第5話
そんなこんなで、数日の後。
「さあお嬢様、心の準備はよろしいですか?
「うん、大丈夫。必要そうなものは全部揃ってたよ、ありがと」
「それはようございました。もし急に入り用になったら、すぐシーナに仰ってくださいね。
いいですか、今日は何か落としたり忘れたりしても、ご自分で取りに行っちゃだめですよ? 世間一般のご令嬢はハンカチを落としても、靴が脱げても、差し歯が欠けても、ぜーんぶお付きの人に対処してもらうんですから」
「……あの、差し歯は自分でやった方が早いと思うんだけど」
「あくまでもたとえです! そのくらい全力で『よきに計らえ!!』って態度でいてオッケーなんです、とにかくお呼ばれの間は全力でお澄ましなさっててくださいね!!」
「はあーい」
本人よりよっぽど気合が入っている世話役に、水を差すのも悪いのでおとなしくうなずいておく。なんとなく撫でてみた薄紫のワンピースは、上品な光沢のイメージ通りさらさらしていて気持ちよかった。ろくな外出着を持っていなかったエレノアに、伯父夫婦が大急ぎで誂えたものだ。ついでに靴とか日傘とか、おもちゃみたいに小さなバッグなんかも購入して、手渡すときにしきりと念を押してきたっけ。
『いいか? あちらに伺っている間は絶対、確実に、何が何でも粗相をするんじゃないぞ!? もしなにかしでかしてみろ、金輪際うちの敷居は跨がせんからな!!』
(……いや、訂正。あれは念押しじゃなくて脅しだったな、うん)
車窓の外に遠い目を投げかけて回想していると、景色はすでに町中を過ぎつつあった。同時に背の高い塀や立派な建物が増え、山の手に広がる邸街に入ったのが分かる。そのまま、徐々にスピードを落としながら走り続けること、しばし。
「――お疲れ様です、お嬢様方。エルダーウッド邸に到着いたしました」
馬車がほとんど揺れず、見事な停止を決めたのとほぼ同時。つい先日の初対面時と全く同じ、穏やかで落ち着いたロビンの声が、御者席の方からアナウンスするのが聞こえた。
このキルシュハイムの街は王都からも離れた立派な田舎だが、閑静な雰囲気と自然が豊かなおかげで、保養地として一定の人気があった。特に日当たりが良く、なおかつ山と森に隣接した東には、都会の喧騒から逃れたい貴族諸侯の別荘が立ち並び、ぱっと見にもそこだけ様相が違う空間となっている。
人生初のお呼ばれ先であるエルダーウッド邸は、そんな中でもひときわ奥まった一角――つまりは一等地を独占する形で、堂々と佇んでいた。
「足元にお気をつけて。……ご不便をおかけして申し訳ありません。出来る限り道を選んだつもりですが、長雨の後でしたので」
「いえいえ、とんでもない。田舎道であれだけ揺れなかったのは初めてです、ロビンさん上手ですねぇ」
そんなことでほめられても困るだろうか、と一瞬気になったが、まぎれもない本心だった。ろくに石畳も敷いていない、土がむき出しの地面を疾走してきたとは思えないほど快適だったのだ。ああいう微振動に弱く、どうかするとすぐ酔ってしまうエレノアが元気にしているのがその証拠だ。
馬車から降りるための踏み台を置いて、さらに手を貸してくれていたロビンは、飾り気のない言葉に藍の瞳を瞬いた。ちょっと幼く見えて可愛いな、なんて思った直後、ふっと柔らかく目を細める。
「お褒めに預かり、光栄です。……馬車を戻してまいりますので、その間はぜひ庭園をご覧ください。ちょうどバラの盛りですから」
「あ、ありがとうございます……?」
真正面からしっかりと目を見てそう言われ、エレノアの方が何だか照れてしまった。相手の声と表情があまりにもやさしかったせいだ。どうしてそんなに嬉しそうなんだろう。
(ここのお邸のひとたち、そんなに厳しいのかな? 褒めて伸ばすって発想がないタイプ? ……うーん、わからん)
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