むかつく猫ではある。ただ、帰る場所がないことには同情してしまう。


「私達の家出旅に連れてくわけにはいかないよ」


「分かってる。でも、出来たら、お家を見つけてあげたいんだ」


「今から周りの家に尋ねて回る……?」 


「……そうしたいけど。夜だしさすがにまずいよね」


 最悪、迷惑をかければ警察を呼ばれてしまう。いつだって、それが一番の脅威だ。

 しかしこんな夜更けに土地勘のない場所で猫の家探しなんて無謀に決まっている。

 うーん、と悩んでいると、しろちゃんが眠りから覚めて起き上がった。

 それまで菜穂の膝に座っていて、眠くなったのか。今度はテーブルに頭と前足を乗せてだらんとしはじめた。かわいいけど、ちょっとだらしない。動くたびに首輪の赤色が見え隠れしていた。

 ……あれ?


「菜穂。ちょっとしろちゃんじっとさせててくれない?」

 

「? う、うん」


 テーブルを回り込み、しろちゃんの首輪を後ろから覗き込む。

『白』と漢字で一文字。名前を示していることは明白だ。だとすると。

 ……ああ。そういうことか。


「分かった」 


「? 何が?」


「この猫の飼い主」


 菜穂が目を見開いた。

 私は席を立つ。


「さっきのお屋敷に行こう。やっぱりあそこが、この猫の家なんだよ」

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