第12話 警邏局の騒乱

大陸暦1568年6月8日 ボーンシュタット市郊外 内務省警邏局本部


 ヴェスタニア王国の治安維持は、二つの組織によって保たれている。一つは王国軍で、戦時の国内治安維持や敵国の破壊工作に対応する事が主な任務となる。もう一つは内務省の管轄下にある自治体警察で、首都ボーンシュタットにおいては『衛兵ベヴァーチェン』の二つ名を持つ警邏局がその任を担っている。


 そしてこの日、ボーンシュタット郊外にある警邏局本部の屋内練習場に、一人の男の姿があった。


「おやおや、珍しい場所に連れてきましたね。ここで魔物の検分を行うのですか?」


「ええ、そうですよ」


 ホーエンハイムはそう呟きながら、辺りを見回す。この日、彼は警邏局からとある魔物の死骸の検分を頼まれてこの場に呼ばれたのだが、その場には魔物の死骸など何一つなかった。そして彼を連れてきたマルクスは、片手を上げて指を鳴らした。


 とその時、各所に複数人の王国軍兵士と警邏局員が現れ、ホーエンハイムを取り囲む。全員武装しており、いつでもホーエンハイムに対して攻撃を仕掛ける事が出来る状態にあった。


「…貴方の検分を、ね」


 マルクスがそう呟いた直後、三人の男達が現れる。軍務卿のカイテル将軍に王国軍統帥本部長のパウロ・フォン・ザイドリッツ将軍、そして王国魔導師団長のフェルディナント・フォン・バウエルだった。


「まずカイテル卿、魔人化した者の名は覚えておりますか?」


「…カール・フォン・シュタイナーだろう?」


「そうです、『ここにいる皆』は当然知っている。しかし、ここにいる人間以外は知らない筈なんですよ。『魔人化した者の正体』は。貴方は私と面会した時、『自分の教え子が辛い目に遭ってしまったと聞いた時は酷く落ち込んだ』と言っていました」


「…」


 その言葉に、ホーエンハイムは黙る。マルクスは言葉を続ける。


「ポーター君とアナスタシア殿下から話を聞いた陛下は、すぐ様に箝口令を敷きました。魔人化した人間の名を口外してはならぬと。今回の事件にはいくつか不自然な点があり、そのせいで彼の家族が不当な扱いを受けぬ様に、と。貴方に会う前にシュタイナー邸に伺いましたが、静かなものでしたよ」


 24年前の魔人が引き起こした混乱は、30代以上の人々の記憶に強く残る事件であり、魔人に対して脅威を感じる国民性からすれば、魔人化した者の正体を知れば、たちまちのうちにシュタイナー家に殺到して私刑を試みるだろう。まさしく箝口令が機能している証拠であった。


「そう、今世間で知られているのは『学院を魔人が襲撃し、たまたま居合わせたポーター君とアナスタシア殿下が迎撃し、撃破した』という事のみ。誰が魔人となったのかまでは知られていません。その事を知っているのはこの場に集う者達だけ…では、貴方は何処で知ったのでしょうか?」


 マルクスはそう言いながら、腰のサーベルを抜く。そして刃先を向けたその時、ホーエンハイムは口角を吊り上げた。


「成程…ヴェスタニアの人達も間抜けではありませんね…が、生憎私は、大人しくこの場に留まるつもりもありませんがね!」


「っ、撃て!」


 パウエルの命令一過、従軍魔導師は一斉に攻撃魔法を放ち、しかしホーエンハイムは魔力障壁を展開させてこれを防ぐ。と同時に掌に魔力を集中させ、それをパウエル達に向ける。


「撃ってくるぞ、避けろ!」


 一同は一斉に飛びのき、直後に巨大な光の奔流が壁を貫く。その出力は常人では考えられない程のものだった。同時にカイテル達は眼鏡で隠されていた彼の双眸を見る。その目は赤く、瞳は金色に輝いていた。


「貴様、まさか魔人か…!?」


「おや、漸く気付くとは…まぁいいでしょう。私はそろそろこの場を去るつもりでしたので、軽く吹き飛ばしてから、消えると致しましょう」


 直後、彼の周囲に複数の魔法陣が浮かび上がり、そして幾つもの光の槍が放たれる。魔導師や兵士達は魔力障壁と魔法具による防壁で防ごうとしたが、光は障壁もろとも貫き、直撃を食らった者は火だるまになって倒れていく。


「障壁と防壁を貫通する、だと…!?」


「くそ、何て野郎だ…!」


 ザイドリッツとパウエルが睨みながら呟く中、ホーエンハイムは壁に開けた穴に向かって歩み出す。そしてその場から立ち去ろうとしたその時、幾つもの氷の槍が飛び込んできた。


・・・


 この日、私達はオルトの実家であるレストラン『白樺亭』に向かっていた。なんでも新作のスイーツが完成したらしく、それをご馳走になろうと思っていたからだ。それにしても、バスや馬車を使って移動しているから実感は薄かったけど、ボーンシュタットって凄い広いのね。


「アルの家って、確か貴族街と平民街の間にあるのよね。やっぱり爵位を持っていないから?」


「ああ。親父は国に縛られる事無く、全ての世界にあまねく魔法を広める事を重視しているからな。俺の政治利用に対して鋭く神経を尖らせていたのもそれが理由だ」


 成程ね…。とアルの説明に納得していると、一つの巨大な建物に辿り着く。市街地の郊外にこんな巨大な施設があるのは初めて見た。


「ヴィル、ここは何なの?」


「ここは警邏局本部だ。ボーンシュタットの治安維持を主任務とする関係上、市街地の外縁部にある方が色々と便利だからな」


 ヴィルはそう説明しながら、高い壁を見上げる。とその時、壁の向こうに禍々しい魔力と、どす黒い感情が蠢いているのに気付く。それはアルも同様だった。


 直後、目前の壁面が一瞬で砕け、光の奔流がそのまま噴き出る。私は氷の壁を張って防御し、アルも同様に自作の魔法具で破片を防ぐ。


「な、なんだ…!?」


「いきなり壁が…!」


 ヴィル達が腰を抜かしていると、私は壁の向こうから殺気を感じ取る。そして同時に空中に氷の槍を多数展開。煙を突き破る様に壁穴の向こうへ投射した。


 氷の槍は土埃を引き裂き、そして球形の魔力障壁に弾かれる。そして私達が穴の中に入ると、見た事のある顔があった。


「おや、お久しぶりですね、アナスタシア殿下。それにヴィルヘルム王子」


「アレは…」


「間違いない、マクシミリアン・ホーエンハイムだ…!」


 ヴィルは呟く。例のカールをスカウトしたという中等学院の教師か。とその時、室内にいた男が声を上げる。


「殿下、お逃げ下さい!奴は魔人騒動の首謀者です!しかも奴自身が魔人です!」


「…!?」


 その言葉に、皆は驚く。否、私とアル以外が驚いた。眼鏡で隠されていた双眸は金の瞳に赤い目であり、あの時のカールと同じ目をしている。そして魔力とともにあふれ出ている悪意。


「―成程、ならば話は早いわね」


 私は即座に拳銃を取り出し、射撃。相手は障壁を張って弾いたが、間髪入れずにカタナ・メーチで斬撃を飛ばす。それを見た相手は驚くも、即座に空中に飛び上がり、そのまま浮き上がる。


「流石は北の軍事大国セヴェリアの皇女。戦士としての力は本物ですか。貴方がヴェスタニア人として私の下で教えを乞うていれば、面白い結果となりそうでしたが…残念ですよ」


「調子のいい事を言える余裕がある様ね…アル、挟み込むわよ!」


「…ああ!」


 私とアルは即座に地面を蹴り、私は風魔法で自身の身体を空中に浮かべ、アルは複数の火球を飛ばして動きを封じる。ホーエンハイムは相手も飛んできた事に驚いているが、生憎魔法具で魔法を使った飛び方は嫌と言う程に教え込まれているのよ!


発射アゴイ!」


「逃がすか!」


 私とアルは相手を挟み込む様に位置取り、ホーエンハイムに集中攻撃を叩き込む。魔力障壁の出力は桁違いだが、連続で強力な攻撃を叩き込めば、いずれは飽和を起こして低下する。これには相手も目を見張った。


「これはこれは…ただ人ではここまで強大な魔法を使いこなす事は出来ますまい。付け焼刃に等しい強化とはいえ、魔人に改造したカールを倒すのも頷けます」


「はっ、気味悪いお世辞を言う暇、直ぐに無くしてあげるわ!」


 と同時に私は氷の槍を幾つも叩き込みながら、天井にもいくつか穴を開ける。それを見たアルは、即座に理解した様だ。


「ふむ…流石は、実力で『双頭の鷲』に入った高等魔法学院の優等生…弾幕も申し分ない。ですが、それで私を倒せるとでも―」


「―ああ。すでに手筈は整えてるんだよ」


 そう、アルはすでに穴を開けた天井へ、魔力のレンズを展開。太陽光を凝集し終えていた。


「撃て!」


 アルの手が大きく振り下ろされ、大量の光の槍がホーエンハイムへ降り注ぐ。それは一瞬で相手の障壁を削り切り、そして大爆発を起こした。煙が消えた時にはホーエンハイムの姿はなく、魔力反応もその場から消えていた。


「やったか…まさか、この前の光の話が、ここで活きるとはね」


「しかし、いつの間にか恐ろしい存在が忍び込んでいたなんて…」


 私は地面に降りつつ、アルと話す。そして先程まで戦場となっていた場所を見回す。至る所に黒焦げの死体が散らばっており、何が起きていたのかを直ぐに理解する事が出来た。


・・・


 市街地の遥か外、そこに数人の人影があった。


「大丈夫ですか、ホーエンハイム様」


「何とか、ね…しかし、恐ろしい者が二人もいたものですよ」


 自身に治癒魔法を低出力でかけるホーエンハイムはそう呟きながら、何とか立ち上がる。その目前に立つ、白衣姿の男は唸る。


「…アルトゥル・ポーターとアナスタシア・リニスク、ですか…確かに、あの二人は脅威的です。我らの計画にも大きな修正が必要となるやもしれません」


「であれば、それに応じた戦力を用意するまでの事です。貴方達『アルセナル』には期待しておりますよ」


 ホーエンハイムはそう言い、そしてその場から姿を消した。

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