第31話




 ――どしゃあっ!!


 夕方に使ったバルコニーから、大きな物音。続いて大型の猛獣っぽい、地を這うほど低いうなり声が聞こえた。

 今日は上空では風の流れが速いようで、雲がどんどん流れていく。時折その合間からこぼれる月光は明るく、閉まったカーテンによろよろと立ち上がろうとするもののシルエットが映し出されていた。何の動物かははっきりしないが、それでも異様にでかいというのは見て取れる。絶対に猫とか犬とかの体格ではない。しかも、

 《おのれ、小癪な……何故あんなモノが、人間風情のそばにいる……!?》

 (しゃべったー!?!?)

 やっぱり普通の動物じゃなかった! と、エレノアはビビりつつも興味津々だ。しかし身を乗り出そうとしたところで、かばうように割って入ったロビンに阻まれた。人差し指を口の前に立てる、いわゆる『静かに』の手ぶりをして囁いてくる。

 「このままドアまで下がって。絶対に、あちらに届く物音を立てないで。何が『入る許可』として認識されるか、わからないからね」

 「あっそうか、扉問答!」

 「そう。気を付けて」

 まだ砕けた言葉遣いだったが、さっきと違って声が真剣で、それでいて言い方はいつも通り優しい。おかげで少しだけ落ち着いて、無言でうなずきあって、そうっと後ずさりしていく。

 生徒会室の床が絨毯敷きになっていて助かった。ふかふかする感触を確かめながら、窓の反対側に位置する扉にたどり着き、ノブを握った。よかった、何とか――


 こんこんこん。


 ホッとしかけたまさにその時、目の前でノックの音がした。何でこんな時に。

 オークらしき硬そうな木材が、澄んだ音を響かせた瞬間、窓の外でうずくまっていた影が飛び起きる。がしゃん! と凄まじい音がした。体当たりで入ってこようとしている!

 「マジでっ!? 今みたいなのでもう入れるの!?」

 「早く外へ!!」

 言われるまでもない。急いでドアノブを回し、廊下に飛び出たとき、真後ろでガラスが砕け散る。ちらっと振り返ったエレノアの目に、木っ端微塵になった窓から飛び込んでくる、ヒグマほどはあろうかという巨大な影が映った。何だあれ!?

 「『封錠ロック』!!」

 影の鼻先でドアを締め切ったロビンの掛け声に続いて、ばしゅっと空気が抜けるような音がした、見ればドアを覆うように、直径がエレノアの身長くらいありそうな魔方陣が張り付いている。向こうでドアを破ろうと暴れているのがわかるが、今のところびくともしないようだ。

 「施錠の魔法。陣が出ている周辺の空気を固定して、ものが壊れるのを防ぐ術なんだ。これでしばらくは持つ、と思う」

 「……魔法って便利だなぁ」

 解説にひとまずほっとして、ドアの脇に視線を移す。いきなりのドタバタに驚いたのか、大きな目をこぼれ落ちそうなほど見開いて立ち尽くしているひとがいた。

 ふんわり巻いた淡い紫の髪、猫のようにキュッと吊り上がった金色の瞳。満場一致で太鼓判を押されそうな華やか系美少女だ。例の濃緑の上着に、膝丈くらいのスカートを合わせて、タイツにストラップパンプスという格好だから、ここの生徒さんに違いない。なるほど、女子の制服ってこういう感じなのか。

 「あ、あの……ごめんなさい、わたくし……」

 「いえ、大丈夫です! 今のは完全に不可抗力ってやつなので! ――って、あれ?」

 蚊の鳴くような声で謝るのをフォローしようとして、ふっと何かが引っ掛かった。このお姉さん、どこかで会ったことがないだろうか。それもごく最近。

 「――ロビン、エレノア嬢! 無事か!?」

 「今度は何があったんだよ……て、レティシア嬢? もう起きて大丈夫なんですか?」

 「えっ、ケイさんのお知り合いですか?」

 「オレたちの、というか……ほら、今回の被害者の方だから。ね」

 「あっそうか! じゃあ大分元気になったんですね、よかったー」

 廊下の奥から走ってきてくれた生徒会コンビに言われて、ようやく思い至った。そうだった、このひと、最初にお祓いしたうちのひとりだ。

 どおりで見たことあると思った、と手を打って笑ったエレノアに、相手は元から丸かった目をさらに瞠った。と思った次の瞬間、そこからぶわっと涙があふれ出す。えっ、なんで!?

 「わーっ!? すみません、なんか気に障りました!?」

 「や、やはりまだ体調が……!?」

 「い、いいえ、違うの、そうじゃないの……!

 ごめんなさい! 今朝からの騒動、全てわたくしのせいなんです……!!」

 ……嗚咽交じりに転がり出た告白に、立て続けの突発事態に見舞われたエレノアは、いい加減ぶっ倒れそうになった。


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