第21話新たな学校生活スタート
ぷぉぉぉーんぶぶぅ~
夕暮れにやっと掃除が終わった後屋敷に戻って夕飯と風呂を済ませ戻って来てからバタンキューでベッドに急行し泥のように眠っていた俺たちの目を強制的に覚まさせたのは、間の抜けた角笛の音だった。
「おいおい、まだ夜が明けたばっかじゃねーかよ。誰だよ、こんなふざけた時間に角笛なんか吹く野郎はよ!」
いつもは寝起きのいいレオもさすがに機嫌が悪そうに眉をキュッと上げて、寝ぐせ頭をぼりぼり搔いている。
「はいーはーい、もう朝の五時半ですよー! みんな今日からやることがあったよねー。さっさと身支度して炊事場にいらっしゃーい」
珍妙な音色の後に廊下から響き渡ってきたこの声は……ミハイル先生だ! 母上から寮長として一緒に住むと昨日聞かされてはいたけれど、既に到着していたのか。いつ来たのか全く気づかんかった。
「あー、だっるー。ぼく朝ごはんいらないからもうちょい寝ていたいよー」
食いしん坊のアラニーすらもベッドに這いつくばって起きようとしないし、俺も節々がギーギー軋むような気がして腰が重い。ヲタ芸で日々鍛えているはずの俺達でも、いくら小さいとはいえ城中を掃除するのはそれほどの重労働だったんだ。
「はーぁ、あれが例の先生? こんな時間に叩き起こすなんて、ちょっと非常識だよねぇ」
ほら! 風の精霊で身軽なウェンだってキツそうじゃん。全く、ミハイル先生ったら自分は掃除してなくて元気だからってさ。こんなネムネム状態で朝飯の準備なんかできますかっての。
「なぁ、このまま無視して二度寝しちまうか。メシは起きたときに作ればいいしさ」
「あーそうだな」
「それがいいよ」
「おやすみー。くぷう」
俺の提案にみんなが乗り、ベッドに突っ伏した途端……ぷぉぉぉーんびゅるるーまたしても珍妙な音色が暴発し、それでも指で耳に栓をして無視し続けていると、どたどたどたと忙しない足音がして、俺らの寝室のドアがバンッと勢いよく開いた。
「こらー! 一日の計は朝食にありと古代から言われているでしょうが! 若人がごろごろごろごろ朝寝坊しているんじゃありませーん!」
しびれを切らしてやって来たミハイル先生が、今まで聞いたほどのないような大声で怒鳴り出した。
「ミュッチャはもうとっくに来てみんなを待っているのですよ。待たせて悪いと思わないのですか」
その言葉を聞いて、いくら怒鳴られてもダルそうに寝っ転がっていたレオがぴょんと跳ね起き椅子に掛けてあったシャツとズボンにさっさと着替えて一番乗りで寝室を出て行った。こうなると、残された俺ら三人も身支度せざるを得ず、角笛を小脇に抱えたミハイル先生ににらまれながらのろのろと着替え、ミハイル先生に誘導されながら炊事場への道をよたよたと歩いて行った。
「さぁ、エルファルトくんはシュルシュル細芋の皮むき、アラニウスくんはプチプチトマトをマッシャーで潰して、あーミュッチャさんとレオくんは野菜洗いだけでなくもうパンを窯から出してくれたんですね。感心感心、あっウェントゥスくんはジューサーに皮をむいてある黄金桃を入れてください」
ミュッチャとレオを褒めつつテキパキと俺ら三人に指示したミハイル先生は、俺の剥いた芋やアラニーのつぶしたトマトを使ってささっと大きな鍋でスープを作り、その片手間に黄金桃のスムージーを全員のグラスに注いでささっとパンも切り分けて、あっという間に食卓の上には朝食が出来上がってしまった。
めっちゃ手際がいい。俺ら手伝う意味あったん。全員がそう思ったに違いない。
「おはようございますミハイル先生! 先ほどは寝起きだったものできちんとご挨拶もできず失礼いたしました。うわー、焼き立てのシェルパンすごくいいにおい、もしかしてこれも御自分でお焼きに? もっとお役に立てれば良かったのですがこんな手際のよい先生のそばでうろちょろしてしまって、僕らはひょっとしてかえって足手まといだったんじゃ……僕精霊なもので、こういうの無知で……」
寝起きでぼーっとしていていつもの人たらしスキルで即座に対応できなかったウェンが愛くるしい上目づかいと可憐さあふれるふんわりした笑顔と華麗な身のこなしに研究者である先生が食いつきそうな精霊アピールも入れ込んで探りを入れるも、ミハイル先生は表情一つ変えずにピクリともその魅力に反応せずパンパンパンと手を叩いた。
「はーい、スープとパンが冷めないうちに食べちゃいましょう。ウェントゥスくんも余計な気遣いは無用! 私にとっては教えることこそ喜び、それは勉学でも料理でも等しいのです。みなさんががぴよぴよのひよこから立派に成長するのを楽しみにしていますよ」
あーこりゃダメだ。こいつに魅力を振りまいても無駄だな。そう思ったのかは定かではないが、この時以来ウェンはミハイル先生に対してはいい子ちゃん振りもせず愛らしい顔も見せず、もちろんセクスィーでもない省エネ路線に切り替えたようだった。
ウェンの切り替えの早さもすごいが、ミハイル先生の魅力釣り針察知センサーもすごいな。まぁ、釣り針だと全く気づかずに本能でスルーしてるだけっぽいけど。
母上によれば料理研究家としても名高いらしいミハイル先生がほとんど調理した朝食は、シンプルでありながら領地一の名コックとして誉れ高く父上がいるときだけ手ずから調理するコック長のグーヌスの渾身の朝食と引けを取らないほどの美味しさだった。
小さな巻貝の形をしたシェルパンはバターたっぷりで何もつけなくても甘みと塩味が絶妙の加減で、口当たりもサクサクの表面にふんわりと口の中で溶けるような中身、それとスープの酸味と歯ごたえが実にマッチして、黄金桃のスムージーは素材を生かしつつ生で食べるのとは違うなめらかな口当たりでデザートと言ってもよいくらいだ。
「うわー、すっごく美味しいねー。パンもスープも」
最初に感嘆の声を上げたのは、ミュッチャだった。その声に反応しちらりとミュッチャの顔を見たミハイル先生が、「食事中におしゃべりするんじゃありません!」とか叱るんじゃないかと俺はひそかにハラハラしてしまったが、心配ご無用だった。
「そうでしょうそうでしょう、どうして美味しいかわかりますか?」
にこにことはち切れんばかりの笑顔で機嫌よさそうに、ミハイル先生は俺らに問いかける。
「あー、先生は有名な料理研究家で御本も出されていると母上から聞いています。だから朝食もお手の物なんですね」
俺の出した答えに、ミハイル先生は静かに首を振った。
「それは違いますよ。確かに私はパンを焼き、スープの味付けをしました。けれど、もしこれがただあなた方の前にポーンっと用意されたものであったらそこまで美味しくは感じなかったでしょう! 自分たちできちんと下ごしらえをしたから、味がより良いものに感じられたのですよ」
ミハイル先生の言葉に、ミュッチャとレオはほーっと感心したようなため息を吐きうんうんうなずいた。
「ミュッチャ、お昼もお手伝いがんばる!」
「おー、俺も、上手い飯が食いたいからな」
うーん、この二人はやっぱりめっちゃ素直だ。
「ふーん、ぼくはお手伝いしないでぽーんって出されても同じくらい美味しかったと思うんだけどな」
アラニーも素直といえば素直だ。
「‥‥‥‥」
ウェンは無言で、伏し目がちにスムージーに刺さった銀のストローを指でもてあそんでいる。何を考えているのかは不明だが、長いまつげが影を落とし思慮深そうには見える。スキルを使わなくても黙っててもきれいに見えるイケメンは得だな。
俺はといえば……「はぁ、素材の旨さが引き立っていましたね」とあいまいな言葉でお茶を濁したのだった。
そして、しばしの食休みを挟んで行われた学校形式での初授業は、異種族特区からの新たな生徒たちを迎えるとのことでミハイル先生が張り切って準備した特別授業、古典語で学ぶサナーティオ王国の成り立ちについてだった。
遥か昔、暗黒大魔王が支配し不毛の土地と呼ばれていたこの地、共に虐げられていた人間と異種族は連合軍を作り立ち向かった。先頭に立ち旗印を掲げたのはのちに初代国王となるマスラーラと妖精騎士エルフィリオだった。と、簡単な説明だけ聞くと興味深いけどミハイル先生がやさしい言葉で要約しているとはいえ古典語だから俺にはちんぷんかんぷんだ。
一応学校に通うのは同意したとはいえ、面倒くさがりそうだなと思っていたレオは意外にもミュッチャと一緒に教卓前の最前列に並んで座って背筋をピッと伸ばして、興味深そうに授業を聞き、ノートに逐一メモを取っている。古典語嫌い仲間だったアラニーは、ミュッチャに教えてもらったグループ名の由来になった言葉を聞いてから興味を持ちだしたらしく、積極的に手を上げて質問をしている。残すはウェンだが、隣でやる気なさそうに頬杖をついているもんだから仲間がまだ残ってたとホッとしたのもつかの間……
「はーい、じゃあウェントゥスくん、この黒板の文章を読んで訳してください」
「プリペーラ、ンジャロリア、スイームイーム……騎士エルフィリオは自由の証に魔王の城があった丘の上に高々と勝利の御旗を掲げた」
「エクセレーント! 発音も素晴らしい」
簡単すぎて、退屈してただけだった……学校行ったことないって言ってたのに……
俺は新学校設立初日にして、たった一人の落ちこぼれになってしまったようだった。
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