第3話 西の大国ヴェスタニア
大陸暦1568年3月22日 ヴェスタニア王国首都ボーンシュタット
リニスクの港から船に揺られて10日。そこから鉄道で向かう事2日が経ち、私はヴェスタニア首都ボーンシュタットに到着していた。
「しかし、鉄道さまさまだわ。こうして馬車よりも早く移動できるって言うんだから…父上には本当に頭が上がらないわ」
ボーンシュタット西部のターミナル駅のホームで、私はそう呟きながら背を伸ばす。国交締結直後、セヴェリアはヴェスタニアに対して自動車と鉄道を販売。中でも有力商人が立ち上げたセントラル鉄道会社は、首都ボーンシュタットと北西の港湾都市フリードリヒスハフェンを結ぶ700キロメートルの路線と、近隣の街を繋ぐバス路線の経営で財を成していた。
1両の蒸気機関車によって牽引される8両の客車と3両の貨車の12両編制は320名の乗客と6トンの貨物を時速60キロメートルで運ぶ能力を持ち、これまで馬車や河川の船舶に依存していたヴェスタニアの物流を大きく変えた。馬車40台分運べるものが一日30本も走っているのだ、流通量が増えた事で市内のパンの値段が大幅に下落したという。
駅を出て、御付きの人とともに迎えの馬車に乗る。市街地ではすでに自動車が走っているが、タクシーは主に平民の市内移動手段だし、バスは都市間を結ぶ交通手段。市街地で貴族や相応の立場にある者は昔ながらの手段で移動する事が一般的だった。
それから10分後、私は大使館の隣にある留学生用アパートメントに到着する。留学の期間中、私はこのアパートメントで暮らす事となるのだが、父曰く魔法である程度の事は出来るという。まさか水道や照明に魔法が使われているとは、私も驚くばかりだったわ。
そうして荷物を降ろし、市街地の観光に乗り出す。ヴェスタニアの通貨は基本的には硬貨のみで、金貨・銀貨・銅貨の3種類。セヴェリアも昔は貝や織物が通貨として使われていたそうで、国内産業とともに金融業が発展し、商売で取り扱う金額が増大した今では硬貨だけでなく、中央銀行の発行する紙幣も用いられている。ここヴェスタニアでもセヴェリアや周辺国との貿易促進で紙幣の必要性が高まり、近々採用する動きがあるらしい。
そうして貨幣で名物のソーセージの串焼きや、パンとハム、野菜のサンドイッチなどを買い、市街地の商店街を見回っていると、不意に後ろから声がかけられる。振り向くとそこには、黒髪の同年代と思しき青年の姿があった。
「おや、お嬢さん。観光かい?」
「ええ、そうよ。ここの高等魔法学院に通うために来たから、知っておきたくてね。貴方は?」
「俺も同じ理由。名前を聞いてもいいかな?もしかしたら同級生になるかもしれないしさ」
そう語る青年は、紫がかった目を向けながら尋ねる。私は問題にならない程度に素直に答えた。
「私はアナスタシア。セヴェリアからの留学生よ」
「へえ、セヴェリアというと、『東の狼の国』の、か…俺の名はアルトゥル、アルって呼んでくれ。平民だが凄い魔術師の家に生まれてな。ここに来たのはつい最近なんだ」
「そう…ん?あれは…」
道路を歩きながら話を交わしていると、ふいに劇場が目に入ってきた。看板のタイトルに目を向けると、そこには『賢者アルバートと導師エヴァの物語』なるタイトルが振られている。どうやら舞台がやっている様で、入口には長蛇の列が出来上がっている。
中等学院の頃、両親とともに劇場の舞台で見た事がある。父が必死にセヴェリアの基本を作り上げていた頃、西方諸国は恐るべき敵と対峙していたという。ある魔法の研究に失敗した魔導師が怪物となり果て、大勢の人々を殺した話。その怪物の暴走を止めるために、かつて友人だった二人の魔導師がこの国の王子、現ヴェスタニア国王と共に怪物を倒した物語は、今ではセヴェリアやここヴェスタニアでも、テレビドラマとして放送されている。
その隣の劇場では、もう一つの舞台がやっている。それは『狼王ティムジン』。言うまでもなく父のセヴェリア建国までの人生を題材にしたもので、祖国の太祖が遠い国でこうやって英雄として知られる事には様々な感情が沸き立つものの、やはり嬉しさが一番だった。
「懐かしいな…久々に観てみようかしら」
「そ、そう…ん?」
アルが不思議にも顔を引きつらせながら答えると、路地裏で何やら騒ぎ声が聞こえてくる。顔を覗かせるとそこでは、三人の男達が二人の少女を囲い込んでいた。
「おいおい、俺達と一緒に遊ぼうぜ~?」
「俺達はな、この街でもそこそこ名の売れてる魔物ハンターなんだよ。金ならたんまり出すぜ?」
「いや、どっか行って!」
祖国ではめったに見られない…というか軍だったら間違いなく首晒しにされるであろう狼藉を前に、私は顔を歪める。とその時、アルが彼らに歩み寄った。
「あー、そこのお嬢さん方、お困りですか?」
「はい、凄いお困りです!」
赤毛の少女がはっきりと答え、私は小さくため息をつきながら彼の後ろに歩み寄る。幼い頃に父に仕込まれた索敵魔法で、密かに付いてきている衛兵の存在は察知している。いざとなれば念話で救援を頼めるだろうが、その後がやり辛くなる。
まぁそんな事になっても、二人の少女を助けられるのならそれでもいいかと考えてると、男の一人が剣を片手にアルに詰め寄る。
「なんだぁ、餓鬼が?俺達は魔物ハンターでよう、コイツらを守ってやってる立場なんだよ!ただの餓鬼が正義の味方気取りしてんじゃねえぞ!」
「女の子までも狩るのは悪者の悪行としか思えないけどね」
私の呟きに、ついに男達は顔を真っ赤にする。となれば次のパターンは―。
「んだと、このアマぁ!」
拳が振り下ろされ、しかし私の目から見れば、魔物と化した灰色熊のそれより圧倒的に遅く見えた。もう一人の母が私の目は父のそれを受け継いでいるという訳だ。
瞬時に相手の腕を取り、そのまま石畳の路面へ投げ飛ばす。剣を振り下ろしてきた男の斬撃も難なく躱し、そして股間を蹴り上げてから肘鉄で道路へ叩きつけた。この男達は目が覚めた頃には、大使館の別所で駐在武官とボーンシュタット市警の警官からこってり搾り取られるだろう。
あと二人をどうするか瞬時に考えていると、アルがあっと言う間に投げ飛ばし、完璧に叩きのめしていた。私もそうだけど、彼も魔導師を目指しているにしては随分と武術も行けるクチじゃないの。
「おお、流石。親から護身術を教わってて助かったわ」
「アナスタシアさんも、随分とお上手な事で…」
そう話していると、助けられた二人の少女が近寄って来る。片方は赤毛のセミロングが印象的な少女で、もう片方は白みがかった金髪のロングヘアをした、青い瞳を持つ少女だった。二人は小さく頭を下げ、私達に感謝を述べてきた。
「あ、ありがとうございます…散歩していたら、突然絡まれまして…」
「そう…ここで立ち話もあれだから、お茶でも飲みながら話を聞こう」
そう言って四人は、市内にあるカフェへ向かう。そして私達は店員さんに、それぞれ飲み物を頼んだ。
大陸の西方諸国でカカオやコーヒーという植物の種を煎って粉にしたものから作る、お茶にちかい飲み物が飲まれる様になったのはここ最近の事らしい。西方諸国の南側、海を挟んだ先にある大国ミスルから伝わったこの飲み物は、セヴェリア東部が原産の緑茶とともに西方諸国の食文化に大きな衝撃と影響をもたらしていた。
これまで飲み物というのは水と白湯とジュース、そして酒ぐらいしかなかったところに、加工した葉や豆を煮だして淹れたものが嗜好品として入ってきたんだ。しかもセヴェリアが鋼鉄製の船を開発して以降は、海上貿易で覇を競い合っていたサクソニア連合王国とイスパニア王国、そしてミスルが競い合う様に我が国に商船を発注し、西や南、そして東へと航路を伸ばしてきている。サクソニアとイスパニアはともかく、ミスルはどうやって我が国の事を知ったのやら。
「あーもー、市街の外だったら魔法でおもいっきりぶっ飛ばせるのに!あ、自己紹介がまだだったね。私の名前はエーリカ。よろしくね!で、こっちはヒルダ」
「ヒルデガルドと言います。よろしくお願いします」
赤毛の少女はエーリカといい、金髪の少女はヒルデガルドという。それに『魔法』の単語が出てきたという事は、恐らく魔導師か、それを目指している者だろう。
「私の名前はアナスタシア。アナと呼んでね。二人も高等魔法学院を目指しているの?」
「ええ、そうよ。それにしても、お嬢様って感じの見た目なのに体術が得意なのね。それに髪と目も印象的だし」
「確かに…髪は凄く白くて、目も青くて、まるで犬みたいな…」
「彼女、セヴェリアから来た留学生なんだって。彼女も高等魔法学院の入学を目指しているんだって」
アルがそう説明すると、エーリカがブドウジュースを飲みながら言い始める。
「そうなんだ、珍しいね。珍しいと言えば、今賢者様と導師様が王都に来ているそうよ。しかも今年は、そのお二方の息子さんが入試を受けるらしいわよ。さぞかしアルバート様に似て立派なお方なんでしょうね」
その話は小耳に挟んだ事がある。24年前に魔物と化した魔導師を倒し、この国の英雄となった賢者アルバート・ポーターと導師エヴァ・ポーター夫妻は、一人の娘を授かり、その子は今は王国軍魔導師団で活躍しているという。だがもう一人子供がいたなんて聞いた事が無かった。
と、不意にアルが席を立ち、領収書を手にする。その表情は何故か気まずそうだった。
「ごめん、俺はそろそろここいらで失礼させてもらうよ。お代は俺が代わりに払っておくから」
そう言って、立ち去ってしまった。すると、エーリカが私に話しかけてきた。
「ねえねえ、アナ!貴方の生まれた国についてもっと教えてくれる?私達、本で聞いた事はあってもどういう国なのかは知らないのよ」
現在、ヴェスタニアの人がセヴェリアに行くためには特殊なビザを取得して船で行くしかない。というのも間のブラウアドラーとコサキアが陸路での往復を厳禁としているからだ。そしてこの船旅にかかる旅費が、下手な貴族だと一生を賭ける程のものになるのだ。
「分かったわ。せっかくだし、ゆっくりとお話しましょう?」
そして私は、二人に祖国の事について話し、そして高等魔導学院での再会を誓って別れたのだった。
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