第39話

 余りにもでかでかと書かれた文字でアルファベットが潰されて、実質選択肢など存在しない。手の下で、十円玉代わりの銅貨が激しく振動した、と思った瞬間、

 「ぶわっ!?」

 さっきの狸と同じか、それ以上に景気よく煙が噴出した。ほぼ同時に、上階ですさまじい絶叫が上がって、さっきの影が窓をぶち破って飛び出してきた。慌てて換気していたエレノアたちが見ている前で散々にのたうち回り、瞬く間に姿が変わっていく。ずんぐりむっくりの体型でどっしりした四肢を持ち、目の周りに模様がある動物だった。

 これはあれだ、アナグマだ。日本では古くはムジナともいい、タヌキや狐同様に人を化かすと言い伝えられてきた。さすがにこんなに大きいのは初めて見たけれど。

 《お、おのれぇぇぇ……小娘が小賢しい真似を……!! 正体を見破られては勝算はない、この場はひとまず退却》

 「――させると思うなよ!! 行け相棒ッ」


 ごっわああああああああ!!!!!


 《ぎゃああああああああ!?!》

 逃げようとする頭上から、勇ましすぎるタンカと共に炎が降ってきた。あっという間に包まれた巨大ムジナが、悲鳴と共にその向こうに姿を消す。そこそこ距離があるというのに肌がちりつくほどの炎熱が効いたのか、再び出てくる気配はなかった。

 ……そういえば、アナグマ狩りではまず煙を焚いて巣穴から追い出すんだったっけ。そりゃあ炎が苦手にもなるだろう。

 いや、ちょっと待て? さっきの声、思いっきり知ってる人のものなんだが……

 「――おや、随分と早かったですね。ご無事で何より」

 「おー、久しぶりだな色男。このタイミングで帰ってくるとはやるなぁ」

 「何にせよ助かった、礼を言うぞ。セドリック」

 「うん、ありがとう! みんな怪我はしてないな、エリィも! 良かった!」

 「……あ、やっぱり」

 危険が去ったのと、知った顔を見たのとで安心して、気の抜けた声でつぶやいたエレノアの視線の先。叩き割られて大変なことになっている三階の窓辺で、生徒会の面々と嬉しそうに話している青年がいた。

 伯母ゆずりの赤銅色の髪、色合いだけ伯父そっくりの紫の目。顔立ちだけはどちらにも似ず、実に爽やかかつ明朗で、その中に優しさも垣間見えるという男前だ。跨っているのが馬ではなく、こっちでは希少種だというグリフォンであることとか、一言の説明もなくこの場にいるはずのない従姉妹の存在を受け入れてしまってるところとか、ちょっと肝が据わりすぎじゃなかろうかという点はあるが、それはまあ置いといて。

 「セド、じゃないや、お兄ちゃん! 久しぎゅーっっ」

 「エリィー!! 何もなくてよかった、ホントによかった!! 実習先から返ってくる途中で、殿が魔導具で通信入れてきたからびっくりしたんだぞ!! あの人が妹さんといっしょに地元にいるっていうのも驚いたけどさ!?」

 「あっはい、心配かけてごめんなさい。いろいろ流れと事情があってね、…………って、え??」

 グリフォンを操って地上に降り立つのと、ほぼ同時に力いっぱいハグされてしまい、目を白黒させて相手を宥めに掛かろうとした。ところで、何やら聞き捨てならない単語を拾った気がした。

 えーっと、その条件に当てはまるのって。いや、でも今確かに。

 「……あのぅ、お兄ちゃん、いま殿下、って言った……?」

 「ん? うん。エドワードはうちの国の第一王子で、今のところお世継ぎってことになってるから。キルシュハイムの別邸は母方の親戚のものなんだって。

 ――あれ、エリィ? どうした、具合悪いのか!?」

 (うわああああやっぱりー!!!!)

 色々と失礼なことを、言ったりやったりしまくったかも。いや、確実にしたよわたし!!

 突如頭を抱えてしまった従妹を心配して、しきりに呼びかける本日の功労者。その遠慮なく抱きかかえた腕の中で、とうとう精魂尽き果てたエレノアは、大人しく意識を飛ばしておくことにしたのだった。




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