無罪――胎動
箭多巴と桜井ユキ、大江戸のスパイ二人は、告訴され軍事法廷で裁かれることになった。
通常の裁判と異なり、短期間に審理を終え判決が下される。控訴も上告も無い。一回下った判決が覆る事は無かった。
証拠は揃っている。スパイ行為が認定されれば銃殺、最低でも十年以上の懲役は免れないはずだ。七瀬サキはそう思った。
しかし、彼女等を逮捕する事に成功したサキは予想もしない未来が訪れる事を知らなかった。
* * *
「人生思う様にはいかないわね。こんな北の果てで命を終える事になるなんて」桜井ユキ少佐はぼやいた。
「まだ分からないわよ。奇跡は信じる者に起きると言うじゃない」隣の牢で義体の出力抑制装置を付けられた箭多巴少佐が慰める様に言った。
「せめて最後に貴女と愛を交わしたいものだけど」ユキは虚空――この場合は牢の天井――に視線を投げた。
「もし死刑になったら私の貴方への最後の言葉は『愛してる』にするわ」
「不吉な事言わないでって言いたいけど、今の状況なら受け入れざるを得ないわね」
「しかし見事にやられたものね。こちらの警戒をすり抜けて罠に嵌められるなんて」巴は嘆息した。
「出所不明の義体のパーツだもの。もう少し時間をかけて洗えば良かったのだろうけど、早く帰ろうとし過ぎたわね。私のミスよ」
「考えようによっては良いかもしれない。貴女と死ねるなら悪い最期じゃない」
「弁護人は頼りになりそうなの?」
「無理そう。それでもいないよりはマシよ」
巴は弁護人に自分たちに内通していた権力者に連絡を取るよう指示を書いた紙片を渡していた――上手くいくかは分からないがそれしか頼るものは無い。
ユキは自分たちを罠に掛けた首謀者――七瀬サキという名の女賞金稼ぎの情報を弁護人から聞き出し最重要注意人物として警戒しようと心に決めていた。
七瀬サキはユキの張り巡らせた網に引っかからずに自分たちを取り押さえたのだ。
コンピュータやAIの支援を受けたとしてもまず考えられない事だった。
札幌は情報処理系の技術では世界でも有数の都市だ。その事実を突き付けられた格好だった。情報処理に関しては大江戸もかなりのものだったが評価を改めなければいけないだろう。
今回の件は報告しておくべきだ。できないかも知れないが、大江戸が勝つには必要不可欠な情報だ。ユキは頭の中で報告書の案を作る。牢屋の中では他にする事も無い。
拘禁は十日に及んだ。
巴とユキの二人は照明で照らされた法廷に立つ。告訴人の七瀬サキは二人を見ても冷たい無表情のままだった。
* * *
「被告人を無罪に処す。違法行為を立証する十分な証拠が認められなかった為である」判事はそう言った。
非公開で行われた裁判で七瀬サキはその言葉を聞いた。
箭多巴――直毛の黒髪を伸ばした女だ――が笑みを深めるのを見た。桜井ユキは溜めていた息を吐いて巴を見つめる。ユキは髪を赤く染めてウルフカットにしている。もっとも二人共格好は拘禁でかなりくたびれた様子だ。
サキは思ったほどのショックは受けなかった。大江戸の内通者が裁判官を差配したと警察から聞かされていたのだ。しかし、土方とその相棒の刑事の仇を取れなかった事実は彼女の気持ちを暗いものにした。
「何か言いたい事は無いか? 告訴人七瀬サキ捜査官」判事は感情を感じさせない声で言った。
「特にありません」サキはほんの一瞬判事を睨む。巴を裁判で裁く事は失敗した。
サキは札幌の反大江戸派だけでなく大江戸の反体制派にも接触し、巴に何とか土方たちを殺した罪を償わせようとしていた。
復讐と言われても良い。何事もなかったかのように日々を送らせる事だけはさせない。仲間と娼婦たちを虫けらのように殺した相手にサキは命を奪っても構わないとさえ思っていた。
巴たちの逮捕だけでは足りなかった。罪を後悔させる。絶対に。
義体を故意に闇市場に回し巴を釣り上げる作戦は、双子の姉シキの言葉から思いついたものだ。
実行に当たっては有力者の手引きが必要だったが、特務機関のエージェントを捕まえる所まではいったのだ。時間を考えれば上々の成果と言えた。だが、足りない。
そしてこの結末か――予想し得る事では有ったが、最悪を極められた。
裁判は一時間も経たずに閉廷となった。大江戸の大使館から車がまわってくる。
重要人物待遇で巴とユキは大使館に戻った。
* * *
「大江戸にすぐには帰れない?」シャワーを浴びて制服に着替えた巴とユキは大使館で言われた言葉に耳を疑った。
口頭で報告を受けた情報部の将校は札幌の最新鋭パワークラフトを奪取すると同時に今後の憂いを取り除く為、サキを拉致せよと命令を下した。
「奪取の計画を意図的に札幌側に流す。つられて来るであろう七瀬サキを捕縛しろ。生け捕りに出来ない場合は殺しても構わん」
「七瀬サキが来なかったら?」
「その場合はパワークラフトのみで良い。だが来るはずだ」将校はニヤリと笑った。
「パワークラフトの航続距離はそんなに長くはありません。どうするのですか?」巴が尋ねる。
「沖合で潜水母艦を待たせておく。君は指定された日時に指定された座標に来ればいい」
「君? 君たちではないのですか? 私はどうすれば?」ユキも疑問を口にする。
「桜井少佐、君は先に大江戸に帰る」
「巴と離れ離れになるのはお断りしたいのですが」
「ならばヘリで母艦に行きたまえ。作戦の実施には数時間しかかからない予定だ。その位の離別が耐えられないなどという事は有るまい。パワークラフトの奪取は荒事になる。率直に言って君では力不足だ。箭多少佐の足手まといにしかならない」
ユキは軍人らしく表情を変えなかったが、わずかに手に力が入った。面と向かって役立たずと言われた事は流石に彼女の自尊心を傷つけた。
「箭多少佐の後方支援に回り給え。奪取計画の策定にも君の意見はいれる。箭多少佐を生かすも殺すも君次第だ。責任は重大だぞ。何か質問は?」
「ありません」巴とユキは敬礼した。
「解散」将校の言葉で作戦室を出て、与えられた部屋に向かう。
「迷惑な話ね」二人きりになった所で巴は愚痴る。
「七瀬サキと再戦したかったんじゃなかったの」
「兵器の奪取なんておまけがついてくるのは勘弁してほしいわ」
「そんなものなの。まあでも――」部屋に入ったユキはベッドに腰掛けた。巴も隣に腰掛ける。
「今はその事は忘れましょ」見つめ合った二人は深い口付けを交わした。
最新鋭戦闘用ホバークラフト――パワークラフト強奪作戦。〝太陽の尻尾〟作戦と名付けられたそれは巴とユキの帰還後五日で実行される事が決定された。
箭多巴と七瀬サキは三度目の戦いを交える事になったのだった。
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