あすちゃん編

第2話 同行者とどうこうしゃ

 バスが動き出す。

 私達を乗せて夜の街を行く。

 隣の菜穂は楽しそうで、にこにこしている。

 時刻表の貼り付けられたボードや、吊り下がった広告を興味深そうに見つめている。カーブにさしかかって車内がぐっと傾くと、「おおー」と喜んでいた。

 私を引き止めても無駄だと悟って、ならば一緒にいこうという魂胆なのか。

 

 それにしても、菜穂の態度は少し変だ。

 

 時刻はとっくに七時を過ぎた。女子高生は家に帰っていなければならない時間。

 菜穂は、分かっているはずだ。

 これ以上私に付き合えば、お母さんから酷い目にあうということ。

 ただでさえ、体に痣をつけられるほどの暴力を振るわれているのだ。きっと私の想像の及ばないほどに酷い目にあうだろう。

 こんな破れかぶれの逃避行に付き合う意味なんて、ひとかけらもないはずだ。

 そんな私の内心なんてまったく関知しないお気楽な菜穂が「ねね」と顔を近づけてくる。


「どこまで行くの?」


 私は適当に答えた。


「ストックホルム」


「どこそれ? アメリカ?」


「そんなんで良くうちの高校入れたよね」


 私の通う高校は、地元では良く知られたマンモス高で、進学校だ。

 ただ、私と菜穂は学科が違った。


「ゆうちゃん、頭良いよね。羨ましい」


「バカにしてる?」


 私は中学の頃まではクラスでトップの成績だったから、ちやほやされていた。

 さすがはお姉ちゃんの妹だと、先生からも褒められた。

 高校に来て、自分が井の中の蛙だったと知り、打ちのめされた。

 大学入試で全国の人と競うとなれば、私なんて、蛙どころかミジンコもいいところだろう。

 自分なりに、あがいたとは思う。

 でももう、お姉ちゃんには到底及ばない。

 お母さんは私を見てはくれない。 

 私は車窓に頭をもたれさせて、流れ過ぎる夜の街を見つめた。


「私くらいの人間なんて、いくらだっているよ」


「そうかもだけど。ゆうちゃんは、すごいよ。私いつも、本当にそう思う」


「すごくなんかない」


「でも、いつもがんばってる。勉強。遅くまで、やってるんでしょ?」


「無駄にね」


「無駄じゃないって」


 強い語気に、振り返った。

 菜穂の瞳は、ひどく透明に、澄んでいた。皮肉や悪意は少しも宿ってはいない。

 嫉妬とかやるせなさとか無力感がごった煮になって澱む私の瞳は、きっと菜穂とは比べ物にならないほどに、黒ずんでいるだろう。

 その、綺麗な瞳を、汚したいと、思った。

 不器用に励ましの言葉を紡ぐその唇を、ふさいでやりたいと、思った。

 出来ないけど。

 だから私は、菜穂のふくらはぎを軽く蹴るにとどめた。

 すると菜穂が、ふざけて肩をぶつけてくる。お返しとばかりに。子供みたいに。

 

 なにしてるんだか。


 菜穂といると、気が抜けてしまう。良くも悪くも。

 窓の外は見慣れた景色が続く。一方通行の商店街だ。軒先の雨樋がオレンジ色の街灯に照らされて光っている。そういえばこの通りの中華料理屋で家族とご飯食べたな、と思いだして、少し暗鬱な気になった。

 すると、中華料理屋の眼の前でバスが止まった。客を乗せるために停車場で停まったらしい。前の乗り降り口から子ども連れの男の人が背中を丸めて入ってきた。

 私達はシートから軽く身を乗り出して前を見やる。


「わ」


 菜穂が呟いた。

 男の人が連れていた女の子は、まだ幼稚園生くらいの年に見えた。さらさらしていそうなおかっぱ髪。真っ黒い服を着ていて、それはお父さんらしき人の方も同じだった。

 女の子は私たちの姿を認めると、ちっちゃな手を振りまわして通路を駆け出した。

 菜穂が不思議そうに抱きとめてやると、女の子は顔を上げて「せんしゅ!」と叫ぶ。


 ……せんしゅ?


「こら、あす! ちょっと!」


 お父さんが慌てて歩み寄ってきた。


「すいません。この子何か勘違いを」


 お父さんが頭を下げた。


「……なんかすごいなつかれてるけど、菜穂の知り合い?」


「ううん?」


 あすちゃんは菜穂の太ももに頭をすりすりしている。

 恐縮してあすちゃんを引き剥がそうとしたお父さんを、菜穂が目で止めた。

 大丈夫です、と。

 菜穂は、目とか、顔とか、表情で、人に気持ちを伝えるのが上手い。

 勉強が多少出来る程度でしかない私は、菜穂が自覚していないそういう特技を、言葉には出さないけれど尊敬している。頭が良くなくたって別にいいじゃん、って思う。

 お父さんは、あすちゃんがようやく菜穂から離れると、頭を下げた。

 その顔が、なんだか、疲れていた。

 見れば、真っ黒なスーツにも、ところどころシワが寄っている。

 アイロンをかけていないのかもしれない。

 身に纏う空気も、どこか枯れている気がした。

 お葬式帰りなのだろう。少し、触れがたい雰囲気だった。 

 バスが動き出した。

 あすちゃんとお父さんは私達のすぐ隣の座席に座った。

 あすちゃんは膝立ちになって車窓を眺めている。

 そこで、お父さんが何気なく私と菜穂に向けて言った。


「きみたち、もしかして家出かな」


 私は菜穂と顔を見合わせた。

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