――一応の決着――

 七瀬サキとホテルの警護役が睨み合っていた頃、逃走した箭多巴は内通者の手配した車に乗り込んでいた。


「無茶をなさったわね。少佐」巴と共に後席に座る連絡役の女将校が咎めた。


「三人まとめて始末できるはずだった。あの刑事、咄嗟に自分ではなく仲間を庇った。普通なら己の身を守る事を最優先にするはずなのに」巴は顔をしかめる。破壊された腕は痛くなくとも義体の間を縦横無尽に走っているケーブルが切断され、ショートする様なチリチリする感覚、神経にやすりをかけられるようなそれが脳裏を焼く。


「何はともあれまず腕の修理ね。札幌に大江戸並みに高度な義体を扱える業者はいるの?」


「こちらの息のかかったサイバネ医師はいる。闇医者だけどね。ほとぼりが冷めるまで身を隠したら大江戸に帰還した方が良いわ」有無を上せぬ口調だった。


「意趣返しはしたいところだけど」


「機会が有ればね」


 車はスムーズに加速する。巴は苦い思いと裏腹に自分に傷を負わせた敵への同朋意識、強敵に相まみえた喜びとさえ言えるそれ――に驚きながら車窓を流れるビル群を睨んだ。


 *   *   *


 一方、七瀬サキは実力を行使してでも箭多巴の手がかりを掴もうと躍起になっていた。巴の背後に大きな力が働いている事は感じていたが、だからといって退くつもりは無かった。ホテル側にしても、警察権力を完全に敵に回すつもりは無いはずだ。サキはそう踏んでいた。


 睨み合いの中、サキの携帯が鳴った。監督官から緊急の呼び出し音だった。サキは舌打ちすると電話を受ける。


「何ですって?」サキは耳を疑った。


〝箭多巴を追うのは一旦中止よ〟


「納得いかないわ」


〝市内の大江戸派が彼女を庇ってる。ややこしいことになりそうなの。貴女が捜査を強行すれば市民権の停止も有り得るわ〟


「殺せと言ったり見逃せと言ったりこっちの気も知らないで――」


〝土方刑事とタイプR9人造刑事は残念だった。いずれ仇は取らせてあげる。とにかく今は一度退いて〟


 サキは自分のブラスターを見た。訓練学校の教えが蘇る。機械になっても人間は捨てるな、教官は繰り返しそう言った。


 感情に身を任せるのは機械よりもまずいことだとも。


 長い――といっても一分も経っていなかった。サキは激情を頭を振って追いやる。理性が感情を上回る。納得はいかないが無理矢理自分に言い聞かせた。


「どきなさい」サキは精一杯の憎しみをホテルマンに向けると玄関へと歩き出した。


 *   *   *


「それで退いたの?」サキの双子の姉シキは娘アイに離乳食を与えながら咎めるような口調で言った。


「仕方ないわ。私だって退きたくて退いたわけじゃ」


「それはそうだけど」


「市民権剥奪とまで言われたの――箭多巴は、いや大江戸はかなり市の権力に浸透してるみたい」


「私がチョさんの所に行けなんて言わなければ土方さんは死なずに済んだのね」


「姉様のせいじゃない。悪いのは箭多巴よ」


 シキは何か言いたげだったが言葉を切った。


「謹慎になった訳じゃない。箭多巴は必ず捕まえる。土方さんは無念だろうけど、刑事の職責を知ってたのよ。殉職するのも覚悟の内だった」サキはシキから赤子を抱きとるとあやしはじめた。


 自宅の高層アパートから夜景を眺めながら三人は遅い夕食を取る。


 サキの携帯が鳴る。情報屋の送ってきた秘匿メールには箭多巴が行きそうなサイボーグ専門の医者、サイバネ医師やエンジニアの一覧が有った。殆んどが貧民窟スラムを根城にする闇業者だ。


「もう寝ましょう。お仕事は明日でも良いじゃない」シキがサキに口付けする。サキはアイをベビーベッドに降ろすと照明を落としてクイーンサイズのベッドに入った。


「おやすみなさい」シキも後に続く。


「姉さん」シキは胸元で泣くサキの声に気付く。サキは声を殺して泣いていた。


「私、土方さんを見殺しにした。私」


「サキちゃんは悪くないわ」シキはサキを抱き締めるとぽんぽんと背中を軽くたたいた。サキはただシキにしがみついて、泣いた。


 *   *   *


 箭多巴は義体のカメラで撮った写真からサキの身元を割り出そうとしていた。


 相棒の情報将校には手を出すなと言われていたが、再戦をするつもりだった。


 身を隠した貧民窟のビルは、すえた異臭と埃くさいお世辞にも快適とは言い難い環境だ。こんな目に合うのもあの女のせいだ――巴は大江戸ほどスムーズにいかない義体の修理も、めぐり合わせも呪いたい気分で合成麻薬のパッケージを握りつぶす。


 今着けている市民モデルの腕では以前の様には戦えない。市内のどこかに流通しているであろう戦闘用の義体を手に入れない限り巴の願いはかなわない。蝦夷地えぞちの蛮族共には大江戸の様な洗練さが無い。義体の腕一つ満足に造れないのだ――薬に酔った頭で巴は目につくもの全てを憎悪する。


 情報将校はすぐにでも巴を帰したいようだったが、最新型の義体を傷つけられた事実を暴露されれば、彼女の出世はおろか文字通りの生命に関わることになる。


 戦闘義体が改造されていない人間に負けたとなれば都市国家間での笑い者になるのは間違いない。サキを倒せばそれは避けられる。将校は事実を隠蔽できると思っているのだろうが、万が一の事を考えるなら敵を倒しておくべきだ。そう言って将校を説得しようと巴は思いつく。


「少佐。戻ったわ」丁度その時情報将校が入ってきた。手に袋を下げている。食事の差し入れだろう。巴が寝ているベッドに腰掛ける。


 将校は巴に口付けする。麻薬のアンプルを自分にも打つと巴の身体にのしかかった。巴はそれを受け入れる。しばらくすると女二人の嬌声が狭い部屋に響いた。


 *   *   *


「修理用の腕が見つかったのね」


〝ええ。丁度良いのが市場に出回りました。巴様さえよろしければ明日にでも手術出来ます〟


 箭多巴は破壊された義体の代替品が手に入ると聞いてようやくまともに動けると安堵した。こんな窮屈な暮らしとはおさらばだ。せいせいする気持ちの一方無念も有った。敵の身元を割り切れなかったのだ。再戦は今度札幌に訪れる時か――。


 闇医者の診療所は巴たちの潜伏している貧民窟とは離れていた。情報将校は巴の主張にも一理は有ると言ったがこのまま大江戸へ帰還すべきだとの意見は曲げなかった。


 仕方が無い――巴は諦め切れなさと、帰るべきとの愛人の意見を引き摺りながら、情交に溺れた。


 *   *   *


 翌日指定された時刻に、内通者の手配した車に乗って巴と将校は診療所に着いた。


 手術は三時間に及んだ。戦闘用の義体には脳との高度な同期が必要になる。正確に動作しないと周囲に危険が及ぶからだ。これで一安心だ――将校はそう思った。


 異変に気付いたのは表を確認した時だった。停めていたはずの車が無い。巴の麻酔はあと10分ほどで切れる。何かの都合で移動しただけかもしれないが、警戒した方が良い。不安が心を覆った。


 将校は太腿の拳銃を意識する。


 診療所のガサ入れに備えた監視カメラの映像を確認する。周囲に車以外の異常は認められなかった。


「何をする気です」医者の言葉を無視して拳銃を抜く。


 その時、部屋の照明が落ちた。それと同時に窓という窓、そして入り口がぶち破られた。石ころの様な物が投げ込まれる。


 催涙弾だ――気付いた将校は身体を屈めるとハンカチで口を覆う。拳銃は抜いたままだ。


 部屋に突入してきた男――大柄な人影からそうだと思った――が素早く周囲を警戒するのが見えた。将校を見つけて発砲しようとする。しかし将校の方が早かった。胴体に連続で弾を撃ち込んだ。人影は倒れる。


 しかし多勢に無勢だった。


「動くな!」頭に銃を突き付けられ、右腕を背中に回され、倒される。床に落ちた銃が乾いた金属音を立てて滑った。


 催涙ガスが目と喉を焼いた。


 涙がにじむ。気道に入ったガスに思わず咳き込んだ。


 倒したはずの男が立ち上がった。ボディアーマーを着込んでいたのだ。制服から札幌の警官だと分かった。


 医者は抵抗する間もなく捕縛されていた。


 突入者の中に金髪の細身の人影が有った――ガスマスクに隠れてはいたが前にホテルで巴が仕留めそこなった女刑事だ。将校は見抜く。


 女刑事は手術台に横たわる巴を見て警官と言葉を交わす。巴はまだ目覚めてはいない――薬が効いていて身じろぎすらしていなかった。警官は巴たち三人の両手を後ろに回すと手錠をかける。


「大江戸防衛軍少佐箭多巴と少佐桜井ユキ、それに無認可医師影佐勤。お前たちを市情報漏洩罪と市刑事二名の殺害、娼婦殺害、殺人未遂、不法医療行為の容疑で逮捕する」先頭を切って入ってきた警官の一人が逮捕令状を出して宣告する。


「弁護士を――。それまで――何も喋らない」女将校、桜井ユキは令状を出した警官を睨む。ハッタリだった。巴とユキはいざとなれば切り捨てられる立場の人間だ。非合法の任務で尻を持ってもらえるほど甘くないのは自分が一番知っている。


 万が一の可能性に賭ける。自分たちが生き残る可能性を少しでも高める為なら何でもする。自分の為だけでなく、愛する女の為にも。


 巴は経口麻酔薬を投与され、担架に乗せられていた。戦闘サイボーグの能力を過小評価しない、忌々しいが的確な判断だとユキは思った。


 使われたガスは一時的に対象を無力化するだけの物らしかった。ガスそのものは既に散ってしまい、喉にいがらっぽさが残るくらいでもう痛みは無い。


 目の前に来た金髪の女刑事がガスマスクを外した。勝ち誇った青い目だった。鋭い眼光がユキと巴を睨む。


「この程度で私たちを何とか出来ると思わない事ね」ユキは相手を野次った。


「貴女の後ろ盾は裏切った。どうして情報が漏れていたのか考えるまでもなく分かるでしょう」相手は挑発に乗らなかった。


「義体を市場に流したのもお前たちの罠だったのね」確証は無かったがユキはかまをかける。相手はわずかに驚いた。やはりね――ユキは納得する。


 戦闘用義体のパーツが殆んど市場に出回らない事を考えれば、こうした罠を仕掛けてくる可能性は幾らでも有った。そこまで思い至らなかった自分たちが間抜けだったのだ。


 ユキは己の迂闊さを呪った。

 

 大江戸のスパイ二人は表にやってきた護送車に連行される。


 こうして、七瀬サキと箭多巴の戦いの第二ラウンドは、サキの勝ちで終わったのだった。

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