第2話 北国の皇女
母が父を初めて見た時の印象は、武人とは思えない程優しそうに見えたという。
実際父は、怒る時はしっかりと叱るけど、褒める時は随分と嬉しそうに褒めてくれる。大臣や学者の人達とも対等に接し、身分に拘らずに会話を弾ませるその姿は王族のイメージからはかなりかけ離れているという。
でも、いざ戦争が起きた時、父は陣頭に立って軍を指揮した。災害が起きた時にも二人の母と兄弟達を心配しながら閣僚達に指示を飛ばし、大勢の民のために奮戦した。その時の父の姿は英雄そのものだった。
幼い頃、私は病気がちで寝込んでばかりだった母の代わりに、もう一人の母からよく御伽噺を聞いて育ってきた。狼の耳と尾を持つ狼人族は遥か遠い世界から渡り歩いてきた者達の子孫で、昔から自然を愛し、自然を用いた魔法で素朴な暮らしを送ってきたという。その際、私はよくもう一人の母と話したものだ。
「貴方の髪は、まるで雪の様に白いわね。狼人ではその髪の色を
「でもわたしには、ちちうえみたいなおみみもしっぽもないよ?」
「それでも貴方には、狼人の
私が目指すべき姿は、自然と決まった。先ずは父の先祖達の使っていた魔術と、今の父達が用いる魔法について調べた。魔法に頼らない生活が当たり前になった今でも、魔法は農村とかで使われている。それに父は趣味で、生まれ故郷であるウラブの山で野宿する事があり、私もそれに参加した。父は魔法で明かりを灯し、水を汲み上げ、火を調整して湯を沸かすのが得意だった。
歴史の教科書では、父はこのお茶を淹れるための複数の魔法の組み合わせから『蒸気機関』の発想を得たと聞いている。でも父はテントの中で、色々な事を教えてくれた。
「狼人族の御伽噺を覚えているかい、アナ?実は俺は、狼人族の御先祖様の様に、遥か遠い世界から生まれ変わってきたんだ。昔話では生き物は死んだら別の生き物に生まれ変わると伝えているけど、それは本当の事だと思う。俺自身がかつて、狼の耳も尾も持たない人間だったんだから」
「ちちうえ、ヴォルクスキーじゃなかったの?」
「遥か昔は、ね。俺がかつて生きていた世界は、魔法なんて便利なものは無かった。その代わりに、自然そのものを家畜の様に使いこなす文明があった。その文明が生み出した知恵を俺は知っている。それを魔法で再現したりして、この国を大きくしていったんだよ」
そう語って、父は「この事は家族以外には誰にも教えないでね」と口止めをした。確かに父の言う昔話は、西方の国々では『間違った考え』だとされているもので、学校には西方の神様を信じる子も多かったから言いふらす事はしなかった。宗派の異なりでいじめが起きているところも多く見ていたのも大きかった。
そうして初等学校を卒業し、中等学院に入る頃には、私は武器の使い方を父や父の友人達から学んだ。父がサーベルに替わる軍刀として考案した『カタナ・メーチ』の片刃剣と、トーラ工房で製造されたリボルバー式拳銃を15歳のプレゼントで受け取った日には、私は随分と喜んだものだ。
そうして学業と武芸の両方をしっかりと鍛錬し、身に付けた頃には、私は16歳を迎えようとしていた。
・・・
大陸暦1568年/国暦28年2月22日 セヴェリア帝国首都リニスク
ネルバ川の河口に広がる平野に築かれた港湾都市リニスク。この地を実際に統治するのは市民の選挙で選ばれた市長だけど、形式的には『リニスク公爵家』から委任を受けて行政を統括する形を取っている。私の母、ソフィア・ウラヴァ・リニスクを初代当主とするリニスク公爵家の邸宅は、市街地に隣接する位置にある城塞、リニスク城とされている。
そしてこの日、私、アナスタシア・ウラヴァ・リニスクは城内の執務室で、父に話をした。
「父上。私、ヴェスタニアの国立魔法学院に留学するわ」
その言葉に、父は耳をぴんと立て、目を丸くした。
「ヴェスタニア…というと、国立高等魔法学院か?これはまた、どうしてだい?」
「父上、私は以前から西方の魔法に興味がありました。確かに我が国の文明は素晴らしいですが、それだけに全く異なる文明も知ってみたいのです」
ヴェスタニア王国とは、コサキア王国にブラウアドラー帝国を隔てた先にある国の事で、大陸西方でも優れた魔法文明を成しているとして有名だった。今から10年前にセヴェリアは船で使節団を派遣し、国交を締結。現在は主に船舶による貿易で交流を進めているが、父は元々コサキアやブラウアドラーよりも進んだ魔法に興味を持っていた。当然私も同様に。
「父上、高等教育を学ぶ場は自分で選んでよいと仰っておりましたよね?ですので私も自分で選んでみたのです。駄目でしょうか?」
「…いや、まさかアナが積極的に、国の外に興味を示してくれるとは意外過ぎて…正直驚くばかりだよ」
父はそう言いながら目を細め、にこやかに笑う。科学技術や産業の面でセヴェリアは先を進んでいるが、それ以外の文化や芸術、それらを資源として活かせる観光業といった部分では他国の後塵を拝している。故に西方の進んだ魔法によってもたらされる豊かな文化を取り入れるべく、国交締結直後から留学生を送り込んでいた。
その成果として、娯楽産業の発展がある。軍事通信システムとして開発されていた映像通信が民間に開示され、テレビジョンとして普及し始めると、魔法も用いて撮影される特殊撮影技術によるドラマやアニメーションが、最先端の紙芝居ないし歌劇としてもてはやされている。しかし私が目指すのはそういったところではない。
「…でもいいのかい?国立高等魔法学院は主に、ヴェスタニアの閣僚や軍人を育成する学校だ。我が国でも女性の役人や軍人は珍しくないが、わざわざ外で学ぶのか?」
「ええ。我が国とその他の国で、どの様な違いがあるのかを知りたいのです。殆ど私自身の興味ですわ」
理由を話し、父は聞いて呆気に取られる。流石に断られるかと思ったが、父は私の肩を優しく叩いた。
「…分かった。それ程までに自信があるのなら認めよう。言っておくが、あの国で縁故主義は通用しないと思ってくれ。まぁ…我が国も似た様なものだがな」
「…ありがとうございます、父上」
私は礼をし、ご機嫌な様子で部屋を後にしていった。この事は同級生達から随分と驚かれたが、それでも私の決断とこの先の努力を応援してくれた。
そして私は3月上旬に中等学院を卒業し、私は港で家族や親友達に見送られながら、船でヴェスタニアへ向かい始めたのだった。
・・・
「しかし、まさかアナが外の世界、それも『西』の国に興味を持つとはな…」
リニスク城宮殿区画の応接室で、俺はお茶を飲みながら二人の妻と四人の子供達と話す。テーブルの上にはクッキーやスコーンが並べられ、娘達は野イチゴやブルーベリーのジャムをつけて味わっている。
狼人族が西や南の国々と貿易で交流する様になって得ていった文化に、『フィーカ』というものがある。大陸の東部、温暖湿潤な地域では葉を乾燥させて砕いたものを湯で煮出した、いわゆるお茶を飲む風習がある。さらに南の大国ミスルでは、未だに西方諸国が接触出来ていない未知の大陸からもたらされたという、カカオ豆やコーヒー豆を原料とした飲み物が常飲されており、我が国も高性能な機械製品に木材と交換する形で入手している。
「あの子は元々新しいもの好きでしたからね…それに、気ままに過ごしていた時期も長いですから。それに、アナはもちろんの事、ヴェスタニアの方々にとっても私達の国を良く知る機会となります」
ソフィアの言葉に、俺は「確かに」と頷く。周辺国を見下しきっているブラウアドラー帝国や、我が国を不倶戴天の天敵とみなすコサキアの妨害は西方諸国との本格的な交流を阻害している。そのため我が国の留学生は非常に少なく、知名度はまだ低いのが実情だった。
「ともあれ、アナが我が国とヴェスタニアの友好の懸け橋になってくれる事を祈るしかない」
「そうですわね…元々他者と触れ合う事が好きな娘でしたから、その辺りに関しましては不安はありませんけれども…」
「…大使館からの連絡では、入学式が行われるのは4月の初めだという。俺は一応その日までにヴェスタニアに着いている様にしなければならない。為政者として、親としてやらねばならぬ事が山積みだな」
俺は苦笑しながら言い、妻達も同様の表情を浮かべるのだった。
・・・
セヴェリアより遥か西、その山中で二人の男が対峙する。その手にはカバンが一つ。
「試験は、大分進んでいる様だな。ダルマチアもこの計画を手伝ってくれているのが幸いしたな」
「ええ。セヴェリアはその高い軍事力でただの駄犬の群れに過ぎなかった部族を一つの民族、一つの国家にまとめ上げました。そしてこの国が西方を一つにまとめるには、鞭としても使える強靭な紐が必要となります」
「ああ…我らが王の目指す計画が成就するのも、もう間もなくだ」
二人はそう話を交わしながら、その手に持つカバンを交換しあった。
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