第19話エアミュレン5いよいよ森を越える
二人の異種族を連れ帰った俺たちに、母上もミズブリギナも全く驚かず大歓迎してくれた。ミュッチャママから逐一事細かに連絡を受けていたことや、レオがミュッチャのはとこであることだけではなく、やはりここは例の彼の活躍が大きい。
「わぁ、天馬さんってつややかな毛並みに優雅な翼、それに雄々しく立派な体躯、とてもお美しいですね。森でもこんな美しい方見たことがありません! こんなすてきな方に引いてもらって遊覧飛行を楽しめるなんて至福の極みです」
「ブッヒヒィィンーヒーッハァーッ! ぶるるぅ!」
ふわりと風に乗って純白のふさふさしたたてがみをいつくしむようにていねいに撫でながらまずは天馬さんを喜ばせ、流し目ではなく純真そうなやわらかな微笑みで魅了。
天馬さん、大好物の黄金桃を手土産にもらったときですらあんなご機嫌でひゃっはーな鳴き声出してなかったのに……尻尾もブンブン振って風がすげえよ。前髪が目を覆ってよく見えねぇし。でも、俺らの髪はばっさばさなのに、ウェンのだけは爽やかにふわりと風になびいてら。ちっ、さすが風使いだな、自分以外が起こした風にも愛されてんのか。
「ミズブリギナ、これはピーンと張った立派なおひげですねぇ。耳も大きくて知的で思慮深くてらっしゃるご内面が現れているように思えます」
「まぁ、ウェンくんったらお上手ねぇ」
お次はミズブリギナが篭絡される。ミズブリギナは年齢不詳なその容姿から、「わー猫ちゃんとってもかわいいねぇ、肉球ふっかふかもっといじらせてぇ」などとちびっ子に追い回されることが多く、単純に可愛さを褒められるのが苦手なのだ。一瞬でそれを見抜き、同時によく知りもしない内面までも相手の気に障らないように褒める。今度はうっとりと輝く濡れた瞳を照れたように伏し目がちに……これは年長の御婦人にはたまらんでしょうな。
そして、そして、屋敷の庭園で待っていた母上にも……「こんにちはエル君のお母さま、僕は森でご子息のウェンくんとお友達になった風の精霊のウェンです。至らない点も多いと思いますが、以後お見知りおきをお願いいたします」「まぁ、礼儀正しくって可愛らしい子ねぇ。精霊さんということでとても優美で可憐だわー」
きっちり優等生的な態度を示しつつ、はにかんだような愛らしい笑顔を見せてセクスィー封印。庭に並んだ妖精の置物を見て、可憐で愛らしいものが好きな母上の趣味を一瞬で察知したらしく、またしても一瞬で心をとらえて魅了してしまった。
一方のレオは……天馬さんにも、ミズブリギナにも、母上にもブスっとしかめっ面で右手を小さく上げて「よぉ! よろしくな」の一言のみ。清々しいまでに、全て同じ態度であった。
まぁ、これでもレオにとってはかなりがんばって愛想を振りまいているってことは、俺ら仲間の目には明らかではあったんだけども。ぴくぴくと引きつる口元は、笑顔を作ろうとした努力の跡だし。
まぁそんなこんなでアラニーとミュッチャに加え、レオとウェンの二人がうちの屋敷の住人になったわけなんだけど、ミュッチャには自室があるとはいえ俺の子供部屋に四人ではさすがに狭すぎるということで、出張中の父上に相談した母上が新たな住居を用意してくれていた。
「さぁ、遠くまではるばる来てみんな疲れたでしょう。今日は客間でおやすみなさい、明日には新しい居室に案内しますからね」
うちの屋敷はまぁまぁ広い方だが、常時開いている部屋は客間くらいしかない。ダイエット教室の時は一時的に見合い令嬢部屋を合宿部屋に使っていたけど、合宿が終わるとみるや彼女たちが舞い戻ってきたためもはや満室だ。一体どこを使うんだろう? 王都や僻地に行って留守にしている兄さまたちの部屋だろうか、でも部屋の中のトレーニンググッズとかぬいぐるみを勝手に動かすとプンスカ怒るんだよなぁ、俺に矛先が向かってきたらいやだなぁなんてつらつら考えつつも、初めての小旅行ですっかりくたくたになっていた俺は、夕飯もそこそこに自室のベッドにバタンキューし、そのままぐっすり夢も見ずに眠ってしまったのだった。
カンカンカーン♪ 久しぶりの朝食を知らせる鐘の音で目を覚ました俺とアラニーは、冷たい水で顔を洗っても抜けきれない寝ぼけ眼のまま連れだって食堂に行くと、レオ、ウェン、そしていつもはメイド用の食堂で朝食を取っているミュッチャの三人がそろって母上を囲んで座っていた。
「あらあら、二人ともお寝坊さんねぇ。三人はベルが鳴ってすぐにここに来たというのに」
母上はふふふと笑うけど、そりゃそいつらの寝起きがいいだけだって……ミュッチャは夜以外もぐーぐーすよすよしょっちゅう寝てるし。
「さぁ、もう朝食はテーブルに並んでいてよ。食後にみんなにお話がありますからね」
ハニーサワークロワッサンとほろほろサニーサイドアップ、フレッシュスターオレンジジュースにシャキシャキほうれん草の黄金桃和えの目覚ましサラダの朝食を取った後、母上は今後の俺らについてあれこれと話し始めた。
「まずはミュッチャ、ご両親とはエアワープホーンで毎日通話していたのだけれど、その時にご相談させていただいてね、メイド見習から変更して今後は留学生として学んでもらうことにしました。レオとウェンも同様に、ミハイル先生の授業を受けてもらいます! 人数も増えたことですしこれからは家庭教師というより敷地内の学校ってことになるわね」
「えっ、でも、レオとウェンはアイドルとして誘った仲間で……」
俺は思わず口を挟んでしまった。
「ミュッチャ、お勉強好き学校嫌い。でもここはミハイル先生もみんなもやさしいお友達」
ノリノリのミュッチャはともかく、レオとウェンは勉強するためにここに来たわけではないからだ。話が違うと踵を返して特区に帰ってしまわれても困る。
「もうエルったら、話は最後までお聞きなさい。そのこともフェリコさんご夫妻から聞いています、でもねあなたとアラニーがお勉強している間レオとウェンはどうするのただぶらぶらしてるの?」
それもそうだ。へぇへぇ、母上のおっしゃる通りでごぜぇます。でもよぉ、二人がどう思うか。
「だからね、今までのように平日の午前は授業、踊りや歌の練習はその後になさい。レオとウェンもそれでいいかしら?」
「お、おぉ、俺は構わねぇ」
「わぁ、僕ずっと森にいたものですから、学校に行くの初めてです。わくわくします」
渋ると思っていたレオも、優等生キャラが板についたウェンも同意してしまったら俺にはもう反論する余地がない。
あーあ、アイドルのレッスンで忙しいってことで古典語の授業ちょっと休ませてもらえるかもってちょっとだけ思ってたのにさ、ほのかな期待が打ち砕かれちまった。
「はーい、わかりましたぁ、母上」
「はいっ、よろしい。じゃあこれからみんなの新しい学校と居室に案内するわね。」
いつもとは違う動きやすそうなパンツドレス姿の母上に先導され、庭園を越え、果樹園を越え、足を踏み入れたこともなくそこが敷地内とさえ知らなかった背の高い草がボーボー生えた原っぱの先にあったのは、にゅっと細い塔がそびえ、古ぼけていて蔦の絡まるこじんまりとした城のような建物だった。
「ここはね、エルのひいおじいさまが趣味の横角鬼笛演奏のために建てたのだけれど、すぐに飽きてしまわれてねぇその後ずっと使われないままだったの。楽団の寮にとも思ったのだけど、ちょっと散らかっているのよ……でも、防音ですから歌や踊りにはちょうどいいわよ」
腰のベルトからじゃらじゃらとぶら下げた長い鍵の一本で母上が錆びた鍵穴をまわすと、ギィィという音と共に開いたドアからはほこりと古くよどんだ空気の混じった匂いが漂ってきた。
入ってよと言われてもなぁ、俺の足は竦んでしまう。
「やっほほーい! ミニミニのお城だよー」
一番乗りに入っていったのは、やはりアラニーだった。仕方なく後に続くと、目の前に広がっていたのは想像以上にひどい光景だった。あちらこちらにぶら下がった破れた蜘蛛の巣、壁紙はあちこち剥がれ、ミュッチャはほこりでけほけほ小さな咳をしている。
「さぁ、これからここがみんなの住処で学校よ! エルもそろそろ社会勉強の時だと思っていたのだけれど、まさか芸事に興味を持つとはね。ひいおじいさまの血かしら」
えっ、俺とアラニーもここに住むの! 聞いてないよ。まごまごしながら母上に話を聞こうとしたが、母上はさっさと踵を返しドアの方まですたすたと歩いて行ってしまった。
「お掃除用具は奥の小部屋にあります。後、食材は二日おきに運搬係のノニットが運んでくれますから、夕食は今まで通り屋敷に来たらいいですけど朝食と昼食は自分たちで用意なさいー最初はミハイル先生が手ほどきしてくださるわ、彼は古代料理の本も出している著名な料理研究家でもあるのよ、あっ、先生も塔の上に寮長として一緒に住んで下さるわ」
慌てて追いかけて袖を掴もうにも母上はいつになく大振りで腕を動かすので俺の指は空振りして宙を掴んでしまい、息もつかずにまくし立てるので口を挟む隙もない。
「じゃあ、私は隣の領地の奥様方と庭園でティーパーティーがあるのでそろそろ行くわね。あっいけない、ミュッチャはもちろん一人部屋よーじゃあ鍵を渡しておくわね」
ミュッチャにだけ小さな金色の鍵を渡すと、母上はさっさと草の向こうへ消えてしまった。
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