第15話 白ちゃん④

「しろちゃんは、この家の猫じゃない……?」


 私は一歩下がって、奇妙なぐらい静まっている屋敷の母屋を見上げた。

 ほとんどの窓が暗がりに沈んでいる。建物の大きさに対して、住んでいる人の数が少ないのかもしれない。こんな大きいお屋敷に住んでいるのがあの若い男の人だけというのは考えにくいけれど。


『そんな猫は知らない』


 ……本当に?

 猫のしろちゃんは門に縋り付いてまで中に入りたがっていた。バスに乗ってはるばるやってきてまで。

 でも、猫の考えを人間の理屈にあてはめて推測するのは馬鹿げている気もする。必ずしも、これが猫の単なる気まぐれじゃないとは言えない。

 そもそもなんで遠くにいたのか、って疑問も残る。

 やっぱり、別の家の飼い猫なんだろうか。


「無理やり中に入るわけにもいかないし、これからどうしよっか?」


 菜穂がしろちゃんを抱えたまま私を見た。

 このままじゃ、猫はどこにも居場所がない。

 野良猫ならまだしも、飼い猫らしき猫をこのまま放っておくのは……、気が引けた。

 夏は冬よりマシとはいえ外界は過酷だ。

 外慣れしている様子ではあったけど、自力ではいつまで保つか分からない。

 かといって、私達が連れて行くわけにもいかない。

 そこで、屋敷の裏手がやけに眩しいことに気がついた。

 耳を澄ますと、車の走行音がした。ざわついている。人がいるのか。

 こんなところにいつまでもいても仕方ない。

 

「ひとまず、あっちいってみない?」







 私達の眼の前には、巨大な朱塗りの鳥居がそびえていた。

 

「……すごっ」


 思わず息を呑んだ。といっても鳥居の立派さにじゃない。

 

「盛況だねぇ」


 しろちゃんを腕に抱えた菜穂も気圧されたように呆然としている。

 屋敷の裏手には大きな駐車場があり、道沿いに鳥居があった。

 東口大鳥居と看板が据えられた鳥居の先には、人、人、人。

 時刻は九時半過ぎ。普通の夏祭りなら、とっくに終わっているはずの時間。

 もちろん、今日はお正月じゃない。初詣で、であるはずもない。

 祭りであることは明らかだけど、私の地元で行われるような、お神輿をかついだりするようなお祭りには見えない。


 これが夜祭り。


 ちょうちんの淡い灯りが、人と人とが生む不思議な熱を含んだ空気が、私達をいざなっていた。

 吸い寄せられるみたいに自然と足が向かってしまう。

 菜穂を見ると、目をきらきらさせていた。

 知らない街の、知らないお祭り。

 わくわくしないほうが無理ってもので、意志を言葉で問うまでもなかった。


「しろちゃんは、どうする? 抱えてくの?」


「うん。寂しそうだったから」


 心もとないけど、ひとまず私の手の代わりに菜穂の守りをしろちゃんに託すことに。


 鳥居をくぐり、参道に入った途端に雑踏と照明が私達を圧倒した。


 どっしりとした歴史を感じさせる構えのお店が両脇を固めていて、のぼりを幾つも立てている。なんとか屋、と漢字表記の屋号が多いから、やはり昔からあるお店なのだろう。

 入口のお店を覗いてみる。だるまや熊手、お守りに鈴といった縁起物がところせましと並べられていた。

 商売繁盛、開運招福。その四文字が目につく。神社の近くならではのお土産屋さんだ。けれど、地域の特産品らしいメロンやすいかといった青果も軒先に並んでいて、品揃えに隙がない。

 軽くひやかして出たところで、菜穂としろちゃんが揃って鼻をひくつかせる。


「んん……、いい匂いする……!」


「あんた獣かなにか?」


 でも獣じゃない私にも分かるくらい香ばしい匂いが空気に漂っていた。

 お土産屋さんはかなりの数がある。食事処はそれを凌ぐ勢いでひしめいている。

 中華そばの暖簾が風に踊り、そのすぐ隣では夏なのにおでんの立て看板。

 草餅のお店にはお年寄りの行列。アイスクリーム店には家族連れが。クレープ店もかなりの人気だけど、大学芋のお店だって負けていない盛況ぶりだ。

 そして何よりも目につくのは串カツとどて煮。その二つは歩けばどこでも目に入る。

 どうやら地域の名物であるようだ。


「夜の九時過ぎから串カツってやばくない?」


「でも絶対おいしいって」


「それは、まあ……」


 ひょこっと覗いた店先には、たくさんの大人がお酒片手に串カツを頬張っていた。

 めちゃくちゃおいしそうだった。それはそうだ。

 外で、しかも夜に、揚げたての串カツ。おいしいに決まってる。お酒も進むはずだ。

 こんな背徳感ある組み合わせを楽しんでいる人が、こんなにもたくさんいる。

 中には私と同い年くらいの子もいて、友達とはしゃいでいる。

 それがなんだか不思議で、ついつい眺めていたら、外で突っ立っていた銀髪ソフモヒの若い男が近付いてきた。

 やな予感に、体がこわばった。


「ねねね、おねえさん一人? 一人だよね?」


「………………ち、がいますけど」


 予感的中だった。後ろの菜穂が連れだと思われていないのか。

 それに、おねえさん、って。どう見ても年下でしょうが。


「えー、うっそ。あ、ところでさあ、ちょい退屈してない? 退屈。

 夜通しお祭りっつったって、飲まなきゃつまんないっしょ。っつかやってらんなくない? 人生って基本クソだしさあ」


 男は上から見下ろしてくる。私から選択肢を奪うように、両手を広げて詰め寄ってくる。

 私は一歩一歩、後ろへ追い詰められていく。

 かかとが壁を擦って、退路がないことを悟る。

 男の絶妙な声量が憎かった。周りには聞こえないし、カップルか何かと思われているだろう。


「色々しんどいでしょ。人間関係とか学校とかさ。マジ辛いよな。おれも分かるよ。

 でも、飲めば全部ブッ飛ぶよ? 裏で一杯だけ……、どう? もちろんおごりだからさ」


 お酒ね、としみじみ思う。

 佐伯先生もずいぶん嗜んでいたようだけど、そんなにいいものなんだろうか。

 一杯で全部吹き飛んでしまうのなら、確かに悪くない、なんて思えてくる。

 飲まないけどさ。

 でも、ちょっと気になることを言っていた。


「……このお祭りって、夜通しなんですか」


「あ、知らないんだ? この神社、晦日に毎月縁日やってんのよ。一晩中、明日まで」


 ナンパされていることも忘れてしばし呆然とした。

 一晩中、お祭り。

 そんなことって、あるんだ。


 夜では、私が眠っている間にこんなにも愉快なことが起きている。


 危険なこともあるかもしれないけれど、その代わりに、夜は自由だ。

 そう思うと、見知らぬ男に絡まれている恐怖が、ほんの少し和らいだ。

 苦み走った顔で話していた佐伯先生を思い出す。

 お腹に力を入れた。精一杯、男の目を睨み上げて、断固として言った。


「お酒とか死ぬほどどうでもいいんで。いらないです」


 口を挟まれないように、すぐに言葉を続けた。


「そんなことより、このあたりの古着屋とか知りません?」


 ソフモヒのチャラ男は一瞬、変なものを見たように口を半開きにした。


「は? 古着屋?」


「この格好で目をつけられたくないんですよ。あなたみたいな人とかに」


 自分で言ったくせに、何言ってんだ私、と内心で激しく後悔した。

 腕力じゃ到底敵わない。怒らせて無理やり連れ込まれたらアウトだ。

 ソフモヒ男は、くくっ、と体を折るようにして笑った。


「古着屋ね。知ってる知ってる。この辺、衣料品店多いんだよね」


「……本当に?」


「ほんとほんと。ここまっすぐ行って右から四軒目の店。あとその向かいを奥にいったとこがおすすめ」


 一応お礼を言おうとすると「良いって」と意外にも人好きのする笑い皺を浮かべて身を引いた。きっと何人もの女の子があの笑顔に落ちてきたのだと思うと油断ならない。


「君のようなドブみたいな目をした子、けっこうチョロいんだけどね」


「見る目なかったですね」


「っはは。自信失くしちゃうな」


 肩を揺らしてソフモヒ男は笑い、ひらひらと手を振った。


「ま、夜を楽しんで」


 ちょっと拍子抜けなくらい、あっさりした引き際だった。

 たぶん、ああいうのは数撃ちゃ当たるが肝要なんだろう。変なやつにかかずらってる暇はないと判断されたらしい。刹那的でドライな夜の生き物だった。

 佐伯先生の言うところの出会いの奇跡ってやつは、当然、危険な出会いの奇跡もある。

 危なかった。

 店先を離れたところで、私は詰めていた息を吐いた。思い出したようにどっと汗をかいていた。


「ゆうちゃん、ごめんね……。大丈夫?」


 心配そうな菜穂の声に、私は胸を手でおさえて首をふる。

 全力疾走した後みたいに動悸がしていた。


「……こわかった。今、心臓やばい」


「ほ、本当に、ごめん。ごめんね。私、何も出来なくて……」


 ほとんど涙目になりかけている菜穂の頭を、私はそっと撫でた。

 むしろ菜穂がじっとしていてくれたおかげで、古着屋の情報を聞き出せた。

 ふう、と深呼吸をする。


「いいよ。……それより、さっさと服買いにいこ。こんな格好してたら、またさっきみたいな奴に絡まれちゃうし」


「分かった。私のお財布は好きに使っていいよ」


「そういうこと気軽に言わない」


「信じてますから」


 茶化すように言っていたけれど、たぶん嘘じゃない。一円残らず使ったとしても、菜穂は怒ったりしないだろう。そういうやつだ。

 私は菜穂から預かった財布を手にして、軽く肩をすくめた。

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