第4話 東北桜紀行(2003年4月)  龍崎一郎

 3月31日付で退職すると、桜の花を見て廻ることにした。まず上野の山、墨田川堤、千鳥ヶ淵と観て廻る。退職して明日の仕事を思い煩うことなく桜を観ることができるようになれば、雅な思いで花を愛でることができるかと思ったのだが、、花の色はいつもの年と変わることなく、特段雅な気持になることもなかった。

 日をおいて、東北の旅に出た。三春の滝桜、角館の枝垂桜、弘前城址公園の桜を観て廻ることにしたのである。福島県三春の滝桜は樹齢千年以上の紅枝垂桜で、樹高10メートルもある大樹なのだが、4月末、すでに花の盛りは過ぎ、青葉混じりになっていて、朝の雲った空の下で観る花は少し薄汚れた感じさえした。秋田県角館の桜も、今にも雨が降り出しそうな早朝に見たせいだろうか、その花影は暗く、匂いも湿っていて、期待したほど心がわきたってくることはなかった。

 マイカーで弘前市に入る頃、朝から空をおおっていた雲が切れて、日が射してきた。国道7号線から左折して、アップルロードを行くと、りんご畑の向こうに岩木山が見えてくる。岩木山は想像していた以上に大きな山で、5月になろうとしているのに、頂上には雪がまだ多量に残っている。

 岩木川河川敷の臨時駐車場に着いた時、すでに4時を過ぎていて、陽は傾いていた。駐車場の入口に看板が立っていて、駐車場は5時まで、と書いてある。弘前公園まで歩いて20分かかる、とも書いてある。

「5時までに帰ってこられなかったらどうなるんですかア…」

 駐車場の警備をしていたオジサンに訊く。

「べつに、セジョウしなからア…」

 赤と黒の中間色くらいに日焼けした顔のオジサンが応える。語尾に独特の柔らか味のある、あの津軽弁のイントネーションである。一遍にうれしくなり、さっきまで沈んでいた気持が明るくなる。

「ありがとう…」

 私までイントネーションをつけて礼を言っていた。

 公園へ行くらしい人たちの後について、町中の通りを歩いていき、市民会館口から橋を渡って公園に入った。桜の花は満開で、傾いた夕陽にほんのり赤く染まって、少し酒にでも酔ったように見えた。けっこうな賑わいで、花の下、あちこちに青いシートを広げて宴会をしている。親族一同、仲間内の花見といった感じで、東京のような企業の花見、会社の宴会といった感じはない。

 天守閣のあった本丸内には、花見時、入場料を払わなければ入れない。看板には、公園の維持管理費用が必要なのでウンタラカンタラ、と書いてある。年収1500万円の人に500円の入場料はどうってことないだろう。しかし、年金生活者は、看板の前で躊躇する。生活保護受給者は入れないだろう。もちろん、入れますよ、と役所の人は言うだろう。しかし、食費を削って入らなければならないとすれば、禁じられていると同じことではないか。つまり健康で文化的な生活に差をつけられている、そういうことになるのではないか?

 ところがだ、5時以降、なんと入場料は無料になる。昼間、観光バスでお出でになった、ツアー客のみなさまからはシッカリと維持管理を徴収するが、地元の人は、夜は無料ですよ、ということだ。なかなかイキなことをする。というわけで、私も5時過ぎに入った。

 岩木山の変わりゆく様を見ようと、芝生の端にビニールシートを敷いて座り込む。岩木山の肩に陽が沈むと、夕焼の空をバックに富士山のようなシルエットが薄黒く浮かび上がってくる。やがて日の光が薄れて空の青みが消え、夕焼空の赤みもうすれていくと、山影もまた薄闇の中に墨を溶かしたように薄れていった。気がつくと、公園に据え付けられたライトの光が華やいだ明るさを増していて、桜の花は白く浮き立つように光りはじめている。若い女たちのはしゃぐ甲高い声や、走りまわっている子供たちの粘っこい足音や、乳母車の赤ん坊をあやしている艶っぽいおばあさんの声が、遠く異郷にあって独り夜桜を観ている私の耳に、優しく、懐かしく、愛しげに聞こえてくる…。

 桜の花の咲く頃、父は入院し、桜の花が散ってから死んだ…。

 父は、長年膀胱がん治療のために入退院を繰り返していたが、高年齢のこともあって積極的な治療を受けることができなかった。医師は「秋口まで…」と言っていたが、4月に入ると病状は急激に悪化し、意識は混濁しはじめていた。その年、桜の花の咲くのは早く、彼岸過ぎて病院の老桜はほぼ満開になっていたのだが、「花の散る頃には…」と私は覚悟を決め、夜に朝に病院へ行くたびに老桜を確かめるように視ていた。月の光の中で見る花は幽玄というよりは恐ろしく、雅というよりは残酷に見えた。花は間もなく散るだろう、と思っていたのだが、その年は花が咲いてから気温が上がらず、風も吹かず、雨も降らず、花は咲きつづけていた。

 父は雪深い越後の生まれである。農家の三男だった父は、徴兵検査を終えると、東京に出て苦学し、箱根駅伝にも出場したような男だったが、中国との戦争が始まると、召集されて、中国に出征した。死なずに帰還したが、戦後、疎開した茨城の村で妻と長男を失い、残された幼い子供たちを困窮の中で育てた。

 我にかえると、夜の闇は濃くなっていて、もう岩木山の山影は見えない。華やいだ人々の声が、ひどく遠くに聞こえ、津軽の夜桜は哀しいほど雅に見えた。私は立ち上がると、人込みをかきわけるようにして公園を出て、また旅を続けるために夜の駐車場に向かって歩き出した。

     (第5話は、2024年9月1日掲載予定です)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る