第9話ミュッチャ翻弄さる、天然アラニーは魔性の美少年?

 俺の住んでいる屋敷の奥には森があって、そこを抜けると異種族たちの住む特区がある。一応父上の領地内ではあることはあるのだが、自治区扱いをされていて特区の代表は別にいるらしい。同じ国内であるから行き来は自由だし、実際ミズブリギナやミュッチャのようにこっちまで働きに来る人らもいるけど、そんなに交流は盛んではないようだ。俺ら人間があっちに行くのは旅行会社が主催するガイド付きのツアーがほとんどらしい。

 俺も数年前にふと思い立ってひょっこり森を抜けようとしてみたのだが、すぐにミズブリギナに見つかってケツをぺんぺんされてしまった。

 それ以来、一人で屋敷の外を出歩くのを禁止されている。でも、今俺には心強いパートナーのアラニーがいる。一人じゃないなら森を抜けるのも自由だろう。よーし、早速アラニーに相談してみよう!


「なぁ、アラニー、アイドルのことなんだけどよ」

「あー、やること決まったの? いつ、明日からやる?」


 うっわー、すげーウキウキして手までパンパン叩いてる。活動ってわけじゃねーんだよな、まぁ前進は前進だけど。


「いや、俺ら二人だけじゃ人数が少ないからさ、他にも誘おうと思ってるんだ」

「へー、いいねいいね楽しそう。ミュゲルとスースハを誘うの? 久しぶりに会えるのうれしいな」


 そう思いますよねー。無理だけど。


「いや、あいつ等は家が遠いからさ、近くでスカウトしようと思ってんだよ。えーと森の向こうのヤツらとかさ」

「えっ、森の向こうって、異種族……」


 アラニーは青ざめた顔をして、黙りこくってしまった。意外な反応だ。いつもなら、めずらしいことや新しいことにはノリノリで食いつくってのに。


「どうしたってんだよ、アラニー。顔色が悪いぞ」


 手を当てたその肩は、小刻みにふるえている。


「ぼ、ぼく、異種族って何だかちょっと怖くて……一度も見たことがないし」

「えー、なんでだよ。ミズブリギナと握手した時とかよ、肉球ふっかふかーって喜んでただろ」


 俺の言葉にアラニーはハッとしたような表情で顔を上げた。


「えっ、ミズブリギナってまさか異種族なの!?」

「どう見てもそうだろ。何だと思ってたんだよ」

「ね、猫ちゃんだと思ってたんだけど……」


 おどおどするアラニーの様子に、思わず笑いがこみあげてくる。


「ぷはっ、二本足で歩きしゃべる猫の方が異種族より普通にこえーわ。ミズブリギナはケットシーだよ」

「けっとしー?」


 小首をちょこんと可愛らしく傾げるアラニー、どうやらケットシーも知らないらしい。屋敷の敷地内から出たことのないこの俺以上の世間知らずがいたとは。なかなかの驚きだ。ぷぷっと笑いつつも、俺はなんとかアラニーと共に森の向こうへ行こうと説得を続けた。


「なぁミズブリギナってちっとも怖くないだろ。それにこの前ミハイル先生の授業で一緒だったミュッチャは多分ハーフエルフだぜ、人間とエルフのハーフだ! ってことは普通に人間と異種族で結婚してるってことだよな」

「そっかー、あの子そうだったんだーやけに耳がとんがってるなとは思ってたんだけど体質かなと思ってたよ。うん、確かにちっとも怖くはないね、むしりあっちが怖がってそうだったし」

「そうだろ、そうだろ。さぁ、一緒に森を抜けようぜ!」


 よしっぐらぐら揺れてるぞ、もう一押しだ!


「うーん、でもな……ぼくら二人だけだと心配だなぁ。誰か大人、うーんミハイル先生もミズブリギナもいっつもバタバタ飛び回って忙しそうだし、あっそうだ! あの子に案内をお願いしようよ」

「あの子って?」

「ミュッチャだよー。森の向こうを知っている子がいれば安心でしょ」


 さすが俺の無二の親友。俺ですら思いつかなかったすばらしいひらめきだ。


「おう、そうだな! 早速夕飯の後に頼みに行こうぜ!」

「おうおう! 行っちゃおう、言っちゃおう」


 腕をガシッとからめてやる気満々の俺たちであったが、ミュッチャはレアキャラのようになかなか姿を現さず、ミズブリギナに頼み込んでやっとコンタクトをとれたのは一週間後のことだった。


「ねぇアル、ミュッチャってまだ見習中で仕事してないのにずいぶん忙しいんだね」

「何なんだろうな、この前の合同授業でも褒められてたしがり勉でもしてんのかもな」

「うっわー、ぼく授業だけでも嫌すぎるのにすごいなぁ」


 ぺちゃくちゃおしゃべりしながら指定されたメイド用の休憩所で待っていると、突然音もなくぶかぶかの漆黒のマントにくるまれたもこもこの小さな物体が部屋の隅に現れた。


「うわっ、何だこれ!」

「ひゃぁ!」


 のけぞる俺とアラニーにひるんだのか、小さなもこもこはびくっとしてその場にうずくまってしまった。


「も、もしかしてミュッチャなの?」


 先に声をかけたのはアラニーだった。するとそのもこもこは、上部の出っ張った部分をちょこりんと小さく動かした。


「なーんだじゃあ声をかけてくれればよかったのに、唐突に出現したから未確認生物とかかと思ったよ!」


 現世はともかく、元々の俺はコミュ障の一人っ子だった。だがここで甘え上手で人見知りしない末っ子キャラを自分なりに演じているうちに何とか自然に身につけることができたと思っていたのだが、時折以前の弱メンタルがひょっこり顔を出してしまう。けれど、生来のリアルコミュ強のアラニーはそんな俺と違い誰に対しても全然物おじしない。しかしミュッチャ、コイツってばマジで人見知りすぎだろ、昔の自分を思い出して若干鬱るわ。


 無言のままカタカタふるえるチビ黒かたまりをぼけーっと眺めていると、アラニーはすたすたと近寄りがばっとマントを剥いでしまった。より小さくなった銀色のかたまりは、頭上でマントを持ち上げるアラニーの手に向かって何度も何度もぴょこぴょこ跳ねた。


「か、返してぇ」

「あー、やっとしゃべってくれた。ねー、ぼくら君にお願いごとがあるんだよねー、それを聞いてくれるならこれはちゃんと返してあげるよ!」


 うわっ、アラニー非道! ミュッチャのジャンプに合わせてひらひらマントをひるがえして、すんげー楽しそうににやにやしてるし! いつもと違って氷みてぇな冷たい瞳がらんらんと輝いて、思わず背筋がゾクゾクしちまった。もしかしてコイツって、Sっ気があんのか? ド天然の隠れいじめっ子肉食気質かよ……俺の中の奥深くに残されたいじめられっ子気質特有の草食危険回避センサーが、思わず発動しちまったぜ。シャキッとしろ俺。

 胸の奥底で眠っていた小さな臆病うさぎがガタガタとふるえ出すのをなんとか抑え込みつつ、でも間に入るのも嫌で二人の様子を見守っていると、ミュッチャは上を見上げてこくりと小さくうなずいた。


「何々―、それって引き受けてくれるってことぉ?」


 ミュッチャは尚もうなずいたが、アラニーはマントを頭上に高々と掲げたままだ。


「うーん、言葉で言ってくれないとわかんないなぁ」


 ますます非道! ヤダミュッチャかわいそう! でも下手に口出してあの冷たい瞳でギロリと睨まれたくねぇ、こえーし。


「う、うん、や、やる。だから返してぇ」

「わー、ありがとぉ。うわぁ、ミュッチャってとぉーっても優しいんだねぇ」


 ふわりとミュッチャにふわりとマントをかけていつものように花のような笑顔に戻ったアラニーは、自らのシャツの胸ポケットからガサゴソと何かを取り出し、ミュッチャのマントのフードにスッと取り付けた。

 不思議そうにフードを確かめたミュッチャは、そこにつけられた陶器でできた子犬のピンを見てうっすらと微笑んで「かわいい」とつぶやいた。


「ふっふふふー、可愛いでしょ!小さいころ母様にもらったお守りなんだ。うんって言ってくれたお礼にあげるよ」

「い、いいの、お、お守り」

「いいのいいの、転んだ時に泣かないようにってことだけど、ぼくもう小さい子じゃないしねー」

「あ、ありがと」

「いやいや、どういたしましてー」


 すっげー、めっちゃ会話続いてるし、あのコミュ障ミュッチャが笑ってるし。笑うともっとかわええな。

 しっかし、何なんアラニーって何者なん。飴と鞭の実践って、二度の人生で生まれて初めて見たんすけど。

 人心掌握これにありだな……しかも無自覚で思うがままに適当にやってそうなとこがまた……


「よーし、じゃあわれわれ仲好し三人組でいざゆかん森の向こうへ!」


 ぽかーんと呆けていた俺とミュッチャの両手でつかんでぶんぶん振り回し、アラニーは高々と腕を振り上げた。


「おー! さぁ二人も一緒に」

「お、おぉ……」

「おぉ……」


 こうしてあっさりとミュッチャの了承を取り付け、俺らのアイドル活動の第一歩メンバースカウトへの道は、アラニーの暴走という危険要素をはらみつつもいつの間にか走り出してしまったのだった。


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