第27話





 ふいにガタガタと音が立って、視線を向けた先で窓枠が揺すられているのがわかった。今夜は少し、風が強い。

 「……荒れてきたな。夜中に雨が降るかもしれない」

 南から吹いてくる、新緑の季節に付き物のこれは、俗に青嵐と呼ばれている。大体はからりと乾いて爽やかなものだが、運んでくる空気の温度差によっては突然の強雨をもたらす場合もあるから、注意が必要だ。これから夜道を行くことになる、自分のようなものは特に。

 「――なあ、本当に今から帰るのか? えらく物騒な雰囲気だぞ、明日の朝じゃダメなのか」

 「はい、ちょっと気になることがあって。お騒がせしてすみません、先生」

 奥からひょっこり顔を出した先達は、もう夜半だというのに常の通りのローブ姿だった。火伏ひぶせの効果がある素材を使って織られた、触ると少々ごわつきのある灰青色の厚手の布だ。約一か月の実習では、自分も散々お世話になった品である。心配そうに眉を下げるその腕にしっかり抱えた、こちらも耐火の素材で編まれたバスケットから、小さなものがぴょこっと顔を出した。

 『ぴぃ!』

 「あれ、まだ起きてたのか? こぉら、早く寝ないと大きくなれないぞー」

 『ぴわ~』

 「はは、相変わらずあやすのが上手いなぁ。……お前が出ていくのに気づいたらしくてな、さっきからそわそわして一向に寝付かん」

 「あー……すいません、この子たちのカンをなめてました」

 よしよし、と指先で撫でてやると、手のひらに載るほどのひな鳥は気持ちよさそうに目を細めた。つい数日前にふ化したばかりなので、ふわふわした綿毛のような羽毛が大変可愛らしい。ほんのりと薄紅色に染まった羽根の奥からこぼれる、暖かな光と熱が小さな身体を包み込んでいた。この子たちの持つ、命の灯火そのものだ。

 「……やっぱり、なりたいなぁ。鳳守とりもり

 ひな鳥の嬉しそうな様子を見ていたら、つい口に出して呟いていた。

 鳳守は希少な霊獣、中でも特に鳥の姿と生態を持つものを見守る役目だ。保護して繁殖の手助けをしたり、時には増えすぎた天敵や外来生物を駆除したりと、その職務は多岐に渡る。現職者の多くは近衛騎士や宮廷魔導師などと兼任で、名実ともに備わった立派な仕事だ。

 どうしてもその現場に触れたくて、期間限定ではあるが専門家のもとで研修させてもらえることになったときは、嬉しすぎて眠れなくなるほどだった。――だが。

 (おれ、ひとりっ子だからな。どうやっても家督は継がないといけないし、父さんたちの面倒も見ないとだし、……エリィのことも、あるし)

 この子たちのような精霊鳥のコロニーは、国中でもかなりの遠隔地に点在している。繁殖期には長く地元を離れることになるし、たどり着くためにいくつもの難所を越えていかねばならず、何よりも大きな危険が伴う。

 両親はもちろんだが、いちばん気掛かりなのは一緒に暮らしている従妹のことだ。どうにかして、あの子が思い切りやりたいことをやれるようにしてやりたい。幸せにしてやりたい。そのために自分は何をすべきか、本当はもうわかっているはずなのに――

 撫でる手がふと止まる。改めて教え子を見やった先達は、その穏やかな顔つきに不似合いな影を読み取って、そっと息をついた。若者が進路に悩むのはいつの世も同じだが、彼は自分から見ても適性、技能、共に文句なしだった。自ら志しただけあって熱意も十分だ。どうにか望む道が拓けてくれるといいのだが……

 「ほら、あんまり沈痛な顔をするんじゃないぞ。これだけ懐いていたら、名残惜しいのはわかるがな」

 『ぴ? ぴ?』

 「……はい、おれ行きます。この子たちをお願いします」

 「おう、任せとけ。念のためにフード付きの外套を着て行け、どうも雲行きが怪しいから。

 困ったことがあったら、いつでも来いよ。セドリック」

 「はいっ! 本当にお世話になりました!!」

 風がどんどん強くなり、その中に微かに水の気配が感じられるようになっている。気付かないふりで外套を被せてくれる恩師と、自分を見上げてしきりに鳴くひな鳥にしっかり頭を下げて、彼は何かを吹っ切るように飛び出していった。


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