最終話:不死者

 サキたち三人を乗せたパワークラフトは敵性国家大江戸の潜水母艦の左右に開いた甲板から格納庫に着艦した。


 パワークラフトのエンジンは自動的に回転数を高め三十五秒排気――そして切れた。外部モニタ群がシャットダウンする。パワークラフトに照り付ける潮風にけぶる太陽がまぶしい。


 サキはハンドルを回し、上部ハッチをはね上げる。殆んど同時に女性軍人と女性警官が後部ハッチのドアを開けた。ブラストライフルを構え接近してくる敵がいないか見張る。


 かなりの沖合にいるのか海辺の匂い、磯臭いオゾン臭は無かった。


 三十メートル程離れた所に先に着艦した戦闘型パワークラフトが駐機しているのが見えた。乗降用ドアが開いている。箭多巴と裏切った男性軍人が乗っていたはずだ。


 サキは格納庫の奥、船尾の方向に影を認めた。黒一色の戦闘用ロボット――昆虫の様な六本足にブラストライフルが付けられたそれ――が三体いる。箭多巴ともう一人がそちらに走っていくのが見えた。


「箭多巴!」サキはライフルを発砲する。弾丸は外れた。


「射撃!射撃!射撃!」巴が怒鳴るのがかすかに聞こえた。ロボットたちがぎこちなく動き出す。


 左右に展開したロボットたちは腕に付いたブラストライフルを発砲しながら前進してくる。


 サキたち三人は落ち着いて応射を始めた。


 弾幕というほど火線の密度は高くない。


 ロボットの相手は二人に任せてサキは巴たちを狙う。巴たちは一人が援護射撃をしている間に一人が走り、射撃と逃走の役割を入れ替えながら逃げていく。


 サキは二人をゆっくり狙う事は出来なかった。ロボットの一体がサキを狙っていた為だ。ハッチの扉を盾にセミオートで射撃する。


 ロボットの内二体が倒された。残りは脚を撃ち抜かれ動けずに射撃だけを続ける。


 数分後にはロボットは全滅した。その間に巴たちは逃走に成功している。


「追うわ!」サキは二人に声を掛ける。


 パワークラフトから降りたサキたちは三点防御隊形をとりながら、小走りに巴たちの消えた船尾方向に向かう。


 破壊されたロボットの残骸が火花を散らしていた。


「艦橋に戦闘指揮所(CIC)が有るはず。そこに行けばパワークラフトの電子ロックも解除できるかもしれない。急ぎましょう」女性軍人が言った。


 海に潜られたら脱出は不可能だ――サキはそれを想像して思わず冷汗が流れるのを感じた。


 パワークラフトは海上はともかく、水中で活動するようには作られていない。それどころか甲板を閉じられただけでも脱出できないだろう。


 頭上が陰った。まさか――しかし杞憂だった。分厚い雲が太陽を遮っただけだった。


 左右を警戒しつつ母艦内に侵入する。


 携帯端末の緊急通報は既に作動させた――AIヘリが迎えに来てくれるはずだが間に合ってくれるか。


 必ず帰る――サキは恋人シキと娘アイの顔を思い浮かべ、ブラストライフルの銃把を握りしめた。


*   *   *


 大江戸防衛軍少佐箭多巴と裏切った軍人は一散に艦橋を目指していた。


「全く、上手くいかないわね」巴は事前に渡された強奪プログラムの不備と、己の詰めの甘さに歯噛みする。


 パワークラフト強奪の際、全員を昏倒させたと思ったちょうどその時格納庫に警報が鳴り響いた。


 巴はうっかり携帯端末のロックを解除せずに端末を没収しようとしてしまったのだ。


 その為、三人に簡易的な武装解除と拘束を施す事しかできず、立ち直る事を許してしまった。


 相棒、桜井ユキはまだ到着していない。彼女を収容したらすぐにでも母艦を潜水させ、逃げ場を無くしてから七瀬サキたちを無力化して大江戸まで連行するつもりだった。


 腕に付いた携帯端末に呼び掛け、CICまでの艦内地図を脳内に映し出す。


 戦闘ロボットと違い艦の制御権は中枢コンピュータに声紋を認識させないと移譲されない。シージャックの危険性を避ける為だ。安全性を担保する為だったが今の巴には障害でしかない。


 CICまでタラップを登り、必死に走る。サキたちとはさほど距離は開いていない。この瞬間にも撃たれるかもしれない――愉しむ余裕は無かった。


 サキたちを裏切った軍人は義体化率で巴に及ばなかった。生身の部分も鍛えた肉体だったが息が切れそうになる。


「先に行け。俺はここで奴らを食い止める」


「武運を」巴は答礼すると走り出した。一気に加速する。巴はズームアップしたカメラに戦闘指揮所(CIC)の文字が映るのをはっきりと見た――。


*   *   *


遡ること数時間前。


箭多巴の愛人兼連絡役将校、桜井ユキ少佐は大江戸大使館の手配したヘリコプター、民間用のそれに乗り込んだ。


 市壁――遮光ドームのどん詰まりで着地して電子パスポートを見せる。パイロットも免許と大江戸大使館の身分証を見せた。 


 ヘリは滑走して市壁を潜り抜け、空に舞い上がった。


 しばらく旋回待機が続いた。


 一時間も飛んでいたろうか、見下ろした門の周りで光が散るのが見えた。爆発炎がキャノピを照らす。爆炎を切り裂いてパワークラフトが飛び出してきた。二台だ。作戦通りにいったなら、純戦闘用に巴が、兵員輸送用には七瀬サキが乗っているはずだ。


 眼下のパワークラフトは見る間に速度を上げていく。ヘリの最高速度は時速550キロ、対してパワークラフトは音速を超える。速度勝負は出来なかった。


 通信管制が引かれているため、巴と直接話す事は出来ない。後を追ってユキを乗せたヘリは苫小牧に向かう。


 三十分ほど飛んだところで、大江戸の潜水母艦が浮上しているのが見えた。パイロットは指示を出される前に母艦に機首を向ける。開いた甲板に格納庫が見えている。大江戸のパワークラフト以外に、明らかに形状の違う札幌の最新鋭パワークラフトが着艦していた。


 潜水母艦の甲板上でホバリングしたヘリからユキは飛び降りると艦橋の有る方へと歩き出した。


 ヘリが離れていく。


 転がったロボットの残骸に、まずいことが起きていると直感する。


「待ってて、巴――」ユキはヒップホルスターに吊っている拳銃を抜くとスライドを引いて薬室に弾丸を装填する。


*   *   *


 巴はCICの電子錠に携帯端末の軍IDを認識させて駆け込むと、艦中枢コンピュータに所属と軍ID、そしてあらかじめ紙で渡されたパスワードを入力する。


 自動で閉じた扉の向こうから銃撃戦の音が聞こえてきた。


 ユキが着艦した事を定点カメラの録画で知る。


「イザナミ――潜航しなさい。目的地は大江戸軍港」


「大江戸海軍軍令165条に従い艦長権限を貴女に委譲します。了解です。箭多巴少佐。可及的速やかに潜航します。目的地は大江戸軍港。目的地は大江戸軍港」


 AIは簡潔に応える。


*   *   *


 迷路のような艦内で、サキたちは何とか巴たちを追っていた。


 姿は見えないが、鉄の階段を駆け上る足音がかすかに聞こえてくる。


 階段から頭をのぞかせたサキは弾丸が近くを掠めたのに気付くと同時に身体を隠しながら頭上に構えたブラストライフルを発砲する。連射した。押し殺した呻き声が聞こえる。


 発砲が止んだ。サキはライフルの弾倉が空になったのを知ると、ライフルを置いてなじんだブラスターを抜いた。ブラスターの電子カメラで通路の奥を見る。ブラストライフルを取り落として肩を抱えている男が見えた――裏切った軍人だ。


 反撃できる力を残しているかもしれない。


 その時、艦内に緊急警報が流れた。


「警告!警告!緊急潜航。緊急潜航。緊急潜航。甲板員は直ちに艦内に退避。本艦はただいまより十分後に深度二百メートルへと潜航します。繰り返します。甲板員は直ちに艦内に退避。警告!警告!――本艦は十分後に――」


 警報が鳴る。地鳴りのような音が響く。開いた甲板が閉じようとしている。


「急いで!」女性軍人が飛び出した。サキたちも続く。


 裏切り者の男性軍人は絶命していた。


 CICの扉は施錠されていた。警報は鳴りやまない。電子錠を女性軍人が撃つが、ロックは解除されなかった。


 女性軍人は全弾を電子錠に叩き込む。しかし、扉は反応しない。


「扉を撃って!」女性軍人は喚く。


「駄目、私のライフルは弾切れよ――通常弾では」女性警官が答えた。


 サキは扉の向こうに巴がいることをブラスターのサーマルカメラで捉えていた。全身義体の人間でも脳は一定の温度に保たなければ死は免れない。脳に回る血流の温度を保たないといけないのだ。


「待って――今、扉ごと箭多巴を撃つから」ブラスターの弾倉に徹甲弾を装填すると、サーマルカメラで赤く表示された人型の頭部に狙いを定める。扉にブラスターを密着させ、カメラと照準を合わせた。


 発砲。三点射。サーマルカメラで敵の頭部が弾け飛んだのを確認した。残弾全てで扉を撃つ。扉は半壊した。


 手を差し込んで無理矢理扉をこじ開ける。


 CICの中は薄暗かった。サキはブラスターを構えながら室内に入る。女性警官が次、女性軍人は拳銃を抜いて後ろを警戒していた。


 箭多巴の頭部は粉微塵に吹き飛んでいた。首から皮が垂れ下がっている。即死だった。


 潜航を中止させようとコンソールを叩くが、一切反応は無い。


「あと三分で潜航を開始します。あと三分で――」


 艦内図を示すディスプレイを女性軍人は睨んでいた。


 サキたちは甲板が閉まるズシンという重低音を聞いた。


「間に合わない」


「サキ、ブラスターのガンカメラで艦内図を撮影して」


「良いけど――どうするの」


「脱出できるかもしれない」


「新手よ――撃ってくる!」女性軍人に代わって後ろを警戒していた女性警官が叫ぶ。


 銃撃音が響いた。拳銃で応射する。


「逃げるわ」女性軍人が反対側の出入り口に走る。サキたちは後方へと後退しつつ発砲した。


 女性軍人は迷うことなく艦上部へと向かった。パワークラフトのある方向と正反対だ。


 艦が傾斜した。低いうねりが身体を揺らす。


「潜航。潜航」波が艦体を叩く。一際大きな音がした後、静寂が艦を包んだ。艦内照明が赤い非常灯に切り替わった。


 潜水母艦は石の様に沈んでいく。


「ここは――」サキは驚きを隠せない。女性軍人は救命艇の有る区画へと向かっていたのだ。


「潜水艦なら浮上不能になった時に乗員を脱出させる為の救命艇を積んでるはずだと思ったの。当たりだったわね。パワークラフトを諦めるのは残念だけど」


「現在深度百メートル。両舷全速。深度百五十――深度二百。水平航行」照明が通常のものに切り替わる。


 サキたちは救命艇の一つに乗り込むと、手動でハッチを閉め、爆発ボルトで母艦から切り離した。


 救難信号を発しながら、救命艇は放たれた矢の様に海面へと向かった。


*   *   *


「巴――」大江戸防衛軍少佐桜井ユキはCICの床に横たわる恋人の遺骸を抱き締めた。紙一重の差で、間に合わなかった。


 ユキは神を呪う。


「巴、巴、巴――」涙が流れるのさえ意識していなかった。単なる仕事のパートナー、性欲解消の道具でしかないと思っていたはずなのに、いつの間にか心の中で大きな存在になっていた。


「赦さない――」ユキはいつまでも巴を抱いたまま泣き続けた。


*   *   *


 二日後、ユキは大江戸に帰り着いた。宿敵札幌から最新兵器を見事強奪した英雄としてメディアからも一般人からも引っ張りだこだった。


 だが巴の事は最初から居なかったかの如く、無視された。ユキも箝口令かんこうれいを引かれ、巴については一切他言無用を強制された。


 ユキは将校用住居に閉じこもり、中佐への昇進式にも出なかった。


 一カ月近くもそんな日を過ごしたある日、信じられない再会がユキを待っていたのだった。


*   *   *


「来客です」AIが訪問客がいることを告げる。黒塗りの高級車が宿舎前に止まっていた。見るだけでどんな権力者が乗っているか判断できた。大江戸でも限られた超がつく上流市民だろう。


 後部座席から和服に身を包んだ女性が降りてくる。外は雨なのだろう、傘に顔が隠れて見えなかった。一部の隙も無い着こなしだ――和服を着慣れているとユキは思った。


 脇に控えていたテーラードスーツを着た女性がインターホンを鳴らす。ユキはベッドから降りずに応えた。


「帰って下さい」


「私が相手でもそのセリフを吐くの?桜井ユキ中佐」聞き覚えのある声にユキは飛び起きた。インターホンのカメラがとらえた画像には間違いなくユキの恋人――箭多巴が映っていた。


「巴――?巴なの?」ユキは混乱と歓喜と恐怖がごたまぜになって同時に襲ってくるのを感じた。


 巴と同じ義体の別人ではないのか――頭の片隅にあった疑問が鎌首をもたげる。


 いや、間違いなく巴だ、同じ義体を使っていても人工声帯の震わせ方には個人差が出る。双子でもない限り聞き間違えるはずは無い。巴の経歴は抹消済みだったが姉妹がいるとは聞いたことが無い。


 それでも、巴が生きているとは信じられなかった。


「貴女の鼠径部にある二つの黒子ホクロに賭けても良いわ。私は箭多巴として貴女が知っていた女よ」


 ユキは寝間着のまま勢いよく玄関を開ける。似合わない和服姿の恋人がそこにいた。


彩佳さいか、私が呼ぶまで控えていて」


「かしこまりました。公子様」


 ドアが閉じると公子と呼ばれた女はユキを抱き締める。


「会いたかった――」


「本当に巴なの? 信じられない――貴女は死んだはずよ」懐かしい巴の匂いが自分を包む。


「ある意味では死んだわ。国家機密だけど貴女には教えてあげる。私が生きているのは――」


*   *   *


「遠隔操作?」札幌で賞金稼ぎを生業にする七瀬サキは箭多巴が生きていると知って少なからず衝撃を受けた。


 巴の脳は破壊され、死亡を市のコンピュータは確認したのだ。それで終わりのはずだった。


「箭多巴の本体、生身の脳と身体は大江戸の深奥で生かされてるわ。私たちが戦ったのは脳の代わりに固体情報処理素子と素粒子通信の有機送受信機を埋め込んだ人形だったの。火星にでも行かない限り通信のタイムラグは問題にならないレベルよ。まんまと一杯食わされたって訳」一緒に潜水母艦から脱出した女性警官が言う。


「それだけじゃない。箭多巴の本名は春野宮公子はるのみやきみこ、旧日本国の皇族の血を引いてる。大江戸は皇族の保護者を自認してる。春野宮公子は難病で死ぬはずだった――義体化しても命が助かるか五分五分という状況で彼女が選択したのは、自らは植物状態になって脳を外部の人形に繋いで自分の代わりにするという事だった。義体の操縦に天才的な力量を発揮した彼女を軍がスカウトしたらしいの」


「じゃあ箭多巴に殺された人の仇を討つのは――」


「事実上無理ね。本体が寿命で死ぬ日は来るでしょうから全く溜飲が下がらないという事は無いでしょうけど、とんだチートよね」


「そうなの」サキは冷めかかった合成紅茶を飲む。


 また再戦する日が来るかもしれない。できれば考えたくはないが。最悪を予想するのは自分の良い所でもあり悪い所でもある――双子の姉にして配偶者のシキにもよく言われる事だった。


「先の事を心配しても始まらないわ。生きている内に楽しみましょ」女性警官は屈託なく笑った。


「ところでそんな機密情報を私に漏らしても良かったの?」


「貴女なら心配要らないと思ったんだけど」


「それって……」


 その言葉に込められた意味に気付き、サキは紅茶を飲み損ねて、むせた。






  月虹影 運命交差 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月虹影 運命交差 ダイ大佐 / 人類解放救済戦線創立者 @Colonel_INOUE

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ